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『驚異と怪異』を観た
みんな大好き!みんぱくの所蔵品が福岡にやってくる~!
てなわけで、しばしばべらぼうにエッジの効いた特別展を開催することに定評のある福岡市博物館に行ってきた。
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ちなみに今回の展示は、ある1点の作品を除いてすべて撮影可能である。
2つの博物館が送る、「異」なものへのまなざしと受容をめぐる展覧会
冒頭にも書いた通り、本展覧会は大阪にある国立民族学博物館(通称:みんぱく)で過去に開催した展覧会のリバイバル版だ。
この宣伝文を読むだけだと完全に某漫画の暗黒大陸編である。
しかしそこは知識と歴史の宝庫・博物館の展覧会。しかも長年にわたり世界中で人類の足跡を蓄積してきたみんぱくと、金印からどんたくまであらゆる市の歴史を紡ぐ技量に定評のある福岡市博のコラボである。
この展覧会は単に「変わったもの」「不気味なもの」にゾクゾクさせることを目指してはいない。世界中の、様々な歴史上にいる人たちが、常識や慣習からずれたものたちをどう見つめ、どう認識し、どう形にして、そしてそれらをどのように生活の中で共存してきたかを伝える展示だった。
例えば「ドラゴン:龍、竜」という生き物がいる。
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意匠がそれとなく中世の王族みたいなデザインなのも想像をかきたてられる
今回の展示では、たくさんのドラゴンたちが紹介されていた。それは凧、木像、旗、衣類と姿を変えて、またあるときでは「仮装」という形で人間が「ドラゴン」になる。
ドラゴンはある地域では神様だが、別の地域では恐ろしい魔物になる。その場所場所で役割や姿を変えて、文化の一要素となってきた。その「まなざし」と「受容のされかた」に、多様性があることに気づけた。
そういえばドラゴンという生き物は、姿形は異なるもののウロコに覆われた爬虫類タイプの体、ギョロリとした目、鋭い牙という共通点はどの地域でもたいてい一致している。
これら「ドラゴン」はもともと同じ生き物から派生したのか。それともそれぞれの地域で別のものとして生まれ、いつのまにか同じ「ドラゴン」として一括りにされたのか。想像はつきない。
怪異は現実から生まれる
姿形といえば、展覧会の前半に「ブリコラージュ」という言葉が出てくる。
ブリコラージュとは、フランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロースが著作『野生の思考』(1962)で提示した概念。
~中略~
フランス語の動詞「ブリコレ bricoler」は、ボールが跳ね返る/犬が迷う/馬が障害物を避けて直線から逸れる、といった「非本来的な偶発運動」をあらわす語である。ここから示唆されるように、ブリコラージュとは、計画的に準備されていない、その場その場の限られた「ありあわせの」道具と材料を用いてものをつくる手続きを指す。
ドラゴンをはじめ、今回紹介されている「異質なものたち」― 人魚に河童、悪魔、精霊たち ― は、実在する生き物たちの体が組み合わさって表現されている。
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もうね、この構図と衣装だけでいくらでも物語が思い浮かびますね
ドラゴンをはじめ、人魚に河童、精霊、悪魔などなど、『驚異と怪異』に登場する生き物たちは完全にゼロから作られたわけではない。上半身は人間で下半身は魚、甲羅は亀で体のテクスチャはカエルだけどどこか猿っぽい要素もある…など、すべて実在する生き物がベースとなっている。つまり、『怪異』は『現実』から生まれているのだ。
怪異を象徴する生き物たちは、人間の力が及ばないもの ― 自然の恵みや災害、幸福の訪れ、不吉なものなど ― とツーセットになっていることがほとんどだ。わけのわからないものを、どうにかしてわけのわかるものに落とし込む。そのために「ブリコラージュ」の考え方が取り入れられ、現実のものを分解し、寄せ集めて、再構成する。そうやって怪異を表現したのだと考えられている。そうもしないと、生活の中に受容できないからだ。
この「まなざしから受容までを実現ための手法:ブリコラージュ」の考えを深くするための仕掛けは、本展示の中盤~後半からの展示にあった。
西洋諸国を中心に世界が航路でつながりはじめ、自分たちと違う文化や風土を持つ「異国」という概念が生まれた時代の蔵書たち。「博物学」として動物・植物・鉱物を体系的にまとめる動きもあった一方で、ここでも「異国」を自分たちが持ち合わせの概念を「ブリコラージュ」して表現した事例があった。
西には羽を生やした人間が暮らす国が、南の国には手足が異様に長い人間が暮らす国がある ― 。そんな内容が、数百年前の地図や図鑑には大真面目に書かれている。「おかしな話」だと笑うだろうが、それは私たちが写真やテレビ、インターネットで「異国」がどんなものかを知っているからだ。実際私たちだって、何光年も離れた宇宙の果てにいる(かもしれない)宇宙人のことは、好き放題に想像するじゃないか!
この海の果てに、自分たちが全く知らない国がある ― 。そんなことを、テレビもスマホもない時代に言われた人たちは、何を想像したのだろうか。
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じっくり観るとゾクリとするし、展示を回る前・後で印象が変わるとこが、もう、ね
この展覧会、なんと開催終了日は明日である
ところがどっこい。展示資料の多くは、大阪の国立民族学博物館や福岡市博物館ででまた出会うことができるのだ。明日は行けないよ~!という方でも、ぜひ両博物館には足を運んでいただきたい。
なお芳田は10年くらい前、まだ学生だった頃にみんぱくへ行ったことがあるが、1週するのにほぼ1日かかった。展示資料が膨大なのもあるが、博物館として熱量がすごいのだ。音声・映像のアーカイブあり、実証実験の記録あり、過去から現代、そして未来までの考察あり…と、資料の収集・保管、研究、教育普及の本気を観ることができる。しかも入場料はびっくりするぐらい安い。桁増やしても良いんじゃない…?といつも思っている。
これら両博物館の学芸員さんたちに、心から敬意を表したい。そんな、とても素晴らしい展覧会だった。
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日本一の化け猫スターってなに?
福岡市博も福岡観光にはうってつけです 芳田