島食の寺子屋
海・山・里に囲まれた離島で、和食の料理人を育てる「島食の寺子屋」。食材の出自を辿り、その日に島で採れる食材のみで料理を学んでいく。http://washoku-terakoya.com/
11月も終わりに近づき、風が強くなり海が時化てくるようにになってきた。「本日の高速船は、海上時化により欠航致します。」といった放送も流れ、いよいよ時化の季節が来たなと実感する。 風も強いし寒いし、だんだん外に出ることが億劫になってくるけど、 山の男・福井さんと自然薯掘りをする約束を果たす為に、もこもこ着込んで出かけた。 待ち合わせ場所では、福井さんが山の木を伐採しながら待っていた。 伐採しながら、自然薯の蔓を見つけて、わざわざピンクリボンで、掘る場所の印を残して下さる優し
出張で東京に来ている。出発の前日まで島の中をぐるぐる回る日が続いて、たくさんのことをしたようで、あまり頭に入ってない。ドタドタと準備をしながら、食卓の上にあったみかんを鞄の中に放り込んだ。 みかんの収穫は手伝えなかったけど、出荷用の箱に詰める作業にお邪魔した時にもらったみかん。崎みかんの2人とは、崎地区の青年団の活動でよく時間を共にするので、あまり気を張らずに作業に加われる。手伝いにいったというより、雑談をしにいった感覚。 SSとかMとかサイズごとに、オレンジ色のかごに分
年に4回開催される、牛の競りを見学しに。 海士町に住み始めて4年半にもなるが、競りの為の施設が島内にあるのを初めて知ったし、競りそのものを見るのも初めて。 朝9時過ぎに会場に着くと、既に子牛がずらっと並んでいて、 島では見たことのない人たちが沢山いた。 島外から買い付けに来ている人もいるし、 隣の隠岐の島や西ノ島から来ている人もいる。 競りにかけられる子牛のリストを手に持ち、 血統や生産者の情報と照らし合わせながら、 競り落としたい子牛を確認して値踏みしているそうだ。
「島らしさ」というと、一般的には海であったり、 それに紐づいて漁港や魚料理を思い浮かべる人が多いと思う。 とはいえ、これまで海士町を訪れた殆どの人が、漁業の瞬間に立ち会ったことはなさそうな気がする。潮の流れ次第で、引き上げる網を変えたりするので、魚を積んだ船が港に帰ってくる時間もその日次第。8時前に帰ってくることもあれば、12時を過ぎそうな時もある。 人様の都合に合わせてられないのだ。陸にいる限りは、ひたすら待った者だけが、水揚げされたその場で魚を手に入れられる。 今日
島の北寄りにある福井小学校では、 毎年一回「崎アルクンジャー」という名前で、 島の北から南まで縦断して島食の寺子屋のある崎地区まで歩いてやってくる行事があります。 島の北から南まで、google map上では10km。 地図のうえでは読みとれない、勾配のある上り坂下り坂が、 くねくねと続いていて、島の元気な小学生でも大変そう。 普段は歩いて行くことのない崎地区は、小学生にとって未知の世界。 事前学習ということで、小学校の授業の一コマの中で、 「崎地区ってどんなとこ?」を伝
島食の寺子屋の一年間コースへ入学したいという女性が試験を受けにきた。 昨年の日本仕事百貨の記事が、島食の寺子屋を知ったきっかけ。 記事を読んだのが今年の3月31日で、今年の春の入学に間に合わず、 この一年間ずっと島食の寺子屋に入学したいと思い続けてくれていたらしい。 一年間コースに入学したいという方には、現地を見てもらいながら、 島の野菜と魚を使って一品か二品を校舎で作ってもらう。 試験では、作るのは和食じゃなく好きなものを作っていいし、 料理の技術は関係なく、料理への姿
島食の寺子屋は和食の学校ですが、 今日はゲストで中華の茂手木講師をお招きして、 一日だけの中華料理の講座をしました。 和食の学校として、毎日の授業はもちろん和食ですし、 これまでにゲスト講師で来られたのも和食の方だけ。 見るもの聞くもの食べるもの、全てが今までは和食。 これまでストイックすぎたせいか、初めての中華が刺激になりました。 茂手木さんは中華の道60年で、 人生のほとんどを中華とともに歩んできた方。 講義のあいだ、手を動かしながらも、絶えず面白い話をして下さっ
朝晩だけでなく、日中も肌寒くなってきて、 外の空気が一気になにかと入れ替わってしまったような気がする。 島全体の緑が落ち着きはじめ、家の周りの雑草も伸び切ったところ。 夏のあいだは、草刈りをした次の日には、もう元に戻る勢いで、 刈れども刈れどもきりがない。 ここの人たちは、庭の手入れをしっかりするし、 庭といっても、基本的に一軒家であるから、手入れする範囲は広い。 お隣はお婆ちゃんが一人暮らししているのに、いつも綺麗にしている。 島食の寺子屋校舎の前には専用農場があって
