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質的研究のためのリサーチ・アプリ活用法 Obsidianの思考 Ⅰ-2 PKM/PKGの歴史的推移とObsidian [前編]

このnoteは,Obsidian Advent Calender (2023.12.24) のnote でもあります。
そこで,オープニング画像もクリスマス仕様となっています。


私たちが生きることで失った生命はどこにあるのか?    
私たちが知識の中で失った知恵はどこにあるのだろう?
私たちが情報の中で失った知識はどこにあるのだろう?
私たちが失った情報は、データのどこにあるのだろう?

T.S.エリオット『「岩」からの合唱』(1915)

はじめに

2020年の5月にv0.5.0として限定公開され,2022年の10月にv1.0として正式リリースされたObsidianは,2023年12月現在,さらに進化を遂げつつあります。(正確なユーザー数は分かりませんが,最も人気のあるExcalidraw プラグインは140万を越えているので100万人規模のユーザーがいるでしょう)。

このnoteでは,これまでのnoteで,調査・研究に最適なアプリであるとして捉えてきた次世代型アプリのObsidianを,知識の管理というより広い文脈に位置づけ,このアプリがどのような歴史的潮流の中で登場し,どのような方向に向かいつつあるのかを展望していきます。
そのことによって,Obsidian がリサーチアプリとして最適な機能を持っていることを逆照射できると考えています。

皆さんご存知のように,現在,Obsidian のようなノートアプリが,つぎつぎと登場しています。それを一望できるのが,ティアゴ・フォーテ氏による次の図です。

図1 X(2023-10-29 2:00) by Tiago Forte

この図(クリックすると拡大する)は,前のnoteで紹介した,4つの区分によるデジタルノートアプリの図ですが,前の図に比べてアプリの数が大幅に増加しています。

フォーテ氏は,この図で合計68のアプリを,ノートアプリとして一括していますが,その中身を見ると、Evernote を始めとして,Zotero のような文献管理アプリ,Ulysses のようなテキストエディタなど,さまざまなジャンルのアプリが入り交じっています。
しかし,ここでは,GARDENERARCHITECT に分類されているアプリに着目したいと思います。
(なお,今回も,ObsidianだけはGARDENERAR・ARCHITECTの両者の分類に挙げられ,2つの機能を持つアプリとして捉えられています)。

このnoteでは,この二つに分類されているRoam ResearchObsidianLogseq などを,PKM(Personal Knoledge Management),さらに,PKG(Personal Knowledge Graphs)として捉え,このような次世代型アプリが,なぜ,近年急速に登場し,現在も発展しつつあるのかを考えてみたいと思います。
(この分野で注目すべきTanaが,この図には含まれていませんが,その疑問に対して,この図の分析の段階ではまだTanaは存在していなかったからとフォーテ氏は答えています)。

PKMをめぐる言説

PKM(Personal Knowledge Management)という用語は,日本ではまだ,限られた人にしか知られてはいませんが,ObsdianなどのアプリをPKMとして,あるいは,そのツールとして捉える言説が,しだいに日本でも広がりつつあります。

このnoteの前編では,いち早くPKMなどの方法に着目したjMatsuzaki氏の議論や,その議論も踏まえてPKMとは何かを解説したPADAone氏の議論などを前提として,PKMとは何かを,その歴史的推移を含めて考え,それを踏まえて,Obsidianが,なぜPKMと捉えられるのかを述べたいと思います。

PKMとは個人による知識管理という意味ですが,具体的には,個人が情報を収集,分類,保存,検索,取得,共有するためのプロセス,あるいは管理を行う技術であるとされています。
また,それを実現するためのアプリを指す場合もあります。
(アプリをPKMと特に区別する場合は,PKMアプリPKMシステムなどと呼ぶ)。

ただし,第二の脳と同じく,当然の如く用いられる場合も多く,なぜ,あるいは,どうしてPKMという語を使うのか自覚的でない使われ方もされています。

また,同様の語として,TfT(Tools for Thoghts)LYT(Linking Your Thinking)Evergreen NotesDigital Gardens などの用語が乱立しています。
しかも,それらが一つの言説の中に,論理的階梯をなさずに,並列的に混在したりしていて,第二の脳のように安易な使われ方をすると,今後,混乱を招いていく事も懸念されます。
(第二の脳(セカンドブレイン)の問題点は,次回のnote『Obsidianにとって「第二の脳」とは何だったのか?』で考察します)。

「知識」とはなにか?

