短編小説『まさみとぼく 年の瀬に』
「あーっ、昨日は食べすぎちゃった。もうお腹パンパン」
「まぁ、あれだけ食べれば、ね……」
まさみは、クリスマスディナーの数々を、ピーチとふたりで一晩ですっかり平らげました。といっても、ピーチが食べる量はたかがしれています。
ほとんどまさみがひとりで食べ尽くしたのです。
「まさみって、今日もお休みなの?」
「そうなのよ、十二月の二十四、二十五、二十六日の三連休なんて、もう当分ないかも。『年内にすこしは有給を消化してよ』って、経理からしつこくいわれたから、働きたかったのに泣く泣くお休みを取ったの」
そういながらもまさみは思いっきり笑顔です。
「その割にはすごくうれしそうだけど、まさみ」
「いやーん、顔に出ちゃってる? わたしって正直者だから」
まさみは両手を前で組んで、からだをクネクネとくねらせています。
「ということは、今日も明日もお休みってことだよね」
「そうだね。けど、今日はお家でまったりしようかな」
「えーっ、どこにも出かけないの?」
クリスマスイブの昨日、ピーチは、できればお出かけしたかったのです。ところが、ここのところめっきり冷え込んだせいもあって、寒がりのまさみは、休みの日には一日に一度はかならずピーチと出かけていた散歩も、最近とんとご無沙汰です。なにしろ、ピーチを連れていくと、なんやかんやと時間がかかるのです。
というわけで、昨日、まさみはひとりで混み合うデパ地下へ行って、食料を調達してきたのです。
「だって、今年ってほんとに異常気象って言葉がすっぽり当てはまるくらい、変な天気が続いていたでしょ? 十一月の下旬くらいまでずーっと暑い日が続いていたじゃない。そして、やっと寒くなってきたと思ったら、急にこんなに冷え込むなんて、ありえないでしょ。寒くてたまんないわ」
「そうだったね。ぼくなんか、こんなに寒くなってから、ところどころ毛が抜けたりしてるし。あー、寒っ!」
冬桜でもないのに冬に咲いてしまう、桜の狂い咲きみたいに、今年の異常気象のせいでピーチの毛の生え変わりの時期も狂ってしまったようです。
「まあ、なんにしても食べ物もほとんど残っていないから、どこかへ買い物には行かないといけないけどね」
「でも、昨日はクリスマスイブだったし、今日はクリスマスじゃん。どこへ行ってもきっと買い物って大変だよね」
「うん、昨日もすごく混んでたよ。けど、普段見かけないようなおいしそうなものがたくさん並んでいるから、そんな食べ物を眺めているだけで、気分が上がるし」
「眺めるだけって……まさみに関してはありえないから」
「えへへっ、少食のわたしとしては、オードブルの盛り合わせをふた皿とメインの料理をふた皿、それとデザートが三個くらいでお腹いっぱいになっちゃうかな」
「いいかげんにしなよ、まさみ。食べ過ぎだっちゅーの。この前、猫島でも屋台の食べ物をどんだけ食べたんだよ。おっそろしいくらいいっぱい食べてたよね」
ピーチはあのときのことを思い出して、すっかりあきれ顔です。
「ああ、あれね。あのときは異常事態だったから、わたしの食欲も普通じゃなかったのよ、きっと……」
「よくいうわ……」
異常事態ですませようとするまさみに、ピーチは開いた口がふさがりません。
「ところでピーチ、今日はあれ着てよね」
「あれってなに?」
「猫ちゃん用のサンタクロースの衣装だよ。せっかく買ったんだから。きっとピーチに似合うと思うけど」
まさみはピーチにサンタクロースのコスチュームを買ってあげました。上着には、トナカイと鈴とクリスマスツリーの絵柄がプリントされています。
「まさみってばセンスないよね」
「なによ、失礼ね。センスの塊のこのわたしに向かって、よくそんな口が叩けるわね」
「だって、同じ猫ちゃん用のサンタクロースの衣装にしたって、なんでミニスカートなんだよ。そこは、ズボンでしょ?」
「あら、ピーチのためを思ってミニスカートにしたのに、ずいぶんな言い草ね。そっちのほうが歩きやすいでしょ?」
「そりゃそうだけど、なんかお股がスースーするんだよ」
