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短編小説 『まさみとぼく ピーチのお仕事』
まさみは部屋のなかで頭をポリポリ掻きながら、小説を執筆中です。
今日からの三連休の間に、なんとか新作を書き上げようと必死なのです。
「んーっ、ここでこいつが登場するのはまだ早いか......んーっ.....」
などと、気難しい顔をしています。
「まさみ、こんなことわざ知ってる?」
ピーチはにやけ顔で、テーブルの下からまさみを見上げています。
「なに?」
「下手の考え休むに似たり、ってね」
「あんたねーっ! 私が真剣に物語を考えてるのに、なにそれ! はいっ、ピーチの飯抜き決定。ピーチは家でお留守番。私は鰻の蒲焼きでも食べに行こうっと」
「まさみ、今日はまだ七日だよ。財布のなかにいくら入ってるの? 十日の給料日まえだよね?」
「うるさいな。私は、これを持ってるの。ジャジャーンっ!」
まさみが財布から取り出したのはクレジットカード。
人差し指と中指に挟んで、ヒラヒラと振ってピーチに見せつけています。
「そうやってバカみたいに食事代ばかりにお金を使うから、そんなに太るんだよ。見てごらんよ、まさみのそのお腹......」
「あんたね、私がいま一番気にしてることを涼しい顔してさらりといいやがって。この真夏に暑苦しい顔をした毛むくじゃらの茶トラ猫っ!」
「小説の執筆がうまくいかなくて人に当たりたくなる気持ちもわかるけどさ。まさみ、エアコンが効いた涼しい部屋のなかでひとりでカッカして、自分で部屋の温度を上げてどうするの?」
「うるさい、うるさい。ピーチのバカーっ!」
まさみはへたり込んでぐすぐす泣き出しました。
まさみはいままでに一度も挑戦したことのない、まさみがアカウントを持っている小説投稿サイトの夏の創作大賞に応募しようと一念発起、頑張って作品を仕上げようと必死なのです。
「まさみ、なにかぼくにお手伝いできることがあったらなんでもいって。リアル猫の手だけど......」
「......ありがとう、ピーチ」
まさみはピーチを抱き上げると、顔を近づけ、ピーチの顔にスリスリします。
「や、やめて、まさみ。まさみの顔、いますごいことになってるから」
まさみは涙と鼻水でまみれた顔で、ピーチの顔をスリスリしたものですから、ピーチの顔はべっちょりと濡れて、酷いことになっています。
「あーっ、泣いたらスッキリした。なんか、お腹すいちゃった。今日は天気もいいし、なんか買って公園でランチでもしよっか、ピーチ。ちょっと暑いけど......」
「まさみ、それはいいんだけど、とりあえずまさみのその顔どうにかしないと。それとぼくの顔もね」
「はーい」
まさみは洗面所に行って、顔を洗ったあと、ちょっとおめかししてリビングに戻ってきました。
「まさみ、ぼくの顔もなんとかしてよ。ぼくの目の縁についてるまさみの鼻水、ぼくの舌届かないから取れないんだけど」
「はいはーい」
まさみはピーチの頭の上からフェイスタオルをかぶせると、両手で乱暴にごしごしと動かします。
ピーチのからだはまさみの手の動きに合わせて、右に左に揺らされます。
床から半分浮いたピーチの四つ足は、ちょこちょこと、まるで楽しそうにダンスを踊っているみたいです。
「ピーチ、なに食べたい? このまえの定期検診で、あのこわーい顔の獣医の先生から注意されちゃったから、あんまり味のキツくないやつにしようよ。塩分取り過ぎて、人工透析する羽目になったらピーチだって嫌でしょ?」
「もちろん、そりゃ嫌だよ。けどそれって、まさみがぼくに一緒のものでいいよね? なんていって、強制的に食べさせるからだろ」
「そうなんだけど。最近、食料品が異常に値上がりしちゃって、ピーチの好きなキャットフードなんて、信じられないくらいの値段がするんだよ。ピーチの一食分なんて、あたしが作った合い挽きミンチを雀の涙ほど入れたケチケチカレーの一食分の三倍くらいするんだから」