PKMとは,個人が知識を管理することなので,PKMを検討する前提として,管理するべき知識とは何か,を考えておきましょう。

知識というタームをめぐっては様々なフレームから考察することができます。
その全体像は,斉藤孝『「記録・情報・知識」の世界』(2004.3.24)が,多様な分野のタームを総括的に紹介しているので,それに譲ることにして,そこでは触れていない次のフレームで考えることにします。

欧米の情報科学では,知識DIKWピラミッド,あるいは理解のスペクトラムという構造の一つのレベルとして整理されています。

DIKW ピラミッドの場合は,次のような図で表されます。
(DIKWピラミッドについては英語版Wikipediaが詳しい)。

図2 DIKWピラミッド(理解のスペクトラム)

一方,日本では,情報アーキテクチャのリチャード・S・ワーマン『それは情報ではない』(原題『Information Anxiety 2』,2000)が2001年に翻訳され,同書でネイサン・シェドロフの理解のスペクトラム(「理解の外観図」)が紹介されたことで,「理解の段階」として知られるようになりました。
具体的には,次のような図が,建築学や情報デザイン学の分野を中心に,よく引用されます。

図3 理解の外観図

図2・図3の2つの図に示されるように,記号としてのデータは文脈(コンテクスト)の中に置かれて初めて情報となり,それが,構造化・組織化された理解を経て知識となり,そして,それらの知識が知恵として集積される,という関係が表現されます。

ここでは,それぞれ,後者の定義は前者の定義によって初めて成立するという関係があることに注意したいと思います。

例えば,38.5というデータが,38.5度の体温という文脈におかれて情報になり,それがコロナに感染した病態での現象であるという情報と結びついて知識になり,その現象が社会的に拡大していることによってコロナ禍として社会的に認知されて知恵となるという具合いに。

このデータ情報知識知恵という概念は,欧米では,長年にわたり情報科学の言語の一部となっていて,情報を論じる場合に必ず前提とされる概念であるとされています。
また,一般社会でも,海外の情報やビジネスの文脈でよく引かれます。

なお,このタームの嚆矢こうし(初発)は,冒頭のエピグラフに掲げた,T.S.エリオットの『「岩」からの合唱』(1915)であろう,というのが有力な説で,この詩では,
知恵は知識に包含され,知識は情報に包含され,知識はデータに包含され,価値を喪失してしまった
という階層構造が成立しています。

先ほどのターム間の定義の問題に加えて,この論理で注意したいのは,ここに価値の優劣が含まれていることです。

そこで,この4つの概念規定については,先ほどの定義,そして価値の優劣の問題を始めさまざまな意見があり(特に,知恵をどう考えるかをめぐる多様な意見),また,全体の構造についても議論があります。

全体構造について,上の二つの図で言えば,図2は,量的な階層性に着目し,図3は,時間的な推移に着目しているといえますが,4つのタームが,このような順番で階層的・時間的に推移すると捉えて良いのかという議論があります。

このような観点から,DIKWピラミッドについて詳細な批判を加えているのが,後編で詳しく取り上げるイヴォ・ヴェリチコフ(Ivo Velitchkov)氏です。

DIKWピラミッドは、特に知識に関して、データー情報ー知識を論理的な順序として示している点、データと情報の「レベル」にいる人々を無視している点、データを事実として定義し、情報を文脈上の事実として定義している点に問題がある。

Do We Still Worship The Knowledge Pyramid?