せっかく買ってきたんだからと、昨夜、ピーチは、無理矢理その衣装をまさみに着せられようとしたのです。ミニスカートを穿かされたときに、ピーチは暴れるように拒否ったのでした。
「なにいってるの。いつもキャン玉丸出しで歩いているくせに、こんなときだけ、男の子を主張しちゃってさ。笑っちゃう」
「あーっ、そんなこというんだ。まったく、まさみってデリカシーがないよね」
ピーチは眉間にしわを寄せて、まさみを睨みつけています。一触即発の匂いがプンプンします。
「ピーチ、もういつもの喧嘩はやめとかない? せっかくのクリスマスなんだからさ」
さすがのまさみも、楽しい休日のクリスマスに喧嘩はよくない、と思ったようです。
「そうだね。そうしよう」
そういわれて、ピーチも、すっかりいつものすこし間の抜けた表情に戻っています。
*
「きゃーっ! かっわいい、ピーチ」
せっかくまさみが用意してくれたんだからと、結局、ピーチはまさみの言葉に従いました。
「そ、そうかな……」
「うん、超かわいいよ。今日はどこへ行っても、きっとモテモテだと思うよ」
「えへへ……」
サンタクロースの衣装に身を包んだピーチは、鏡のなかの自分の姿を見て、まんざらでもなさそうです。
「寒むっ!」
部屋から外へ出るとからだを刺すような冷たい風がまさみに襲いかかりました。まさみはあわててダウンジャケットのフードを被ります。
マンションの外へ出ると、さすがクリスマスです。街はひとびとで溢れかえり、昼前だというのに、ところどころでクリスマスイリュミネーションがすでに点灯しています。
まさみに背負われたリュック型のキャリーケースのなかから顔をのぞかせたピーチに目を留めた通り過ぎるひとびとは、「かわいいですね」と口々にまさみたちに声をかけます。
「どうも、ありがとうございます」
まさみはその度に笑顔を振り撒きながら、それに応えます。
「ほら、ピーチ。だからいったじゃない。わたしのいったとおりでしょ!」
まさみは、どうよ! といわんばかりに、鼻の穴を膨らませてドヤ顔を炸裂させています。
「そうだね。まさみが正しかったよ」
リュックのなかからのぞくサンタクロースの帽子を被ったピーチの顔もうれしそうです。
「ところでまさみ、ぼくのクリスマスディナーって、なにを買ってくれるの?」
昨夜、豪華なクリスマスディナーはありましたが、結局、ピーチは、いつもの鶏のササミとペロペロするやつくらいしか食べられませんでした。
というのも、ピーチが並べられたご馳走を口にする前に、まさみがすごい勢いですべて平らげてしまったからです。そのとき、まさみは、明日はピーチの好きなものを食べさせてあげるからと約束してくれたのでした。
「何か、食べたいものってある? ピーチ」
「んー……そうだなあ」
この際だから、今まで食べたことがないものがいいな。そう思ったピーチは、あれがいいかな、それとも、これがいいかな、といろいろ考えをめぐらせます。
しかし、ピーチは、まさみが食べるものをちょくちょく口にしているので、食べたことがなくて、食べたいものがなかなか思いつきません。
「あっ! そうだ。このまえテレビでやってたジビエ料理、あのウサギのローストが食べたいな」
「ピーチ、あんた、よくあんなかわいいウサちゃんを食べようなんて思うよね」
まさみは、信じられない! というふうなしかめっ顔でピーチの顔を覗き込んでいます。
「だって、すごくおいしそうだったんだもん。それに、あの猫好きの料理評論家がいってたじゃない。猫が一番好きなのは、魚や鶏のササミなんかじゃなくて、ウサギの肉だって。だから、一度くらいは食べてみたいんだよ」
ピーチは訴えるように力説しました。
「ピーチがそこまでいうのなら、しょうがないな、ピーチのために探してみるよ」
デパ地下にはさすがにピーチを連れて行くことはできません。でも、大丈夫。ピーチのかかりつけの動物病院が、デパートからそう遠くないところにありました。
まさみはピーチを、日曜日も診療しているそこにすこしの間だけあずけることにしました。例の恐い顔をした、優しい先生がいるところです。
まさみが買い物に行くのだと事情を説明したら、心よく引き受けてくれました。
「おっ! ピーチちゃん、元気かな?」
