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ポルシェで送迎される幼稚園児は、その後どう生きるのか?

先日、都心のカフェで朝食セットを注文して、ゆっくりコーヒーとパン食べながら本を読むという至福の時間を過ごした。

太陽の光がたっぷり降り注ぐ窓際の席に腰掛けて、早々に読書に飽きると、急いで出勤する人々の群れを眺めていた。

すると、目の前にポルシェが停まった。

中から、ラルフローレンのカーディガンを肩から羽織り、ポロシャツ、ショートパンツ、スニーカーという、ラルフローレンの広告モデルのような中年男性が、ポルシェから降りてきた。

彼は、息子を抱っこしていて、幼稚園に送り届けに来たようだ。
途中、子供が履いている靴を落としてしまい、彼は身に付けたラルフローレンを振り乱して靴を拾い上げ、まるでラグビー選手がボールをトライするかのように、息子を幼稚園に送り届けた。

幼稚園と思しき建物には、イングリッシュスクールという看板が掲げられているので、彼の息子はラルフローレンを着た父に、ポルシェで送られて、幼稚園で英語を学ぶことになるのだろう。

また別の日、ぼくが職場に向かって、狭い道をとぼとぼ歩いていると、高級車とすれ違った。

ぼくには名前の分からない車種だが、車の大きさといい、塗装の艶といい、猛々しいエンブレムといい高級車であることは間違いないだろう。

高級車の運転手は派手な美人だった。

軽くウェーブした長い髪に、はっきりとしたメイクをして、サングラスをかけている。

そして、後方の席の真ん中には、品の良い制服を着た幼稚園児くらいの子供が、広すぎるスペースを持て余しながら左右に揺れて、ちょこんと座っていた。

都心部では、前述のお二方のように漫画や映画の中で描かれるステレオタイプなお金持ちを見かけることが、たまにある。

都心の、恐らくは学費の高い私立幼稚園に、ポルシェで送り迎えされる幼稚園児は、その境遇が非常に稀であるということに、いつ頃気付くのだろうか。

そして、彼らはその後成長する過程で、どのような人生を志向するのだろうか。
親と同じように高級車を乗り回す人生を志向するのか、それとも、親への反発から、経済的、物質的な豊かさではないものを求める人生を志向するのだろうか。

高級車の後部座席で、恐らくは、本人の意思とは関係なく揺らされている子供を見て、意地の悪いぼくは、北野武監督の「アキレスと亀」を思い出してしまった。

もう何年も前に見た映画だから、記憶は不確かだが、大筋は、お金持ちの子供に生まれたアキレス少年は小さい頃から絵を描くのが好きだった。

しかし、親が事業に失敗して、アキレス少年は貧しい農家の遠い親戚に預けられる。

金持ちの息子としてチヤホヤされて、絵を書くことしか知らないアキレス少年は、ここで初めて厳しい生活の営みに触れる。

その後、歳を取り、初老に差し掛かっても、絵を描いて褒められた幼少期の原体験を求めるかのように、ふらふらと絵を描き続けて一家離散、ホームレスになり…という苦い映画だ。

まあ、今見ると、ちょっと極端過ぎるストーリー展開かなと思うし、現代アートをやる人もゴッホじゃあるまいし、みなさんもっと上手く立ち回っておられる方が大半だろうと思う。

今はアートに人生を捧げるか貧困かの2択っていう時代ではないから、今見ると古い価値観を描いてるな、とは思う。
もちろん、映画の人物のように不器用にしか生きられない人というのは、いつの時代もいるのだろうけど。
北野監督の生きてきた時代の日本というのは、今よりも異端者を冷遇する時代だったのかもしれない。

ポルシェで送迎される幼稚園児はこれからどう生きていくのだろうか。
いつか一度は「アキレスと亀」を見てみるのも悪くない、とぼくは思う。

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