つまり,上に書いた,(1)論理的階梯とすること,(2)定義の入れ子の問題,ですが,加えて,(3)データ・情報レベルでの人々の問題を挙げています。

(3)は,データ・情報の意味は,それを受容する人(観察者と言っていますが),そして,その人の他者との相互関係(コミュニケーション)によって変化していくのであり,DIKWピラミッドでは,意味を形成する人間の視点が抜けてしまう。ということを述べています。

次に,上記のフレームから話を変えて,人工知能にもつながる情報工学的視点からは,異なる範疇はんちゅうで捉えているのではないかと思います。

すなわち,データ知識それぞれが情報であり,また,その総体が情報であると捉えられていると思います。図にするとこんな感じでしょうか?

図4 情報のネットワーク・グラフ

以上を踏まえて,ここで強調しておきたいのは,図4のネットワーク・グラフで表されているように,そして図2図3図4,どのフレームを採用するにしても,それぞれの関係性が重要であることがわかります。

結論的に述べれば,個人かどうかに関係なく知識管理(KM)とは,データ・情報の関係性を適切に管理することにポイントがあると,わたしは考えています。

PKMの成立

以上の前提知識を踏まえて,PKMという考え方が,どのように成立したのか述べていきます。
わかりやすいように,基本的なタームとその論理的・歴史的階梯を図に示しました。

図5

このうち,青字は情報工学的観点(技術的観点)からの分類なので,後編で説明することにして,前編では黒字の部分を説明します。

この図の黒字の部分を簡潔にまとめると,
今回主題としているPKMが登場した背景には,ナレッジワーカー(知識労働者)の登場があり,その階層を対象としたKM(ナレッジマネジメント)が要請され,それが,OKM(Organizational Knowledge Management)として発展し,PIM(Personal Information Management)からの影響も含めて,PKMへと発展した,
ということになります。

PKMの登場を歴史上に位置づけると,産業資本主義の変容のもとでの,経営学的視点を抜きには考えられません。
それは,PKMのMがマネジメントであることに端的に表れています。

ナレッジワーカー

ナレッジワーカー(知識労働者)という語は,経営学者のピーター・ドラッカーが,1968年(原著)に出版された『断絶の時代』(邦訳1969)で,知識こそが資源であると主張し,知識産業時代を予測して生まれた概念です。
(その後,金融業やIT産業によって牽引され知識産業化が進展する)。

ナレッジワーカーは,情報をまとめ、新たな価値を創造したり、新たな問題を発見して解決方法を企業に対して提示する労働者として位置づけられました。

KMからOKM(Organizational Knowledge Management)へ

その手段がナレッジマネジメント(KM)であるわけですが,それに大きな影響を与えたのが,1990年に野中郁次郎氏が考案し,竹内宏隆氏との共著 『Knowledge-Creating Company』(邦題『知識創造企業』)(NewYork,1995)で提唱されたSECIモデルという経営理論です(両者はあとで触れるUCLA MBA出身)。

SECIモデルのもとになったのは,1970〜80年代に世界的成功を収めた,自動車産業に代表される日本企業でした(現在からは想像できない 😅)。

そして,日本企業が成功をおさめた要因は,人間一人ひとりの体験に根ざした個人的な知識(Personal Knowledge)であり,特に欧米とは異なる主観的・直感的な暗黙知が競争力の源泉になったとして,欧米の形式知に対比して,両者の相互転換の過程こそが,今後のイノベーションのもとになると主張しました。

(この暗黙知と形式知という知識のフレームは,上のフレームとは大きく異なっていて,古くはフロイトや,現在でしたら,認知科学で検討の対象となるフレームでしょう)。

SECIモデルは,個人が持つ知識や経験を集約し、組織全体にノウハウやスキルを共有した上で、新たな知識を生み出していくためのフレームワークです。

それがアメリカの企業経営に有効であるとして採用され,その後,世界的に大きな影響を与え,ナレッジマネジメントという考え方も広がっていきます。

このモデルを企業で採用したのが,OKM(組織的知識管理)です。

OKMは,組織(企業など)の知識が,現場を通して社員一人一人に伝わり、個々の社員が,経験とともに各人のもとで洗練させた知識を,また,組織へフィードバックして,組織の成果に貢献する流れをモデル化したものです。