『か、顔……恐えーよ、先生……』
相変わらず凄みのある顔です。それとはまったく逆に、優しく声をかけられると、なぜか余計にその顔が恐ろしく感じられます。
その筋の親分さんから優しい言葉をかけられるようなものです。
*
まさみはデパ地下に来ています。
探してはみるものの、クリスマスです。チキンやターキー、それにビーフはローストされて販売されていますが、さすがにウサギはありません。
こうなったら、ジビエ料理で有名なフレンチレストランかなんかの洋食レストランで買うっていうのもありだけど、なにしろ今日ってクリスマスだよね。さすがにレストランは予約でいっぱいだろうし、もし、あったとしても、ウサギのローストだけのお持ち帰りなんて、きっとできないな。
もう、あきらめるしかないのかな、とまさみは思いました。しかし、ピーチの悲しそうな顔が脳裏に浮かびます。
一度期待してしまって、あきらめるしかない状態に陥ったとき、ひとはすごく落ち込みます。もっとも、ピーチは猫ですが。
あっ! そうだ。もしかしたらお肉屋さんには売っているかもしれない。そう思いついて、まさみは肉屋を探します。
「あるよ! これが最後だ。さっきまではホール肉もあったんだけど、家庭で料理するには、このもも肉のほうが調理も簡単で、食べやすいと思うよ」
ちょっとぶっきらぼうな口調の店員が、「あるよ!」といって、まさみの目の前に出してくれたのは、ウサギの骨付きもも肉でした。
まさみには肉屋の店員が『ヒーロー』に見えました。
結局、まさみは、残っていたその二本のもも肉を買うことにしました。
今日一番の目的のウサギの肉を手に入れたまさみは、かなり並びましたが、自分用のクリスマスディナーもしっかり買い込んで、意気揚々と動物病院へ向かいます。
「先生、ありがとうございました」
「そんなにいっぱい買ったの? すごいご馳走みたいだね。ピーチちゃんのもあるんでしょ?」
「はい、ピーチにはウサギのローストを作ってあげようと思っています」
「ほう、ウサギのローストか。よく知ってるね。ウサギの肉は、猫ちゃんが一番好きだっていわれているんだよ。たぶん遺伝子レベルで刷り込まれてるんだろうけど」
「やっぱり、そうなんですね」
「ピーチちゃん、よかったね。メリークリスマス!」
優しい声で、恐い顔の先生がキャリケースのなかのピーチを覗き込みます。
『せ、先生! その顔、恐いってば……』
「それじゃ失礼します」
クリスマスディナーが入った袋を両手いっぱいにぶら下げたまさみは、そういって深々と頭を下げると動物病院をあとにしました。
*
「まさみ、これどうやって料理するの?」
「まかしてよ、今はなんでも動画でやっているから」
まさみはウサギのもも肉の調理の仕方の動画を探しています。
「あった。これこれっ! ウサギもも肉のステーキ。これでバッチリよ」
「まさみ、味付けするのはいいけど、あまり濃くしすぎないでね。さっき先生からも『塩は控えてね』っていわれてたでしょ?」
「じゃあ、ピーチの分はなにもせずにそのまま焼こうか?」
「いや、さすがにそのままじゃ味も素っ気もないから、すこくらいは味付けしてよ。胡椒辛いのは、ぼくは平気だからさ」
「わかったよ、ピーチ。まかせておいて」
三十分ほどで出来上がりました。
こたつテーブルの上には、オードブル、メインの料理の数々が並んでいます。
ピーチの前には、切り分けられたウサギもも肉のステーキが、他のオードブルとメインの料理と一緒に、おいしそうに大皿に盛り付けられています。
「じゃあ、ピーチ。メリー苦しみます!」
「まさみ、それ好きだよね。それと、シングルベルも」
「えへへっ!」
「まったく。まさみのオヤジギャグに、いつまで経っても付き合わされるぼくの身にもなってよ」
「また、またーっ! こんなわたしも好きなくせにさ、ピーチったら」
そういうまさみは放っておいて、ピーチはウサギのローストを口にします。
「うまっ! これってほんとにおいしいよ、まさみっ!」
「そう? それってほんとにおいしいの?」
「まさみも食べてみなよ、おいしいから。ぼくの分のそのテーブルに取ってあるやつ、食べていいからさ」
