あつぎ気候市民会議・アクションプラン素案の議論!
「金木犀の花が咲き出しましたね。金木犀は、桜と並んで、気候の影響で開花の時期が決まってくることで注目されますが、今年は、暑い夏のせいで、約3週間遅れとされています。」
登壇者のこのような言葉で、第5回のあつぎ気候市民会議は、令和5年(2023年)10月15日(日)13時から、本厚木駅近くのアミュプラザ6階601会議室で始まりました。
1.アクションプラン素案の公表
この第5回の会議の前に、会議の主たる成果物となるアクションプラン素案が公開されました。10月8日付けでHPに掲載されたものを添付します。
はじめて見る人には、唐突感がなくはないかと思います。会議の現場を傍聴した私が今まで接して印象深かったのも、個別の課題についての専門家の説明と質疑応答でした。
一方で、全体の成果物に対する作業も進んでいました。第4回の前には、「アクションプラン作成検討の枠組み」という次のような資料が公開されてました。
拡大して見ていただければわかると思うのですが、左から3番目の欄が、「地球温暖化対策実行計画 第5章削減目標の達成に向けた施策の柱」となっています。この「地球温暖化対策実行計画」は、次の「厚木市地球温暖化対策実施計画」です。
https://www.city.atsugi.kanagawa.jp/material/files/group/34/kuikisisaku202303.pdf
そう、このように、厚木市の実行計画があって、その内容を実現するためのアクションプランという位置づけがきちんと示されていたのでした。
最初の素案の右の方を見ていただければと思うのですが、そこには、「市民・市行政・事業者」とあり、「主体者 ●」「協力者 △」とそれぞれの欄のところに印がつけられています。これらからも、アクションプランと市行政の関係が浮かび上がって来ると思います。
2.第5回の会議で行うこと
第5回のスケジュールは次のとおりです。
あつぎ気候市民会議のHPには、このアクションプラン素案とともに、「参加者のみなさまへ「あつぎ気候市民会議レターvol.11」を配信しました。第5回会議の詳細のご案内と事前資料につきまして、ご確認お願いします。」「第5回の分科会のグループ討議では、「アクションプラン素案」の「小項目」の内容について、「進めたいこと、進めるべきだが課題が多くて難しそう、どうすればできるようになるか」などの意見を出し合います。予め小項目の各内容について、ご意見を準備して参加をお願いします。」とあります。
確かに、スケジュールを見ると、グループ討議が2時間半ほどあり、アクションプラン素案をアクションプラン原案にするための議論の時間が採られています。
その前に、シンポジウムということで、全体での専門家からの話を聞きました。
このシンポジウムの冒頭で、今日の進め方が説明されました。そこでは、第4回までの意見等で、中項目まではコンセンサスをほぼ得られていると考えるので、今日は小項目について検討するとのこと。何を選定し、追加するか。実行の困難さも念頭に、推進の度合いを決める、どこまで何を入れるかを議論するとのことでした。それを投票も用いて決めるとのことでした。
「アクションプラン作成検討の枠組み」からの経過を考えると、中項目について、ある程度の合意があったと言えるのでしょうが、どこまでの合意があったかは、傍聴者には、「レター」も届きませんし、細部のやりとりまではなかなか把握できないので分かりません。
特に、立法過程を研究対象としている私としては、その辺りの合意形成や、市にどれだけ気候市民会議の成果を受け止めさせ、内容のある政策をさせるかの議論に一番興味があるのですが、そうしたものに接しそびれているので、若干の「置いてきぼり感」(置いてきぼりにされた感…)を持ってしまったのは事実です。
3.ちょっと感じた「置いてきぼり感」
傍聴者として、最大限、情報収集に努めて来ましたが、現場限定で、それも全部は見ていない者と、会議の前後にメール等でのやりとりもある参加市民との差は小さくないのでしょう。
最初のシンポジウムのテーマが、「普及・啓発」というところでも、ちょっと思うところがありました。
もちろん、アクションプランは、先の資料にあるように、市行政や事業者とともに実施するものであることは頭ではわかっています。この「普及・啓蒙」も、➀この後の、小項目に入れる内容が、どのようなの普及・啓発で実施できるものかが、その行動を小項目に入れるかどうか検討する上で有益ということ、②市行政が動き出してからの、アクターの一人である市民としての活動に有益、という要素があるのは理解できます。
ただ、先程のように「置いてきぼり感」がある中では、「「普及・啓発」は市民より主に厚木市の仕事ではないか」との意識がむらむらと起こって来てしまいました。更に、講師が「ここに集まっている市民の方は、地域のリ―ダ―としての動きをして欲しい」との言葉にも、確かにそういうものが出てくることはあり得るし、あれば良いことでしょうが、気候市民会議は、成果物を市に届けるのだから、その市とどう市民が連携していくかということがポイントになるのでは、というような思いにとらわれ、より一層落ち着かない気持ちとなりました。
シンポジウムの後、主催者側の方に「普及・啓発は主に厚木市の仕事ではないか。」と聞くと、「当然、市もやることで、その中で市民の動きにも期待する」というような趣旨の、整理された答えが返って来ました。
内容の議論は傍聴できても、枠組みや、どう厚木市に受け止めさせるかというようなアドボカシー的議論がなかなか傍聴だけでは感じられず、そのあたり、事務局が頑張って作っている感を持ってしまったのは事実です。ただ、その事務局も、行政が担っているのではなく、専門家と市民の集まりですから、そこでの議論、作業も、十分意味があると思います。今回、掲載した資料を改めて見てみれば、私の過剰反応のなのかもしれません。
とは言え、議論の中から、枠組みを構築する、そのためには、分科会で内容を詰めるとともに、全体で枠組みの議論をし、その中から出て来たものを、極力反映させるということがあって良いのではという意識はあります。今日も2つの分科会で別れて、その中で、グループに分かれて議論し、「(ほかのグループの模造紙も見て回ろう)」とありましたが、それはそれで良いのですが、加えて、全体での議論ということがもっとあって良いのではないかと、思います。
シンポジウムの前の説明でも言われてましたが、配布された資料の言葉として、「たくさん学んで理解した「私」が行動変容することは大事、でもすぐできることは限定的。アクションプランに取り入れたことを無理なく誰でもできる仕組みや基盤を作っていくことが目的(仕組みや基盤をつくれるのは「私」では荷が重い、それはそうです)」「仕組みや基盤ができれば「たくさんの私」が行動変容を起こします。」というのがあります。これはとても良く理解できます。
この「たくさんの私」は市行政が向き合うのが適しているではないでしょうか。条例により市民の権利義務に影響を与えることまでできるのは、市議会の決定を受けた市。気候市民会議がアクションプランを作って公表し、市に報告し、マスコミを通じて市民に訴えるだけでも多少は「仕組みや基盤」の構築にならなくはないと思いますが、主に「仕組みや基盤」を構築するのは、市の仕事、アクションプランを受け止めて、最大限、その実現に動く市の仕事だと思えるのですが。気候市民会議での傍聴できる範囲でも、そうした意識が参加市民に共有され、しっかり議論されるところが、傍聴できる範囲でも見られれば良いなと思います。こちらの勝手な希望ですが。
次回、いよいよ半年にわたる気候市民会議も最終回です。今日、私が勝手に抱いた感情がどう昇華されるかも含めて、是非、最終回も傍聴したいと思います。