「親ガチャに外れた」というのは10,000%言い訳
ここ最近、「親ガチャ」という言葉をよく耳にします。
「親ガチャに外れた」
「親ガチャに当たった」
という使い方をするそうですが、その意味はつまり生まれ育った家庭が裕福か貧乏か、親の経済力によって十分な教育の機会を与えられてきたか、ということらしいです。
確かに育った環境や親の経済力によって教育を受ける機会や育ち方に差が出てしまうのは仕方がないことだと思います。
ですが、そういったことを理由に「だから今の自分はダメなんだ」と言うのは完全に言い訳でしかないと思っています。
十分な教育を受けられなかったから今の自分は貧乏なんだ
親に経済力がなかったから習い事をさせてもらえず、今の自分に才能がないんだ
両親が喧嘩ばかりだったから自分はグレるしかなかったんだ
etc...
言いたいことはわかるのですが、だからと言って今の自分の状況を作り出しているのは、今までに積み重ねてきた自分の選択・努力の結果です。
勉強をしなかった
スポーツに取り組んでこなかった
悪いことに手を染めた
等々、全部自分の意思で選んできたのではないでしょうか。
悪いことに手を染めるしかなかった、悪い人たちとつるむしかなかった、という時期はあるかもしれません。
しかし成長して分別がついた大人になったときに、自分を見つめ直して(自分の意思で)道を正すこともできるのではないでしょうか。
私の周りには、学歴や過去の経歴関係なく社会的に大きな結果を作っている方がたくさんいます。
中卒で起業して億を稼ぐよう事業家になった
高卒で会社を興して他事業展開している
元暴走族なところから有名大学に入って事業をスタートさせた
父親に暴力を受けていたり両親の離婚があったりしたが、有名大学を首席で卒業して一流企業で働いている
その人たちは皆、自分が育った環境がどんなものであれ、どこかのタイミングで自分の将来に対して選択をして、その目標に向けて必死に努力を積み重ねてこられています。
私の周りだけでなく、今も昔も、劣悪な環境で育ったにも関わらず社会的に成功している方は大勢います。
Googleで調べてもたくさんの事例が出てくるでしょう。
その人たちに共通することは、自分で将来の理想を描いて、そのために必要な努力を必死でやってきた、ということです。
能力がなければそれを補うために人一倍努力をし、
秀でたところがあっても決して驕らず
作り出した結果に満足することなく常に自己研鑽をしています。
そして、育った環境がどんなものであれ、親ガチャの結果がどうであれ、「あの環境で生まれ育ったから今の自分がある」と自信を持って話されています。
もちろん、人によって状況は様々ですので、公平に、とはいかないかもしれません。
しかし今の世の中、特に日本においては努力の機会と自分で選択するチャンスは平等に与えられています。
だからこそ、「親ガチャに外れた」と言うのは努力していない自分の責任を両親になすりつけるだけの責任転嫁・言い訳だと思います。
どんな人生を生きたいのか
自分にとっての理想は何か
それを明確に描いて、そのための努力を必死に積み重ねること。
それができれば、育った環境に関わらず将来は明るいと思いますし、逆に努力を放棄するならば「親ガチャが〜〜」と自分以外の何かに責任をなすりつけて愚痴をこぼして生きるだけの人生になってしまうと思います。
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