PKMの成立と普及

以上のように,企業でナレッジマネジメントが採用されたのは,当時の産業の高度化による訳ですが,しだいに研究者による研究も進んでいきます。

経営学を中心に,哲学・認知心理学などの成果が,ナレッジマネジメントに取り入れられます。

また,さまざまな情報アイテムを収集するという,パーソナルな情報管理の方法であるPIM(Personal Information Magagement)も参考にして,ナレッジマネジメントの理論が構築されていったわけです。

そして,その理論を,UCLA MBA(UCLA Anderson School of Management)というビジネススクールで,学生を対象に実践したのが,PKMの始まりです。

ここの教員だった Jason Frand と Carol Hixon による論文「Personal Knowledge Management : Who, What, Why, When, Where, How?」(1999)が,PKMの最初の論文であり,MBAでの実践を詳しく述べ,この論文によってPKMが知られるようになりました。

そこで,この論文の概要を紹介します。

まず,著者達はPKMの目的を次のように述べています。

21 世紀に社会人生活の大半を過ごすことになる私たちの学生は、コンピュータや関連技術を自分自身の延長として、過去数百年間鉛筆や羽根ペンがそうだったように,重要な道具として捉える必要があります。
・・今やパソコンはどこにでもある。パソコンが普及し、コンピュータネットワークがつながったことで、情報の量も増え、その情報を探す手段も増えました。
パーソナル・ナレッジ・マネジメント(PKM)は、コンピュータを活用して、個人が爆発的に増加する情報を有意義に管理しようとするものです。

同上論文

そして,PKMは,個人一人一人が,重要だと感じた情報を整理・統合し、個人の知識基盤とするための概念的枠組みであると定義しています。

PKMが導入された背景としては,引用のように,コンピュータの進化,そのコストの低下,ネットへのアクセスの増加,ネット上での情報の急成長,つまり,本格的な情報社会のもとで,情報過多の状況が生じたことを指摘しています。

それを乗り切ることが,個人に必要とされるようになったので,ランダムな情報を整理・統合して管理するスキルを身につけるをことを目的にして,学生が,テクノロジーを使って情報を管理し,その情報を知識に変換するための枠組みを学習できるように,PKMのプログラムが開発されました。
その後,企業でもその成果が認められ,研修にも用いられるようになっていった。

以上が,この論文で述べられているPKMの始まりです。

その後,アメリカでは,ハーバード・ビジネススクールやスタンフォード大学の経営学部など,ビジネス関連の大学がカリキュラムに取り入れています。
また,オンラインでも,CourseraやUdemyというプラットフォームで,PKMに関するコースやトレーニングが提供されています。

一方,多くの企業や組織でも,PKMを重要なスキルと位置付け、従業員に教えるためのトレーニングプログラムを提供しています。

PKMは,とかくPKMアプリの使用法として語られがちですが,このように,個人レベルや社会的レベルでのスキルの向上,という文脈のもとで使われてきた事に注意が必要です。

まとめ

以上をまとめると,PKMは,知識産業化時代に対応して,
(1) まず,OKMとして,生産性の向上という目的の下で産業界の要請により広がり,
(2) その後のデジタル社会への対応として,個人の情報能力の向上のための教育手段として採用されていったわけです。
この二段階の過程で,理論も,精緻化され,普及していったということになります。

【アメリカの論理的思考を育む教育について】

ところで,PKM教育は,テクノロジーを活用して,知識を収集したり整理するという,自己学習のスキルを向上させるための方法を習得させるものです。

ここで想起されるのは,アメリカの初等・中等教育における,エッセイを書かせる教育と,シンキングマップを使った教育です。

(1) アメリカで書かせるエッセイ(このエッセイは日本で言えば小論文)は,ブレインストーミングでアイデアを出し,アウトラインを作成し,ドラフトにまとめ,原稿を書いて編集・校正をしていくというように,段階的に指導する徹底的にシステマティックな教育方法です。