「わたしは、パス。だって、あんなかわいいウサちゃんなんて食べたら可哀想じゃない。今日はピーチのために、心を鬼にして慣れない料理をしたんだから」
「まあ、無理にとはいわないけどね」
ピーチはひとくち食べるたびに宙を仰ぎ、恍惚とした表情を浮かべ、ゆっくりとそのおいしさを味わっています。
まさみは、そんなピーチを見ていたら、ひとくち食べてみようかな、という気になったようです。
ピーチ用にウサギのもも肉を二本とも料理したのですが、お皿に乗り切らなかったもう一本分を、別皿に分けてテーブルの隅に置いてあります。
「わたしも、食べてみようかな。これってピーチ用だから、お塩を足して、それにローストビーフ用のグレービーソースを絡めてっと」
まさみは、そうやってウサギのローストを口に入れます。
「えっ! なにこれ? すごくおいしいんですけど」
「でしょ! 嘘じゃないでしょ?」
「このなかで一番かも」
そういってまさみは、飲み込むように目の前のウサギのローストをあっという間に平らげました。
そして、その目はピーチの分にロックオンされています。
「ダメだからね! これはぼくのだからね」
まさみの視線は、ピーチのお皿に釘付けです。
ピーチはまさみに「食べてみなよ!」といったことを、今更ながら後悔しています。
まさみにかかれば、ウサギのもも肉ロースト二本分なんて、食べ終わるのに二分もかかりません。
「まさみ、お願いだからその目はやめて」
「ピーチぃ、明日、また作ってあげるから、それちょうだいよ」
「まさみの分のオードブルやメイン料理はまだいっぱいあるじゃない? なんでちょこっとしかないぼくの分まで欲しがるんだよ」
「だってわたし、昔からいちごのショートケーキのいちごは最初に食べる派なのよ。おいしいものから順番に食べるのがわたしの流儀なの」
そういいながら、ピーチが奪られないように抱え込んでいたお皿を乱暴に奪い取ると、大口を開けてパクパクとウサギのローストを一気に食べてしまいました。
なすすべもなく呆然とその光景を見送るピーチ。
「あーおいしかったーっ! ピーチありがとねっ!」
「ありがとねっ! じゃないよ、まさみ。ひどいよ、ぼくのウサギのロースト……」
ピーチのそんな嘆きの言葉などまったく意にも介さず、まさみはテーブルの上のご馳走を食べ続けていきます。
まるで、ブルドーザーのようです。
「あーぁ……ぼくのウサギのロースト」
「ごめんね、ピーチ。わたしって食べ物のことになるとこうなっちゃうから、許してね。愛してるからね、ピーチ」
さすがのまさみも、ピーチのあまりのしょげ具合に、申し訳ない気持ちになったようです。
「なんだよ、それ? まるで、浮気がバレた旦那が、奥さんにとりあえずいっとこう、みたいなセリフは! 誠意の欠片も見えないんですけど!」
「そんなことないよ。ほんとに心の底からそう思ってるよ」
そういって、ピーチを振り返った、まさみの顔はすごいことになっています。
口の周りは、食べ物のかすやら汁やらがべっちょりついて、箸もフォークも使っていないのか、両手も油まみれ、汁まみれです。
そんな姿を見て、ピーチはあきれて返す言葉も見当たりません。
「もう、いいよ、まさみ。わかったから。それよりも、その顔!」
「そう? ありがとう、ピーチ。わかってくれて」
そのあともまさみはクリスマスディナーをせっせと口に運んでいました。
*
「えっ! なにこれ? ここどこ?」
ピーチが目を覚ますと、なにやら丸い天井の温かい球体のなかにいました。それは半閉鎖式の球体の猫専用のベッドでした。
まさみは、ピーチへのクリスマスプレゼントをあらかじめ用意していたのですが、昨日の朝、渡すのをすっかり忘れていたので、ピーチが寝ている間に、そっとそこに寝かしつけたのです。
「なんか、あったかいなーっ……いいなーっ……」
「おはよう、ピーチ。どう、気に入った?」
ピーチがあまりの気持ちよさにまたウトウトしてきたところに、半分開いた入り口からまさみが顔をのぞかせました。
「まさみ、これって?」
「わたしからピーチへのクリスマスプレゼントよ。あったかいでしょう?」