後鳥羽天皇がまつられている隠岐神社が、 御創建80周年を迎えた中で大祭を開催している。 鳥居をくぐってすぐのところでは、ちびっこ相撲をやっていて、 応援する大人・子供の声で賑わっていた。 運動会では順位も関係なくほのぼのしているのに、 この相撲大会で負けると子供たちはなぜか号泣する。 土俵という場所、神社という場所になると、 ぶつかり合うことに目覚めてしまうのだろうか。 相撲大会が終わり、夜神楽を見る為に、参道をのぼっていく。 拝殿に続く階段の手前では、崎地区の青年団が
今回は枝豆出荷をお手伝いした時の話。 出荷作業の現場は、昔はタバコの加工場だったらしく、 妙に角ばったタバコの乾燥機がずっしりと並んでいた。 少し早めに着いた現場で、おじいさんが一人でなにやら作業をしている。 近所の人かな?と思い、会釈する程度にして、その風景をなんとなく眺めながら待っていた。 暫くすると、荷台が枝豆の株で緑一色になっている軽トラが着き、 50代位の方がおりてきて、「今日よろしく」と短い一言をかけられた。 作業が始まるのだと、気を引き締める。 よくよく
台風が過ぎた快晴の朝。 風が強かったせいか、家から出た途端に金木犀の香りが漂ってきて、 まだ金木犀があったことを思い出した。 運動会に向かう、良い1日の始まりに感じた。 今回は島内に2つある小学校のうちの1つの運動会。 途中参加だったので、着いた時には競技が随分と進んでいて、 ちょうど綱引きが始まっていた。 島では小学生も大人も交ざって競技をする。 少子高齢化だからこうなるとか、小難しい話はさておき、 みんなでわいわい騒ぐのは落ち着く。 運動会が終わると、恒例の打上げが
ここ最近、色んな時間に島内を移動する。 朝の5時半に出かけることもあれば、 夕暮れ時や、飲み会のあと夜遅くに車で帰ることもある。 住んでいる崎地区とフェリーの着く港を結ぶ道は一本だけ。 かれこれ4年半も住んでいるから、1,000回は同じ道を往復しているはず。 そして、毎日のように同じ風景を目にしている。 「この時期になると、空がこんな色になるんだな」が、 「空がこんな色だから、そろそろこんな時期なんかな」という風に、 時間の捉え方が段々と色任せになってくる。 そういえば
山で生業をしている人を、なんと呼ぶのだろう。 海であれば漁師、里であれば農家。山が思い付かない。 今日会った山の人は、自らのことを「木こり」という。 普段は山の中で木を伐採する仕事をされていて、 山から里に下りてくる時にたまに遭遇してしまう。 まるで熊のようだが、熊のようにワイルドで、かつマイルドな人。 「今日もデンジャラスな仕事でクタクタだよ、恒光くん」と、 よく笑いながら話してくれる。 木こりが本業と言いながら、 実はもう一つ、椎茸農家という本業も持っている。 本業
今年は雨が多めの秋かもしれない。 稲刈りの日程も雨の様子を見ながら、二日待っては一日動き、 また三日待ってから二日動いたりしていた。 気まぐれな天候に自分の予定を合わせていると、 こっちも気まぐれな気持ちになってきて、 普段歩かない山の小道を歩いてみた。 朝は晴れていたけど、午後からは天気予報通りの雨。 雨音が響くほどの雨ではない。 少しくらい濡れたっていいやと道を進み続ける。 雨で薄暗かったせいか、山全体の緑が、実もまだ黄色くない柿の木に覆いかぶさっていた。それでも、
近所のパン屋さんというのは愛着がわく。 メロンパン、あんパン、カレーパン。 場所が変われど、近所のパン屋さんは近所のパン屋さんだ。 島にはときわベーカリーというパン屋さんがあって、ここのパンを食べて育ったと言う島民の方も多い。島というスケールだと、たった一つのパン屋さんが届けるものには、絶対的な存在感がある。 ときわベーカリーはパンだけではなく、常盤堂製菓舗として「白浪」という和菓子も作っている。砂糖と寒梅粉を混ぜた白い生地に、こしあんを詰めたもの。敷き紙から浮き出てくる
稲刈りが終わり、秋の仕事はもう一段落かなと、 少し寂しい気持ちでいたところに、また新たな仕事が入る。 今度は畜産農家の方を手伝うことに。 島では人間の暮らしの中に牛がいたようで、家屋の平面図をみると「牛小屋」という記載があるほどに、寝食を共にしていたのだ。 今では島全体が放牧地のようになっていて、 牛たちが森から顔を出して草を食む姿が見られる。 こんなに自由な管理でいいのかと考えてしまうが、 それでも成立する牛と人間の関係があるのだろう。 畜産農家のご自宅の前に集合がか