コロナ下の日々のささやかな楽しみについて
アンダーコロナが日常となり、生活の自由が制限されています。友人たちがわりとツイキャスという映像・音声配信サービスを利用しているので、ぼくは彼らの配信を観にいくのがささやかな楽しみのひとつです。もちろん家庭や職場では必要に応じて話をしますし、LINEやTwitter、メールなどではテキストベースでコミュニケーションをとっているわけですが、他人の音声が聞こえるとそこに何かしら妙味が生まれる気がします。
ぼくは音声表現に若いころから関心があって、それは具体的には音楽が好きということに現われているのですが、さまざまな音楽が試みる"非言語的な"音響表現を通して学んだことはいろいろありました。またコールセンター職が長かったので、人の声から微細な感情の揺れであったり、気分を読み取ることにも比較的長けていると思います。突き詰めていうと、空気の振動そのものに暖かみを感じるというか、それが理屈抜きで好きだし、ぼくにとってのフェティッシュなのでしょう。
友人たちが最近どう過ごしているのか、きょうはどんな一日だったのか。それは些細なことです。別に知らなくても、ぼくの生活に大きな差し支えはありません。でもそういうことが無性に知りたくなるという感覚が芽生えてきたのです。それはコロナウィルスの感染が拡がったためです。気の置けない友人ともなかなか会えないですし。
ライフワークとして続けている読書会はオンラインで開催を続けていて、それはもちろん毎月末の楽しみであることは変わりがないですし、わざわざ会場と自宅を往復する手間も省けますし、交通費も節約できますが、同じ空間で同じ時間を共に分かち合うというごく当たり前の人のいとなみに、実は根源的な歓びが満ちていたのではないかと最近しみじみ思います。感染症の拡大は秋、冬に向かって猖獗を極めるでしょう。そしてこれはことし1年で終わる話ではないのも確かです。そうすると心身のバランスが崩れてゆき、少しずつ精神を病む人が、世界中で増えていくのではないかと憂慮せざるを得ません。主治医から聞いた話ですが、東日本大震災のあと、主な被災地で男性はアルコール依存症、女性はうつ病があきらかに増えたそうです。身体的な健康もむろん大事なことはいうまでもありませんが、メンタルの健康も日に日に重要度を増す世界が到来している気がします。そしてぼくが最も恐れていることは、コロナの蔓延に伴ってWHOが主導する健康原理主義が世界的に影響力を広げ、嗜好品(アルコールやたばこ)、糖質、ジャンクフードなどに対する禁欲的態度が称賛され、病やけがで苦しむ人々が嘲笑される、より息苦しい社会が形成されていくことです。
果たしてこれから人の世はどうなっていくのか。誰にもわからないですが、多くの人々がより困難な事態に直面し続けざるを得ないことを考えると、わたしたち人類の業の深さをみとめることを余儀なくされそうです。それでも、生き延びてゆきましょう...。たぶんそれだけで、すべきことは充分です!
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