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絶対的自信。
俺は、自分が100%、プロになれると思っている。
俺は3年後の2024年1月、大学を卒業してプロサッカー選手になる。
これは夢ではない。現実可能な、目標である。
俺は本気でそう思っている。なぜなら、俺には道筋が見えているからだ。
今、俺は試合に出れていない。今シーズンはまだ出場ゼロである。
今までのサッカー人生で、正GKとしてゴールマウスに立った経験はほとんどない。自分のセーブでチームを勝たせたと言える試合の数も、記憶にはない。
俺は、「絶対的な存在」ではない。
ユースで試合に出れず、自分が埋もれていくような感覚だった時期は、そのことを受け止められなかったし、そのことを察してしまった自分が嫌になった。
「俺が出るとだいたい失点する」
「あいつが出ると無失点のことが多い」
そんなことを心の片隅で思うようになっていった。自分はプロにはなれないかもしれない。高校生の時、俺は現実を見て、嘆いていた。
そんなあの頃の自分に言ってやりたい。
「楽すんじゃねぇ」って。
大学に来て、2年目のシーズンを迎える今年。今現在の俺は、最高に良い感じだ。
なぜなら、俺は毎日成長し、それを身をもって実感しているからだ。
できないことをできるようにする、できることの質をさらに高める。日々のトレーニングで、うまくなるために行動し続ける。
次に反省。その日のトレーニングでできたこと、できなかったことを書きだし、その原因を探す。そして次の日のトレーニングで修正する。
さらに、そのサイクルそのものの質を高めるために、もっと新しい考え方はないか、もっと効率のいい方法はないかを探す。意識の仕方、言葉の使い方、いろんなところを工夫して、常に成長していく。
この一連の作業は、ユースの時からずっとやってきた。でも、報われなかった。
では今との違いは何なのか。それを話す前に、これを読んでいるあなたにも考えて欲しい。
なぜ一生懸命やっていた俺は結果が出なかったのか
一生懸命努力するタイプの俺は、自分が出来ないと分かっていたから、それを補う為に行動していた
しかし、最近までの俺は、心のどこかでできないと思いながらプレーしていた。自分なんて。そんな思いが常に存在した。
これが、俺が結果が出なかった理由の一つである。成功より失敗の数が多いのは、悪いことではない。しかし、失敗の回数が多いことによって、失敗のイメージが定着してしまい、成功させたいと思っているのに、本番で失敗してしまうことが多い。
本番に弱い、いざとなったときに頼れない。そんなレッテルを張っていたのは、評価するコーチ陣ではない。自分自身だったんだ。
俺はボールが来そうなときに、「あ、ボールが来ちゃう」って思って、勝手な苦手意識を持っていた。
そこに気付けたことが今年1番の成長。
今の俺は、自分のパフォーマンスを落としてしまうような悪いイメージを払いのけ、できるイメージをピッチに持ち込むようにしている。もちろん最悪の想定はGKには必須だが、プレーするときは自信を持ってプレーできた方が圧倒的にミスが少ない。
そして、俺は今、絶対的な自信をもってピッチに立っている。
理由はいくつもあるが、毎日成長していると実感していることが大きい。詳しく説明する。まず、失敗なんて存在しない。
俺は、絶対できると思ってプレーしている。しかし、そう思ったからといって本当に全部成功することはない。もちろんミスもする。しかしその時は、反省し、考え、修正する、さっき出てきたサイクルを行って、成長していけばいい。つまり、失敗は未来の成功につながっているから失敗とは呼べない。
成功は、自信になり、失敗は糧になる。
そこに気付いてしまった俺は、もう止まれない。圧倒的な自信とともに、つい突き進んでしまう。
毎日、今日はどんな成長が待っているのかと思うとワクワクが止まらない。もっといいプレーができる自分の姿が見えて、毎日が最高に楽しい。
自分が持っている実力を、もっと出せるんじゃないか。
俺の実力はこんなもんじゃない。
そう考えるようになった。
最後に、俺の夢を宣言しようと思う。
見ている人に勇気や自信を与えるプロサッカー選手になること。
ドイツのバイエルンミュンヘンで活躍すること。
俺には絶対できる。できないわけがない。
だから俺は堂々と口に出して言う。noteでも書く。
「俺は自分に自信がある」
「俺は絶対プロになれる」
口だけじゃない。俺は、必ず夢を叶える。今は笑われてもいい。自己満足の言葉だと思われてもいい。行動と結果で示す。
3年後、このnoteを覚えていてくれる人がいたら、その時は、一緒に喜んでくれたら嬉しいです。