このような作文の技術を教えるアメリカの教育に対して,表現方法や気持ちを書かせ,感性を育ませる(感想文を書かせる)ことが主流になっている日本の作文教育とは,大きな違いがあります。
このため,大学入試のための小論文指導や,大学でのレポート指導で,教員も学生も苦労するわけです。

※この違いについては,渡辺正子『納得の構造』が詳しく述べています。
他にも,同『「論理的思考」の社会的構築』でのフランスのディセルタシオンの分析による日・仏・米の比較研究が重要です。

(2)シンキングマップ(思考図)を使った教育方法は,アメリカのプレスクール(幼稚園から小学校)で,社会・理科・国語などの教科を超えて実施されています。

シンキングマップは,アイデアなど自分の考えを図式化(可視化)することを目的として,その概念や目的,モデルとなるシンキングマップ(ベン図やマインドマップ・ネットワーク図など)の提示,生徒のアイデア出し,自作,プレゼンテーション,ディベート(討論)などの段階を追って指導します。
つまり,思考の図示化によって,生徒の思考を育むことが求められるのです。

※シンキングマップについては,日本語の文献としては,大庭コテイさち子『考える・まとめる・表現する―アメリカ式「主張の技術」』を始め,同氏の著作があります。

なお,シンキングマップなどの具体的な情報の可視化(情報デザイン)とその効果については,川喜多二郎のKJ法ゼッテルカステンなどを認知科学の観点をもからめて,あらためて論じたいと思います。

以上,PKM・エッセイシンキングマップで見たように,論理的思考を育むためには,徹底的にシステマティックな技術的指導をする教育が必要です。

それに対し,こうした技術が論理的思考を生み出す(前提となる)という考え方が,日本では極めて不十分ではないかと思わざるをえないです。

そして,このような技術的教育の不足が,意見や議論において理性と感情を分離できない社会を生み出しているのだと思います。
※詳しくは,小野俊太郎『デジタル人文学─検索から思索へとむかうために』

この議論を発想した論理と仮説

実は,この3つをめぐる議論は,PKM→アメリカの技術教育→エッセイ・シンキングマップという関係性で思いついたものですが,この太字の部分は正確ではないです。
(文章では,正確には表現できない)。

アメリカの技術教育からは,二本の線(グラフで言えばエッジ)が出て,それぞれ,エッセイと,シンキングマップへと繋がります。

それを,ネットワーク・グラフで書くと,アメリカの技術教育を中心点として,PKMエッセイシンキングマップへ外側に向かって,それぞれエッジが延びる図になります。
(あえて図にしないので,思い浮かべてください)。

これが,リニア(文章)ノンリニア(グラフ)の違いです。
いつも書いているように,頭の中の発想は,常にノンリニア(二次元)の形をとっていて,文章(一次元)では,正確には,表現できないです。

ここに文章の限界があるので,知識を管理するためには,図(シンキングマップ・コンセプトマップ・グラフ)を書くという必然性が生まれます。

さらに,この文章を書きながら思いついたのですが,アメリカの教育で行われる,初等・中等教育でのエッセイシンキングマップ,そして高等教育でのPKMの3つは,論理的階梯を持つという仮説を立てられそうです。

つまり,二次元的な思考・アイデアを育むのがシンキングマップで,それをエッセイで直線的な文章に変換する。
その両方の機能をもち,実現できるのがPKMである。と。

そうであれば,アメリカの教育は極めて合理的であるわけです。
(もちろん,すべてのアメリカでの学校教育,という意味ではなくて論理的にはという意味です)。

PKMをめぐる議論

ついでですが,建設的議論のために,PKMをめぐるひとつの意見を採り上げてみます。

海外の最新テック・カルチャー情報を発信するある方が,X(旧ツイッター)で,Roam Research などPKMを,セカンドブレインと一括して(わたしはこの立場を取りませんが),次のツイートをされました。

