歪んだそれに名前はない 10|連載小説
喜美さんは、しばらく晴れ渡った海を見詰めていた。
俺は喜美さんの横顔をじっと見ていた。
確信を喜美さんにぶつけたい思い、聞きたい事は沢山ある…なのに上手く言葉が頭に浮かばない。
それでも俺は………
「喜美さん、喜美さんは、お」
「翼くん。」
喜美さんがこちらを真っ直ぐ見るその瞳に気圧され、俺は言葉を発せなかった。
「翼くん。 過去を振り返っても、良い事ばかりじゃないの。
そこにあるものを聞いてしまったら、翼くんはきっと一生重い荷物を背負うことになる。
そんな事、ご両親は望むかしら? 愛情は確かにあるのよ。確かにあるから、貴方をここまで育てたの。愛してるのよ…、それは本当なのよ……きっと」
俺は唇を噛んで聞いていた。
「喜美さんは…そんなんで納得したんですか?それで手放した息子は幸せだと信じて、何処かで生きてるならそれで良いって、そう言い聞かせて…自分の都合良い様に全て摩り替えたんですか?」俺の頭は怖いくらい醒めていた。
喜美さんなら……俺の本当の母親なら分かってくれると一瞬でも思った自分が阿呆らしい。
結局離れてしまえば他人だ。
「翼くん…」
喜美さんが何か言おうとしたが、俺は頭を下げてその場から走って駅まで向かった。
「くだらねぇ……」
笑えてくる。自分のガキみたいな弱さに。
二度と誰も信じねぇ。信じて馬鹿見るのは、いつだって弱い奴だ。なら、強くなればいい。
兄ちゃん。
俺はもう……祈る事は辞めるよ。
あの日から一週間後、例のロッカーに物を取りに行った。
小さな封筒が置いてあった。それをデニムのポケットに押し込み、フードを被り俺は母親の病室へ向かった。
携帯には、親父から数回の着信。
家に戻っても親父はずっと病院に詰めてたらしく、顔を会わす事はなかった。
もうどうなっても構わない。
親父も母親も、誰も彼も。
俺に構うな。
面会時間はとうに過ぎてる。それでも構わずに、病室のドアをそっと開けた。
親父は今日は帰ったようだ。
益々貧弱になった、母親の眠っている顔を見た。
蒼白く、ふっくらしていた頬も痩せ唇も薄い青に変わっていた。
「…つ、ばさ…?」
俺は一瞬ドキっとしたが、いつもの無表情を装って「何だよ、寝てたんじゃないのかよ」
冷ややかにそう言った。
「気配で…気付いたわよ…」か細い声で、ほんの少しの笑みを浮かべ少し焦点の定まらない視線で、俺を見ている。
「どうなんだよ、調子」
「もう…時間があまりないみたいね…」
母親は特別な事を伝えてる顔はしていなかった。
当たり前の事を話している、そんな顔で小さな呼吸を繰り返している。
「翼……凛ちゃんが…来たわよ」
「え…凛が?」
「翼に連絡…取れないから……私に話を…しに来たのよ」
「話…?」
「…凛ちゃん…妊娠した……って」
[ᴛᴏ ʙᴇ ᴄᴏɴᴛɪɴᴜᴇᴅ]
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