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何かするにも、内的動機づけがあるかで得るものが大きく変わってくる

難病に罹患し、一度は「いつ死ぬかわからないのだなあ」と考えた。それ以来、ヒトの生態を俯瞰した目線で眺められるようになった。自分視点では見えなかったことが、目線を変えると客観的に見えてくる。

他人を変えることはできない。変えられるのは自分だけ。

そんな言葉がある。どちらかというと「諦め」の文脈で目にすることの多いフレーズだったけど、噛み締めるうちにジワジワと味わいがでてきている。

配偶者であろうと、親子であろうと、他人を自分の思うように変えようとしても変わらない。そもそも変えようとすることがおこがましくて。親として子供への教育が必要だけど、愛情を持って学ぶ機会を与えることが必要なだけで、成果を出すところが必要な訳ではない(ここ、よく勘違いしがち)

仕事や家庭、社会においてモヤモヤすることはたくさんある。冷静でいられないからこそ、一つ一つの些細な出来事がグサグサと刺さり心がささくれ立っていく。心を落ち着ける手法として、瞑想やマインドフルネスに注目が集まっている。座禅を組む以外にも、ウォーキングなど軽い運動を継続する、日常の家事(ルーチンワーク)に没頭する、などの方法が使える。

ある僧侶は言う。何をやっても続かない、やる気が出ない人は、毎日自分の家の掃除を時間をかけて徹底的にやろう。ピカピカになるまでやろう。素手でやろう。そしたら家族も過ごしやすくなるし、自分の心も前に向いていく。

悩んでいる相談者がこのアドバイスを受けとめ、自発的に取り組めるようになればきっと成果もついてくるだろう。素手でトイレ掃除するかは別として、毎日続けていれば自信にもつながるだろう。家族の心持ちが変わってくれば、相談者への対応も変わり、さらなる自信につながるだろう。

これが、時折主従逆転していることがある。

本人の意識変容なく、強制的に自宅のトイレ掃除をさせるとどうなるだろう。やる気が出ない中で、なんらかの強制力でやりたくもないトイレ掃除を強いられたらどうなるか。何度かはやるかもしれないが、続かないだろうし、そもそもなぜトイレ掃除をやらされているのだろう、罰なのだろうかと恨みまで買ってしまう可能性がある。もちろん期待していた成果は得られない。

他人を変えることはできない。これはつまり、行動変容を強制して形から入っても持続しないし中身が伴わないということ。本人との会話の中で自分自身で動機づけし、心から変えたい/変わりたいと思うからこそ、期待効果が得られる唯一の方法だ。

子供たちに「宿題はやったのか」としつこく聞く。
タスク管理が苦手だから、学習予定を立てて、守らせるよう監督する。

一般に良しとされている家庭学習のアプローチが、子どもの教育にとって逆効果になっているかもしれない。とはいえ、自主性に任せていてきっちりやりきるかどうかはわからないけども。宿題を終わらせて登校日を迎えるという成果は誰のためのものなんだろう。子ども自身ではなく、親の責任を果たしたと思いたいからやっているのかもしれない。

…みたいなことを考えている。

ひとそれぞれ、人生のどこかで気づき、変わりたいと思うターニングポイントがある。タイミングよくアドバイスし、惜しみなく力を貸せる存在でありたい。


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かずさん@減塩生活中
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