「うん、すごくあったかいよ」
「最近、あんた、薄毛で悩んでたから、すこしは役に立つのかな、と思って買ったのよ」
「ありがとう、まさみ」
ピーチは、浮気がバレた旦那から嫁さんが思いもかけないプレゼントをもらうのはこんな気持ちなんだ、とすこし幸せな気分になりました。
「けど、薄毛ってなんなの? まるでぼくがハゲ親父みたいじゃないか?」
「まあ、場所は頭のてっぺんじゃないから違うけどさ、ハゲには違いないでしょ?」
「ハゲっていうなよ、まさみ。ぼくって傷つきやすいガラスのハートなんだから」
「ごめん、ピーチ。それより今日はどうする? また、出かける? 昨日約束したとおり、ウサギのローストをまた作ってあげるから、わたしは買い物に出かけるけど、ピーチはどうする? 何度も先生のところにはお世話になれないし」
「いいよ、まさみ。ウサギのローストはすこしだけど食べたから、とりあえずはあれで満足したから。今日はこの新しいベッドでまったりと過ごすからさ」
「そう。じゃあ、わたしもそうしようかな。お腹が空いたら、出前を頼もっか?」
「そだねーっ、そうしよう」
結局、まさみもピーチも、ご飯を食べるとき以外は、それぞれのベッドから出ずに一日を終えました。
*
「ただいま。ピーチ、どこ?」
「お帰り、まさみ」
ピーチはまさみがクリスマスプレゼントに買ってくれた新しいベッドでぬくぬく過ごしています。
「今、エアコン入れるからね。外に出ておいでよ」
「うん、十分あったかくなったらね」
「あー、疲れた。毎年、仕事納めの二十八日は帰ってからぐったりだよ」
「まさみ、一年間、ご苦労さまでした」
「ありがとうピーチ。明日から年が明けて三日まではのんびりできるわ。仕事納めが終わると、ほんとにほっとするわ」
「ところで、まさみ。今年も実家には帰んないの?」
「うん、帰んないよ。だってこの前帰ったばかりでしょ?」
「そうだったね。けど、お母さんから『帰ってこないの』ってメール来てたよね?」
「うん。『帰らない』ってあのあとすぐに伝えておいたから」
「まさみのお父さんも寂しがるかもね」
「だって、お父さん、わたしが帰るたびに、『いいひとはいるのか』ってすぐに訊いてくるでしょ? うんざりなのよ」
「たしかに……ぼくにも『変な虫がつかないように見張っていてくれ』って頼み込んでくるくらいだからね。ぼくが思うに、お父さんはただまさみには幸せな結婚をして欲しいだけだと思うよ」
「結婚ね……、今のところはまったく考えてないよ」
「まぁ、まさみってあんまり男運なさそうだし、ぼくの知ってるまさみの歴代カレシって、みんなクズ男ばっかりだし」
「ほんとにそう、クズ男ばっかりだよね……? 猫のあんたにいわれたくないわよ!」
「だって、ほんとのことじゃない?」
「まあ、そうだけどね」
ピンポーン、パンポーン。そのときインターホンが鳴りました。宅配です。三個口のクール便が届きました。
「ピーチ、お母さんからだよ。うれしいな、いつものおせちだよ。ピーチには、赤メバルの煮付けがたっぷり五尾も入ってるよ」
「えっ、ほんと? うれしいな」
「これは、お正月のお楽しみに取っておいて、とりあえず、近所のスーパーに買い物に行こうかな。ピーチはどうする?」
「うん、ぼくも一緒に行きたい」
まさみたちは、いつものスーパーへと川沿いの舗道を歩いていきます。
「寒っ! 殺人的に寒いんだけど、ピーチはいいよね、ぬくぬくちゃんで」
クリスマスは過ぎたのに、お出かけするときは、いまだにピーチはサンタクロースのコスチュームに身を包んでいます。もっとも下はスースーするミニスカートですが。
「なんか、ぼくだけ悪いね、まさみ」
「いいよ、いいよ、ハゲ散らかしたピーチにはこの寒さは辛いだろうから」
「ハゲっていうな!」
まさみとピーチはいつもの軽口を叩き合いながら楽しそうです。
「ピーチ、今日は豚しゃぶにしようね」
「いいねー、しゃぶしゃぶ。寒い時期には最高だね、まさみっ!」
「そうだけど……ピーチってリアル猫舌じ ゃない? そんなに楽しめるのかな?」
「あんまり、熱いものは食べられないけどさ、あったかいものはなんかほっとするよね」
