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虐待サバイバーが社会で生きるために必要なものは「生きる意味」

はじめまして。
私は虐待環境で育ち、そこから生き延びた虐待サバイバーです。

サバイバーは社会に出てからが1番大変ですよね。
本当に気持ちわかります。

普通の家庭で育った人がには精神的に自立できなかった人間が理解できない。そもそも困難を乗り越えるための心の土壌を親から育ててもらった人には、それがない人のことを理解できない。

だからサバイバーが辛い経験を話したところで「辛いことなど誰にでもある」と片付けられる。そしてそれから心を閉ざしてしまう。

今まで大変でしたね。まずはその自分を承認してあげてほしいです。

私もいまだに「潜在意識に植え付けられてしまった恐怖」や「生き残るための心の防衛」など、あらゆるものと戦っています。


一方で、人生の目的に気づけたことで虐待の経験に意味を見出せるようになり、そのことがきっかけで「レジリエンス(逆境を乗り越える力)」を強く持って人生に向かっていくことができるようになりました。

歴史的惨事である「ホロコースト」があった時代にユダヤ人として生まれ、強制収容所を生き延びたヴィクトール・E・フランクルは著書「夜と霧」にて以下のように語っています

強制収容所の人間を精神的に奮い立たせるには、まず未来に目的をもたせなければならなかった。被収容者を対象とした心理療法や精神衛生の治療の試みがしたがうべきは、ニーチェの 的 を射た格言だろう。

「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」  したがって被収容者には、彼らが生きる「なぜ」を、生きる目的を、ことあるごとに意識させ、現在のありようの悲惨な「どのように」に、つまり収容所生活のおぞましさに精神的に耐え、抵抗できるようにしてやらねばならない。

ヴィクトール・E・フランクル著 夜と霧より引用

この本によると、強制収容所という絶望的な環境を生き延びた少数の人々は、皆「生きる意味、人生の目的を明確に持っていた」といいます。

一方でそれらを持たなかった人はどうなったか

現実をまるごと無価値なもの に貶めることは、被収容者の暫定的なありようにはしっくりくるとはいえ、ついには節操を失い、堕落することにつながった。

なにしろ「目的なんてない」からだ。このような人間は、過酷きわまる外的条件が人間の内的成長をうながすことがある、ということを忘れている。

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ひるがえって、生きる目的を見出せず、生きる内実を失い、生きていてもなにもならないと考え、自分が存在することの意味をなくすとともに、がんばり抜く意味も見失った人は痛ましいかぎりだった。

ヴィクトール・E・フランクル著 夜と霧より引用

つまり人生に意味を見出せず「生きることそのものを目的にしていた人々]
は堕落していったということ。

このアカウントでは虐待サバイバーである私が、「生きる意味、目的」を見つけ、「レジリエンス」を強く持ち、「人生を好転」させるために学んだあらゆる知恵やその過程で得た気づきを余すことなく発信していきます。

よろしくお願いします。


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