セカンドブレインの課題(限界)として,
(1)何をメモするべきかは後でしか分からない
(2)メモ内の情報の整理が決まっていない
(3)追加のワークフロー/アクションがかかる
(4)一つの整理の方法が全てのユースケースに(は)適応しない

X(2023.05.11)

さらに,続くツイートで,最新のAIアプリを使って,AIに会話をはじめとして,全ての情報(「完全な記憶」)を提供するのが,次世代セカンドブレインである。

そして,AIがノートを作り,ユーザーの行動や思考データをベースにアクションを起こしてくれ,「誰もが秘書を持つ」時代がくる。と述べています。

この意見は,PKMはいったい何をするものなのか,AIはPKMの代替の機能を果たしてくれるのか,という,このnoteにも関わる重要な論点です。

わたしは,AIのさまざまな可能性を否定するものではないし,すでに使用していて恩恵も受けています。

しかし,ここで論点としたいのは,引用した部分,すなわち,PKMの「課題」(というより限界)こそ,PKMの果たす役割なのではないか。というものです。

より正確に書くと,PKMは,それを使用する人間が,試行錯誤を経て,課題を克服して,新しい発見や創造を実現できるツールなのではないか,ということです。

ツイートの文章を,私の考えるPKMに言い換えると,
何をメモし,整理するかを,ユーザーが決定・実行し,その結果,アクションを起こし,また,時に,その方法を変えてみることによって,新しい方向を見いだす行為が,PKM(知識管理)である。
ということになる。

それをPKMの制限であるとして,AIに期待するとしたら,人間の創造的営みを自体を否定することになる。それは自己否定であり,つまりは,人間はいらないということになるのではないか?

賛否は別として,このnoteの最初から述べてきたことを踏まえれば,この意見を理解していただけるのではないかと思います。

なお,ツイートされた方は,アメリカで教育を受け,「日本には議論の場が少なすぎる」,「わたしたちも疑ってほしい」と述べている,至極まっとうなクリティカル・シンキングの持ち主なので,ここで議論を提起させてもらいました。
このことを述べている記事も貴重なのでぜひ,ご参照ください。

ObsidianのPKMとしての使用例

前編の最後に,Obsidianで,どのようにPKMが実現できるのか,具体例を示して説明したいと思います。

下の画像は,Obsidianで「創発」という語を,全文検索してみたものです。
このnoteを書いているときに,創発を使っているnoteはどんなものがあるのだろうと,ふと思ったのがきっかけです。

検索したVault(収蔵庫) は,4万5千ファイル余りありますが,約1分で検索できます(iPad M1の場合)。

図6 創発検索画面

左画面には,文献についてのノート,右画面には,Webから取り込んで作成したノートが抽出されていますが(Emojiで一目瞭然です),内容的には,認知科学・文化人類学・現象学・ロボティックスなどの分野であり,約600ヵ所,「創発」の語が,タイトルに含まれていたり,本文中に存在していることが分かります。

(ちなみに,自分の専門分野に関わる文献や史料などは,別のVaultに分けて,検索時間の長期化やノイズを避けています)。

この検索結果を見ると,もしかしたら,ノイズだらけだと感じられるかもしれません。

しかし,必ずしも,そうとは言えないと思います。
その1つの理由は,これらのノートは,自分自身の問題関心にもとづいて集積されたものだからです。

いままで述べてきたように,PKMは個々人の知識管理システムなので,各人独自の志向性がそこに反映されます。

また、2つ目の理由としては,この抽出されたノート名を見ていくと,各ノートの内容が「創発」に関わっているであろうということも,自分の視点から想像できるからです。

ただし,これはValutすべての文から抽出したものなので,この中から有用なものを絞って,ノイズを除去して利用可能な状態にしたいです。

そこで,「創発」というノートを開いて,そこにリンクさせるべきノートを探していきます。
それが,次の画像です。

図7 創発のノートとバックリンク

これは,左側に,創発のノート,右側のサイドノートに,そのノートのバックリンクを表示した画像です。

バックリンクは,Obsidianなどの次世代型アプリに搭載されている機能です。

基本的には,創発のノート側ではなく,他のノートの側で,創発ノートに対してリンクしているノート(リンクされたメンションと呼ぶ)を表示するもので,創発ノートの側からリンクしておく必要はありません。

