あなた個人に聞いてもいないのに、「いけません」とかいちいち言っちゃう人へ
刺激的な記事を書きました。笑
会社やLINEグループ、オンラインコミュニティでも何でもいいですが、あるコミュニティにおいて、
「飲み会やるけど来る人いますかー?」とか、
「◯◯セミナーやりますよー!」って、呼びかけることあるじゃないですか?
そこで、「必ず」と言っていいほど、出現する人たち。
「すみません、その日は仕事があるからいけません」
「嫁に止められて、、、いけません」
うん、うん、うん、うん。
「予定があって、、、いケkmgsen囧、、」
うん、うん!
で、、?
結局、行かないわけね。
別に「いけません」とか言わなくてよくない?
あなた個人に「来ませんかー?」って、お声がかかっているなら、わかるよ。無視したり、理由なく「いけません」と言うのは礼儀知らず。
でも、全体に対して「どうですかー?」と聞いてるだけなのに、「いけません!」とか言っちゃうのって、どんな理由をつけようが、それ、いちいち言うなよ感がハンパないんですよ!
どれくらい「いちいち感」がすごいかと言うと・・・
僕が小学校4年生のときの話。
全然仲良くない友達(というか知ってるくらいの奴)に、たまたま道ですれ違ったことがあったんです。
そいつが、いきなり僕に「ごめん、今日は一緒に遊べないわー」と言ってきたんです。
いや、別に遊びたいとか言ってないし。
てか、お前と遊んだことないやん。
何やねん、お前、いちいち言ってくんなよ!
と子供ながらに思ったんです。
この感覚に非常に近い。というかウザい。
その予定って、何とか調整できません?
まず、「仕事が、」とか「嫁が、」とか、「予定が、」とか・・・
何とか調整できません?
もし、親や子供が死にかけてたら、仕事とかほったらかして駆けつけるじゃないですか?
それは、仕事よりもそっちのほうが行く価値が高いと認識したからですよね。
本当に行きたいのなら、仕事なんて有給使うなり、誰かに休み交代してもらうなり、上司に交渉するなりできるじゃないですか。最悪、風邪でも引いたふりして休むことだってできるじゃないですか。
嫁には土下座して、「今月小遣いカットでいいから!」と説得すれば良いじゃないですか。
つまり、行けない理由があるんじゃなくて、行けるように調整するほどの価値を感じなかったってこと。
あなた個人に聞いてもいないのに、「いけません」とかいちいち言っちゃう行為は、相手に「仕事も嫁も調整するほどテンションが上がりませんでした、すみません」と言ってるようなもの。
これを、いちいち言ってるんですよ。
ヤバいでしょ?
だから僕は黙っとけばいいのに、と思うんです。
僕もサクサク行動できるほうではないけど、僕が本当にいきたいと思ったとき、同時に「なんとでも調整してやる!」と心に決めるんです。
逆に、これは「いくほどでもないな」と思ったとしても、「いけません」とかわざわざ言わないんです。だって、それ言っちゃうと、そこまでテンション上がってないのが相手にバレると思っちゃうから。笑
「過程重視タイプ」と「結果重視タイプ」
何か理由を言った方が誠意があると認識する人たちは、結果よりも過程が大事だと思っているのでしょう。過程重視タイプとでも言いましょう。
でも、参加してくれることが誠意だと認識する人だっているんです。こちらは結果重視タイプ。
結果重視タイプの人は、理由とか過程なんて二の次、とにかく結果が大事なんです。
だったら、迂闊に「いけません」と言うより、「ここをこうしたら、もっと魅力的なんだけどな~、そしたら仕事休むように調整する・・・」と教えてあげたほうがよっぽど誠意あると思うけど。
「あー、残念です、いけません」とか言っちゃう人って、たぶん"いい女気分"なんでしょうね。自分は求められていると。
自意識過剰も大概にしとかなあきまへん。
「いけません」と安易に言ってしまう呪い
いちいち感もさることながら、この「いけません」を平気で言って見せることの弊害も説明しておきましょう。
これを見たら、いちいち「いけません」とか言わないことです。
「いけません」とか、いちいち言ってしまうことの弊害。
それは、簡単に言い訳を見出す自分になってしまうことなんです。
前述した通り、仕事とか嫁とか予定とか、なんとでも調整できます。
その程度のことを「いけない理由」にしてたら、いつまで経つまでも「いけない」「できない」になってしまうんです。
あと、この「いけない」「できない」は、自分だけじゃなく、周りにも伝染するから気を付けてくださいね。
僕はドストレートに言いたいことを表現してますので、この辺で吐き気をもよおしてきた方は、こちらの記事をご覧ください。優しく書いてます。