最期の時を待つ!看取り看護!
こんにちは!河村一樹です。
僕は精神科の病院で看護師として働いています。
精神科病院といっても最近は、患者さんの高齢化もあり介護施設のような感じになりつつあります。
これも時の流れなのでしょう。
先日、1人の患者さんがお亡くなりになりました。その最期がとても安らかで素敵な最期だったと思い書かせて頂きます。
認知症のお婆さん
田中さん(仮名)は介護施設から当院へ移ってこられました。
認知症が悪化して、妄想が活発になり食事がとれず職員に暴力も出るようになり当院で治療することとなりました。
90代の寝たきりのお婆さんですが、足腰は立たないけど手は良く動く方でした。
僕が初めてその方と対面した時は「あんた!黒田さんか!あっちいきんさい」と言われ怒られました。
男性をみると皆「黒田さんか(怒)」と怒っておられて、きっとその方にとって嫌な方だったのでしょう。
でも治療を続けるにつれて、妄想は落ち着いてきて怒ることは少しずつ減っていきました。
ただそれと同時に食事の量も減っていきます。
最期の時を待つ
90歳を過ぎて体力も落ちていることもあり、食事は多くは食べられる方ではありませんでした。
1日1食の時があったり、まったく食べれない日もありました。点滴をして栄養を入れますが、次第に体力は衰えていきます。
ご家族はきっと寿命は長くないということを納得した上で、できる限りの治療をしていくことになりました。
徐々に点滴をする日が増えてきて、最後のほうは24時間点滴をしていました。
耳元で名前を呼ぶと、時々目を開けて頷いたり言葉を返してくれるのが救いでした。
食事を持っていくと「もう私は向こうにいくから、あなたが食べなさい」と言われることもあったり自分のことは理解しておられる感じを受けました。
最後の1ヶ月は、妄想が活発で怒っていた時とは違い「ありがとう、ありがとう」とよく口にされていました。
看護師としては、もう天命を待つだけということが見てとれるのでなんとも言えない心境です。
待っていた人
最期の日、たまたま僕は勤務でした。
入院から3ヶ月、面会制限もありご家族とは会えないままでしたが、この日は主治医から娘さんと面会させたいということで、車椅子に乗り個室で娘さんと面会して頂くこととなりました。
もともと小柄な方でしたが、車椅子に乗る時に抱えるととても軽かったです。
娘さんの待つ外来の個室に、田中さんをつれて行き「ご家族が来られてますよ」と声をかけるとうっすら目を開けられました。
最初の数分はよく分からないいった様子で目を閉じてしまわれました。
耳元で声をかけてあげてくださいとお伝えして、娘さんが声をかけると頷かれるようになりました。
そして、娘さんの言葉に弱々しくもはっきり言葉を返し頷いておられました。
ここまでハッキリと会話が成り立っているのを聞いたは、僕は初めてのことで驚きました。
約10分ほどだったでしょうか、親子2人だけにして、僕は廊下から聞こえてくる会話に耳を傾けつつ待っていました。
この時に僕が聞いたのはいくつになっても親子だなというもので、心を打たれるようでした。
お話が終わり、僕は病棟まで田中さんを送り届けました。
・・・
それから5時間後
田中さんは息をひきとられました。
とても安らかないい表情をされていたそうです。