*
「おいしーね、ピーチ」
「うん、すごーくおいしい」
まさみたちは、豚しゃぶを堪能しています。
ピーチの分は、まさみがタイミングよくお皿に取り分けてあげています。
「ありがとうね、まさみ」
「いいえ、たーんと召し上がれ」
人間と猫という体格差はあるものの、それ以上にまさみの食べるスピードは異常なくらい速いのです。
野菜は冷めるのにかなり時間がかかるので、肉ばっかりを食べていたピーチが、五枚ほどの豚しゃぶを食べ終わる間に、一キロほど買った豚しゃぶ用のロース肉と大量の野菜やきのこなどは、すべて跡形も残さずまさみの胃袋のなかへと消えていました。
*
「今年もいろいろあったね、ピーチ」
「そうだね、まさみ。でも、やっぱりあの猫ゾンビのことが一番忘れられない出来事かな。あれってほんとに恐かったよね?」
「うん。わたしも思い出すだけで寒気がしちゃう」
「ぼくもあのマーダラさんの世にも恐ろしい姿を思い出すだけで震えてくるよ。たまに、夢のなかにも出てくるし」
「わたしもあの島でのことは、たまに夢に出てくるけど、なぜか、屋台の食べ物をお腹いっぱい食べていることばかりなのよ」
ピーチは、まさみらしいな! とあきれています。
「あとすこしで、今年も終わるけど、来年はいい年になればいいね」
年越しそばを食べながら、まさみとピーチはテレビの年末恒例の歌番組を観ました。そして、次の番組から流れてくる除夜の鐘の音を聞きながら、お互いにあいさつを交わしています。
「今年はいろいろとお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします」
ピーチはそういって、こたつのなかから顔をのぞかせて、まさみを見上げています。
猫だけに、さすがに正座してまでとはいきません。
「わたしのほうこそ、今年はいろいろとお世話をさせていただきました。来年も引き続き、変わらず面倒を見させていただきます」
まさみは悪びれもせず、微笑みを浮かべて、そうピーチに返します。
ピーチは、一度こくりとうなずいて、そして、はっ! と真顔に戻りました。
「まさみ、なにそれ。なんか、ぼくがなんにもしてないみたいじゃない」
ピーチはバカにされたと思って怒り心頭です。今年の初め、まさみがピーチにお年玉をねだったときのあの低姿勢とは大違いです。
「違うって、ピーチ。わたしにとってピーチは恋人以上、家族みたいなものなのよ。面倒見るのは当たり前、むしろそのこと自体がわたしのよろこびなんだから。そういう意味でいったの! だから、今年も元気で一緒にいてくれてありがとうね、ピーチ」
そのことばを聞いたピーチの目からは、今にも涙がこぼれ落ちそうです。
「ぼくのほうこそ、一緒にいてくれてありがとう、まさみ」
ピーチはまさみの膝の上へ移動します。すると、何か変な匂いがしてきました。
「ま、まさみ、もしかして……おならした?」
「えへへっ、バレちゃった? 音がしないようにすかしながらやったんだけどね」
「こたつのなかでやるのはやめてよ。ぼくを殺す気なの?」
「大げさね、ピーチったら。おならくらいいいじゃない。ピーチが大好きなわたしのおならだよ。ほんとはうれしいんでしょ?」
「そんなことないよ! 臭いものは臭いんだって!」
「あっ、そう! じゃあこうしてやる」
ブバババ、ブバババッ! すごい音を立ててまさみがおならをしました。
「あーっ、スッキリした。すかしっ屁より、やっぱりおならはこうでなくっちゃ」
「まさみ、なんかうんちの匂いがするんだけど?」
「あっ! ごめん、すこし出ちゃったかも」
「出ちゃったかもじゃないよ。もう信じらんない!」
「これは縁起がいいかも。運が付いたから!」
「運の尽きじゃないことを祈るよ、まさみ……」
まさみとピーチがこうやって戯れ合っているうちに、いつの間にか新年を迎えていました。
*
今年一年、私の記事にたくさんのスキ、温かいコメントをいただきありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
良いお年をお迎えください。