「それは本当にすまないと思う。ぼくに稼ぎがないばかりに......」
「まあ、仕事をしてお金を稼ぐ猫なんて聞いたこともないしね。猫の単発のアルバイトなんかがあればいいのにね」
*
「ダメだな、この猫ちゃん。全然、演技してくれないよ。これじゃ今日の撮影も長丁場だな」
まさみとピーチが近くの公園のまえを通り過ぎようとしたとき、そこで映画の撮影をしていたクルーのなかのアシスタントプロデューサーのことばが、まさみの耳に飛び込んできました。
演技をしている猫ちゃんの動物トレーナーが、ぺこぺこ頭を下げて監督に平謝りです。
「監督、どうしますか?」
助監督が困った顔で主演の男優をちらっと見やります。
その男優はまさみも知っている有名な俳優でした。
初めはなにごとが起こったんだろうと遠巻きに見ていた人びとが、その俳優に気づくと一人二人と集まり始め、いつの間にか小さな公園には人だかりが出来ていました。
「どうしたんですか? 猫ちゃんが演技をしてくれないんですか?」
まさみに話しかけられたAPの男性は振り返ります。
「そうだけど......?!」
そのAPは、まさみの背中のキャリーバッグのなかのピーチに気づくと、顔を覗き込みます。そして、動物トレーナーにこうしろと教えられている猫に目を向けます。
「ちょっとその猫ちゃんを見せてもらってもいいかな」
「はい」
まさみはキャリーバッグを足元に置くと、ピーチを抱き上げて見せます。
同じ茶トラ猫のオス、からだつきもほぼ一緒、見た感じはよく似ていました。
「うちのピーチでしたら、どんな演技もお手のものですよ」
「どこかの事務所に所属してる?」
「......いいえ、いまはフリーです」
フリーもなにも、ピーチはそんなお仕事なんかしたことは一度もありません。
「この猫ちゃん、本当に演技ができるの?」
「もちろん、そんじよそこらの猫には負けないと思います」
まさみは自信たっぷりに答えます。
それはそうでしょう。ピーチはまさみのいうことは、というか、人間のことばがわかるのですから、なんなら話すこともできるくらいですので。
そのAPは監督に駆け寄ると、まさみとピーチを指さして説明します。
まさみとピーチは監督に呼ばれました。
「本当に大丈夫なの?」
「ご心配なら、なにかやってお見せしましょうか?」
怪訝そうに訊ねる監督に、まさみは笑顔で答えます。
「じゃあ、人差し指と親指で、こんな風に拳銃で打つ真似をしてくれる? バーンっていって」
「そして、猫がワンパターン......じゃなくてパタンと倒れればいいんですね。はい、お安い御用です。ピーチ、わかった?」
「ミャミャミャーンっ!」
ピーチは、『任せときなって』と猫語で答えます。
「おめえは知りすぎた。すまねえが死んでもらうぜ、ピーチ。バーンっ!」
まさみはマフィア映画の見過ぎです。
「フギャミャミャーンっ......」
ピーチは断末魔の叫びを上げると、その場によろよろと倒れ込みました。
息が絶えるまで、しばらく小刻みに震える演技も盛り込んでいます。
そして、微動だにしなくなりました。
呼吸も止めています。
「どうですか?」
「この猫、まったく息をしていないんだけど。まさか、これも演技?」
「そうです。ピーチ、もういいよ。起きて」
そういわれてピーチは、すっくと立ち上がります。もちろん四本足です。
「すごいね、この猫ちゃん。君のことばを完璧に理解しているみたいじゃないか? まさか、ひとのことばを話せたりしないよね」
「ええ、そう......ではないです......」
まさみは思わず、「そうです」といいかけそうになりました。
「あの俳優の背後から近づいて、彼の脚にスリスリして、彼が立ち止まったら、彼を見上げて、ミャーンっ! と一声高く鳴くんだ」
監督は演技プランを説明します。さっきの猫が上手くできずにかなり時間が押してしまったシーンです。
「わかった? ピーチ」
ピーチはまさみの足元で、コクンと頷きました。
