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歪んだそれに名前はない 03|連載小説

「もしもし」
慌てて出た携帯から聞こえて来た親父の声は、重苦しかった。

「病室に来い」
それだけ言って切れた。
ざわつく胸を、どうにか冷静に保とうと努力しながら、最上階の個室に向かった。

「あーあー、翼…翼ね…来てくれたのね。私の可愛いたった一人の息子。今まで何処に行っていたの?ママ探したのよ、いっぱいいっぱい探したわ。おもちゃ売り場にまたいたの?欲しいものがあったら言いなさい。何でも買ってあげるわ。
そうだ!帰りにいつものレストランに寄りましょうね。翼の大好きなパフェ、食べましょう!」

俺は無邪気に早口で捲し立てる母親に、きつく抱き締められ身動きも取れず、そして何も言葉が出なかった。

看護師が「ほら、お母さん、落ち着きましょうね。もう大丈夫ですからね。息子さんもきちんと帰って来たし、何も心配要らないから。」
そう言われて、やっと俺から身体を離した。
看護師は注射器を持ち、母親の白く細い腕を抑え「少しゆっくり眠りましょうね。何も怖くないです。大丈夫、だって息子さんも旦那さんも傍に居ますからね」
そう言いながら、針を腕にすっと刺して液体を流し込んだ。

ほんの何分かで、母親の目は虚ろになり、そのまま深い眠りに落ちた。

「旦那様と息子さんにお話があります。こちらへ」医師にそう言われて診察室に通された。

そこには、CTやらレントゲン写真、他にもいくつかの写真が貼られていた。

「今日、偶々救急で運ばれて来たので…処置が終わってから、色々と検査もしました。………その結果、肝臓癌が見付かりました」

「え……」俺は無意識にそう呟いていた。
親父は目を固く閉じ……「余命は」と聞いた。
その言葉が耳に入った瞬間、俺の中で何かがぶちぎれた。
気付いたら親父は椅子から、無様な格好で床に半ば尻もちを着き、口の端から血を流していた。
親父は静かな目で俺を見ていた。
そこには憎しみも怒りもなかった。
ただ、懺悔の様な憐れみの様な、暗い闇があるだけだった。

「翼君!落ち着いて!」医師に肩を強く抑えられ、椅子に無理矢理座らされている間、親父は自力で椅子に座り直した。
看護師が「大丈夫ですか?」と、ガーゼで親父の血を拭おうとしたが、親父は丁寧に断った。

「……余命は、半年から一年です。保って一年です。」
医師は念を押すように、そう告げた。

聞いた瞬間、頭の中がぐちゃぐちゃになった。あんなに憎んで恨んで殺してやりたいと、来る日も来る日もそう思っていたのに。
何なんだ、何なんだ!

「ふざけんじゃねぇ!!俺がされてきた事、俺が背負った傷、責任取らずに勝手に死ぬのかよ!ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな!!あいつは、俺が殺すんだ。俺が殺すんだよ!!!」
そう怒り狂い叫びながら、俺は診察室から飛び出した。

怒りで身体が熱くなっていた。
そんな勝手ありかよ…自分だけ楽になるなんて、俺は絶対許さねぇ。

俺が受けた苦しみの何十倍もの苦痛を受けて、あいつは死ぬんだ、……殺す。
俺が殺してやる…。


真っ暗闇の中、俺はある場所へと歩き出した。
過ちでも犯罪でも何でもやってやる。


その瞬間俺は死神になった。

[ᴛᴏ ʙᴇ ᴄᴏɴᴛɪɴᴜᴇᴅ]


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