さらに,上の検索の結果では,他のノートの側でリンクしていなくても,あるノートの本文中にその語(ここでは,「創発」)がある場合には,リンクされていないメンション(つまり,リンクできるよ!)とサジェストしてくれる便利な機能です。

この例では,人類学の知見(『森は考える』)を創発という観点から考えてみるために,画面のリンクの部分(赤丸)をクリックして,「創発」ノートにリンクさせました。

それをグラフで表してみると,次の画像のように『森は考える』ノートが「創発」ノートへリンクされたことが分かります。

これによって,『森は考える』が「創発」の具体的な検討対象として,わたしの操作によって選定されたわけです。

図8 創発のグラフ

この事例では,双方向リンク検索バックリンクという,PKMとしてのObsidianにもともと付属している機能のみを用いています。
(後半で解説するグラフ機能を用いてはいない)。

しかし,この一連の操作によって,情報間に新たな関係性を明示することができました。

ところで,このようなPKMの方法の有効性について論じた論文が,今年(2023)発表されました。

※Fabrice Gallet「The decisive role of the unintentional part of knowledge in PKGs」(ファブリス・ガレ「PKGにおける知識の非意図的部分の決定的役割」)。

そこで,以下,この論文を紹介して,上の例が何をもたらしているのかを,もう少し解説します。

この論文は,後編で紹介する Ivo.Velitchkov,George Anadiotis編による『Personal Knowledge Graphs』の一論文で,ネット上では,2022年からアブストラクト(要旨)が公開されていました。

実際の刊行書では,執筆者・章立て・内容共にかなり変更されましたが,ガレ氏はアブストラクトで,この論文の目的を次のように述べています。

(1) PKGは私たちの知識を新しい視点に広げ,疑問を投げかけ,豊かにする新しい角度を提供することができる。
(2) PKGは我々の知識の意図しない部分を増やすだけでなく、それを探索し、明示化し、活用することを容易にする。
(3) それにより,直線的な文章という媒体に体現された知識に対して,より対話的な関係を支持する

Past, Present, and Future of PKGs Abstracts(現在は削除)

注意したいのは,ここで使われているPKGという語は,後編で検討する明示的規則の下で形成されるナレッジグラフ(本来のPKG)ではなく,上記の事例で用いた機能など,もともとのPKMの機能を用いることで,PKMの機能の範囲内で実現する事実上のPKG,あるいは本来のPKGに対し,範疇を拡大した拡張版PKGであることです。
(以下,カッコを付けて,「PKG」とする)。

ここでの「PKG」は,あらゆる種類の情報を,あらかじめ確立されたスキーマなしに,簡単にリンクさせることができるノートアプリのことを指し,この「PKG」では,グラフ理論やナレッジグラフ(KG)の規格の知識は必要ないものとしています。

(そこで,この論文では,拡張版PKGに対し,本来の意味におけるPKGKGと称して区別しています)。

また,上の目的の(3)は,文章のリニア(直線)的知識に対して,ノンリニア(ネットワーク)な知識を意味すると解しておきます。

ガレ氏の論を,わたしが操作した,上記の例に関係する部分だけに限ってまとめてみましょう。

図8を改めて見ると,図の上部に表されるように,[[創発]]というノ―トを介して,人類学の[[創発]]の知見と,人工知能の[[創発]]の知見がリンクして関係性をもつ(いわゆる2hops Link)。
ここにあたらしい視座・視点が生まれる可能性がある。

ここに生まれた関係性は,規則を制定することによって,自動的に現れる関係性(本来のPKG)ではなくて,自然言語(日常用いる言語)につながるファジーな関係である。

ガレ氏は,こうして,規則によって明示される関係を意図的関係(Intentional relations)と呼び,ファジーな関係を半意図的関係(Semi-intentional relations)と呼ぶ。

