#3 母親との幼児期の思い出
(前回の記事)父親との幼児期の思い出
何でも知っていて頼りになる(と当時は思っていた)父親よりも、母親と過ごす時間の方が圧倒的に多かったのだが、どうやら母親との思い出は、私にとって忘れたい思い出の方が多いようだ。
今この文章を書くために、一生懸命幼い頃のことを思い出そうとしているのだが。。。真っ先に思い出したのは、トイレを我慢していて、トイレに行きたいのだけど、トイレに行きたいと言えず、家の廊下のあたりでもじもじしている自分だった。
自分の家のトイレなのに、なぜ「トイレ行きたい!」と言えなかったのだろう?
さらに記憶をたどると。。。ああ、今と同様ちょっとポッチャリの、幼稚園の頃の自分の姿が。そして、弟と一緒にいる姿が。。。
私は3人兄弟の長男で、弟が2人いるのだが、一番下の弟は7つ年が離れているので、私が幼稚園の頃にはまだこの世にはいない。次男の方は私の2つ下なので、今私が思い出した弟は、「あっくん」と呼ばれていた次男の方だ。
われら3兄弟の外見は、私と一番下の弟は、どちらかというと父親似である。次男の方は、母親似である。母は、目がクリッとして丸顔なので、そんな母に似た「あっくん」はいつも周りの大人に、
「目がクリッとして、お母さんに似て、かわいいねぇ。」
と言われていた。
ああ、そうだった。そういえば、うらやましかったなあ。一緒にいるといつも外見を比べられて、「あっくん」にやきもちやいてたなあ。兄弟おそろいの服を着ると、かたやちょっとポッチャリで、それはそれでかわいいのかもしれないが、「あっくん」のかわいらしさは、当時の写真を今見ても、明らかに群を抜いている。もしかしたら当時子役オーディションに応募したら合格したかもしれないくらいに。
そして、当時母から言われていた言葉をいくつか思い出した。
「にいちゃんは、デブでどんくさいから。。。」
「にいちゃんは、おとうさんそっくり。。。」
「あっくんに、おもちゃ、わたしなさい!」
外では「この子は天才かも知れん。」と周りの大人がほめてくれるので、外に出ればそこは天国だったのだが、家に入り、母親と過ごしている時間は、嫉妬と承認欲求の渦巻く、苦痛の時間だったのだ。
しかも、わがままでかんしゃく持ちですぐダダをこねる私という存在は、母にとっては相当ストレスだったはずで、きっと厳しく接してきたのであろう。だから、「トイレ行きたい。」という、あまりにも当たり前のセリフが、怖くて言えなかったのだ。
幼い私にとっては、
「なんで? なんでお母さんは『すごい!』ってほめてくれないの?」
「なんで? なんでお母さんはあっくんのことはかわいいって言うの?」
「『にいちゃんは、いいこだね。』って言ってほしいよ。」
心の奥で、当時の自分が、今でもそう言っている気がしてならない。
父親との思い出とはまるで逆になってしまうのだが、結局母親との思い出も、「もっと自分を見てもらいたい。だから、もっとすごいところを見せてやる」という想いが強大化しているわけで、そしてこの後、この想いに苦しみ、執着し、また、自分の能力や存在を主張することに対して恐怖を抱くことになる。
(つづく)
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