カッコいい辞典「に」
「ニュアンス」である。
これは習得すればなんと心強き表現方法の一つになることか。
しかしその強大な武器故に、非常にむつかしい概念であることを予め述べておかねばならぬであろう。
何故なら、むつかしさの程度、それもニュアンスであるからである。
例えば、むつかしいとされるニュアンスの代表的な日本語に、
「大丈夫です」があげられるであろう。
この言葉は非常にシンプル且つむつかしい。
よしそうだとして、一体どこがなのか。
それは、「大丈夫です」が大丈夫ではない場合が往々にして存在するからである。
具体例を出そう。
僕は今本屋さんでアルバイトをしているのだが、
レジで書籍を購入していただいたお客様に、万引きと間違えられぬようお店のシールを貼るというご案内をしている。
これは任意なので貼るのを拒否してもよい。
この任意がとんでもないニュアンスを生むのだ。
「シール貼っても大丈夫ですか?」のお声がけに対して、
「大丈夫です」
との返答が、いやどちらかわからんのである。
「大丈夫です」とのことであればシールを貼る。すると、「いや大丈夫です」との「否定の返し大丈夫」で切り付けてくるお客様もまこと多きことこの上なし。
相手が混乱する大丈夫ですを操るものは当然カッコいいとは言えぬ。
これはまさに「大丈夫ですか?」に対するアンチテーゼ!パラダイムシフト!ゲシュタルト崩壊!
失礼、ただカッコいい言葉を羅列してしまった。
この行為は非常にカッコ悪い。
もとい、ここから思考の飛躍をしよう。
大丈夫と言って大丈夫じゃない人がかなりいる。
例えば、武士が切腹をしようとしていたとする。
腹に短刀を突き刺し、今まさに介錯されるその時に、
ちょっと待った!
ずんずんと武士に近づいてゆき一言。
「大丈夫ですか?」
これに対して誇り高き武士ならもちろんこう返す。
「あっちへ行け!」
うむ。状況から鑑みるに「大丈夫です」とは返さぬであろう。
まあこれはこれで大丈夫じゃないと即わかるので問題なかろう。
問題なのは大丈夫と返して大丈夫じゃない者たちであった。
話がまとまっておらぬが僕はこう言うであろう。
「大丈夫です」
虎穴に入らずんば虎子を得ず。
カッコ悪いことをせねばカッコいいを極められぬ。
まずは己がカッコ悪いことを自覚することだ。
このカッコいい辞典もしばらく更新を怠っていた。
カッコ悪いことこの上ない。
しかし、読者の一声に勇気をもらい、前記事から再び書き始めた。
カッコいいことをされたら、泥臭く返す。
これこそ僕。
ありのままの、弱き自分。
だが一声もらえた。これは何億倍もの力となり僕を突き動かすであろう。
カッコいい辞典の編纂を全うする。
その先になにかあるのか、分からぬが行ってみたい。
読者に引っ張られながらダサくあがく僕を見ていてほしい。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
また逢う日まで。