そして,半意図的な関係は,熟考された知識や関係の類型化ではなく、それを操作した人物の経験的なノウハウに基づいて生まれたものであるとする。
(わたしが,人類学での創発をリンクさせると新しい何かが生まれるのではないか,と予感した)。

なお、この予感で行った操作の結果は,暗黙知という概念をもともと提起した,マイケル・ポラニーの暗黙知に近い作用ではないかと思われます。

※野中氏が言う,もともと個人の無意識な状態を示す暗黙知に対し,ポラニーは,思索や仕事や制作のある時点で創発された知,あるいは,方法として生み出される知暗黙知と呼んでいる。
※ポラニーと野中氏の違いについては,松岡清剛氏の指摘があります。

話をガレ氏の論に戻すと,さらに,非意図的関係(Unintentional relations)がある。

[[創発]]というノートに,「創発とは部分の性質の総和に止まらない[[特性]]が,全体として表れること」という文があるとする(ここでは,「特性」という語にリンクを張ってある)。

そうすると,ノートのタイトルの[[創発]]と[[特性]]という語が,それぞれリンクの対象になっていて,「創発」と「特性」という言葉自体は,本当は,文章を構成しなければ意味的に繋がっていないのに,両者が「創発」ノートによって勝手にリンクされてしまう。

もう少し簡単な例で言うと、ブログで見たことがありますが,[[自然言語]]という単語にリンクが付くべきなのに、[[自然]]で自動的にリンクされてしまっていることで,非意図的関係が生まれてしまっている。

このような非意図的関係がノイズになることを避けるためには,ノイズになるようなリンクをむやみにつけないで,上の具体例で説明したように,バックリンクリンクされていないメンションという機能を使って,自分の判断で意図的にリンクをすることでノイズを避ける。

以上のように,ガレ氏は,意図的関係と,半意図的関係と,非意図的関係の3つの関係性が,PKMアプリで出現するとします。

そして,PKM自体がもともと持っている,半意図的方法と非意図的方法を効果的に使うことによって,私たちの知識を新しい視点に広げ,豊かにすることができ,また,新しい視角を提供することになると主張しています。

以上は,わたしが,上の事例で具体的に示した方法に即応した考えだと思います。

この論文は,Roam Research で実例を示しているので,Obsidianには合わない部分もあります。
しかし,以上で,わたしが掲げた具体例についての理解度は深まったのではないかと思います。

ただ,PKMとPKG3種類の関係はつかみにくいので,次の図9にまとめて見ました。

この図では,
(1)PKGはPKMに含まれるが,PKMの進化した形態である。
(2)ただし,厳密な意味でのPKG(意図的関係の生成)でなくても,PKMの中には,PKM自体の機能を効果的,あるいは適切に使う事で(半意図的関係非意図的関係の生成),実質的なPKG (カッコ付きの「PKG」)の機能を持つアプリがあり,PKGに近づいている。
(3)PKMの中には,本来の意味であるPKGとしての機能を持つものもある(まだ,この点については何も述べていませんが)。
ということを示しました。

特に(3)について,PKGとは何か自体の説明はしていないので,話が分かりにくかったと思います。
後編を読んで頂き,もう一度,ここの議論に戻って頂ければ,もう少し分かるかな,と思います。

図9 PKMと3種類のPKG

おわりに

では,ガレ氏が言う意図的な関係として構築される,厳密な意味におけるPKGとは何か?
また,それはどのように成立したのか?
合わせて,このnoteの冒頭に記した疑問=なぜ次世代型アプリが,近年,急増したのか?

これらの疑問は,後編で解答を出し,また,合わせて,現在のObsidianが本来のPKGとしてどこまで機能するのかを説明します。

これで前半のPKM編は終了ですが,あらためて述べておきたいのは,PKMは,個人が自分の創意工夫によって,データから情報を得て,情報から知識体系を作り出す手助けをするツールであることです。
PKMとのインタラクション(相互作用)を通じて,新たな創造を実現することができるでしょう。

後編は⬇️からどうぞ。


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