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歪んだそれに名前はない 02|連載小説

霞む視界に、かつて愛を誓った人が微笑んでいた。
「…………」
私が発した言葉も、彼が発した言葉も何も聴こえなかったけれど、私達は愛の言葉を交わしたんだと安心して、私は彼の胸に飛び込んだ。

逆さまに落ちて行く、落ちて行く景色を私は幻覚の中で何度も見ている気がした。
私の手を振り解き……あの人は遠くへ逝った。


母親が病院で処置を受けている間、俺と親父は一言も交わさずに、じっと待合室のソファーに座っていた。
居た堪れなくなった俺は、外に煙草を吸いに出た。

無性に彼女の声が聴きたくなった。

「もしもし…」少し元気のない声が、携帯の向う側に今彼女が居るという事を、現実として俺に教えてくれた。
「もしもし、ごめん。こんな時間に…」
少し震える声でそう言った俺に、彼女は少しの沈黙を守った。
俺は何から話せばいいのか、頭の混乱を収めようとしながら必死に考えた。
「あのさ……俺、謝らなくちゃ、凛に」
「謝る?……どうして?」凛は、いつもの透明感のある声で小さく聞いてきた。
「何も謝らないで」凛は、キッパリとけれど優しい声で言った。
「私は、翼の全てを知らないけれど…けど、きっとすごく辛い経験をしてきたんだって、それ位は分かるよ」
凛の声が震えている。
俺は何も答えられずに…気付いたら携帯を握り締め「ごめん、凛。ごめん…」

そう言いながら、生まれて初めて声を出して泣いていた。
凛は「大丈夫、…大丈夫。傍に居る。…ずっとずっと、翼の傍に」

月明かりに照らされ、手から落ちた煙草は短くなり、残り火で灰になろうとしていた。


高校に上がる前まで慕っていた、近所に住む兄ちゃんは5歳上だった。
男気があり、端正な顔立ちで同性の俺から見てもかっこいい男で、俺の憧れだった。
兄ちゃんの家も、うちと変わらず家は裕福だが、家庭内は崩壊していた。
そんな兄ちゃんの部屋に遊びに行くと、必ず掛ける音楽があった。

ボン・ジョヴィの「Livin’On A Prayer」だ。

『俺たちはまだ道半ば
毎日を祈りながら生きている
手をつないで、うまくいくって誓うから
毎日を祈りながら生きている
毎日を祈りながら生きている

堪えていこう
準備ができててもできていなくても
戦うために生きているんだ
君の持っているすべてを使って』

兄ちゃんが教えてくれた歌詞。
「俺、この歌詞に救われて生きれてるんだよ。
なあ、翼。今が悪くてもよ…未来は分かんねぇだろ?未来は決められてねーからよ。自分が決められるんだ。だから、翼。お前も諦めんじゃねーぞ」

そう俺に言った日から半年後、兄ちゃんは家を出た。
愛する彼女と一緒に、彼女が生まれ育った故郷に兄ちゃんは旅立った。
見送った早朝に、兄ちゃんがくれたCDは、今も俺の本棚に飾ってある。

『祈りながら生きている…』
兄ちゃん…、久しぶりに会いたくなったよ。


突然携帯の着信音が鳴った。
親父からだ。

[ᴛᴏ ʙᴇ ᴄᴏɴᴛɪɴᴜᴇᴅ]


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