「練習はいいの?」 という監督を尻目に、まさみはピーチの頭を撫でながら、「頑張って、ピーチ」そういってピーチを送り出しました。
「本番!」
カチンコが鳴ります。
「よーい、スタート」
助監督の声で、本番が始まりました。
「カァーット」
監督の声が響き渡ります。
監督は満足そうに、うんうんと頷いています。
「すごいね、この猫ちゃん。まるで君のことばを完璧に理解しているみたいに見事に演技をこなしてくれたよ。今日のギャラの件もあるし、また、お願いするかもしれないから、連絡先教えてくれる」
アシスタントプロデューサーは驚きを隠せません。
『このぼくにかかればこんなことくらい朝飯前だよ』
ピーチは『バカにすんな』とばかりに、その毛むくじゃらのドヤ顔で、驚きの眼差しでピーチを見つめる監督たちクルーの顔を見上げています。
近くにいたさっきの動物トレーナーと猫は苦々しそうにまさみたちを睨んでいます。
まさみはさっきの男優のサインもちゃっかりいただいていました。その顔は恵比寿顔です。
ふたりは昼食を調達に向かいます。
「ピーチ、やったね。単発のアルバイト、あったね。私、いままで考えもしなかったけど、ピーチって動物タレントにはこれ以上にないくらい、うってつけの猫だよね」
「そうだね。ぼく、演技にはかなり自信があるし」
「そうなの? いったい、いつどこで、そんなこと覚えたの?」
「だって、いつもまさみの小説のセリフの相手をさせられてるじゃん。演技付きで。まさみったら、ダメ出しが多いし。嫌でも上手くなるよ」
「そうだったね。まさか、こんなところであんなことが役に立つとは思いもしなかったけど。あのね、さっきのアシスタントプロデューサーの話だとこれくらいもらえるらしいよ、ピーチ」
「そ、そんなに......それってかなり多くない?」
「そうだよ。私が汗水垂らして働いて稼ぐ給料の半分以上を、ピーチがちょろちょろっとわずか一時間程度で稼いだことになるんだから。そう思ったら、なんだか、私、悲しくなってきた」
「まぁ、まさみ。このお金でなにかおいしいものでも食べようよ。まさみの好きな鰻でもさ」
「いいねーっ! じゃあ、ピーチのギャラを当てにして、今日はカードを使おう。私は蒲焼き、ピーチはからだのために味の薄い白焼きね」
そういって、まさみは髪をかき上げて、キャリーバッグのなかのピーチに首筋を見せます。
「ピーチ、これは?」
「首だろ? なんでそんなもの見せるの?」
「ブッブッーッ。これはうなじ。いまから食べに行くのはうなぎ。キャハハ」
まさみはなにがおかしいのか、自分でいって自分ひとりで笑っています。
ピーチはそんなまさみのうなじを呆れ顔で見つめていました。
*
目当ての鰻屋に着きました。
店の入り口にはかなりの人が並んでいます。
「まさみ、すごいね......この人だかり。土用の丑の日でもないのに」
「それだけおいしくって、人気があるってことだよね、ピーチ」
まさみとしては、店のなかで食べたかったのですが、猫のピーチと一緒ではそれもできません。
注文だけ入れて、カードで支払いをして、家まで出前をお願いしました。
二時間ほどかかるといいます。
「やっぱり、鰻って時間かかるんだね」
食いしん坊のまさみは、本当はいますぐにでも食べたかったのです。
「まさみ。二時間も待ってれば、お腹も空きすぎるくらい空くだろうし、『空腹は最上の調味料』っていうしね」
「ピーチ、あんたそんなことばよく知ってるね。このまえ猫の国から帰ってきてから、ピーチなんか賢くなったよね」
「えへへ......そんなこと、あるけど」
ピーチはペロッと舌を出しています。
「ピーチ。そんな風に調子に乗ってると、あんたいつか痛い目に合うからね」
「は〜い。気をつけます」
そんなやり取りをしながら、まさみとピーチは河川敷の遊歩道を歩いて行きます。
すれ違うジョギング中のランナーたちは、まさみが背中の猫に向かって話しかけていることなど、誰も気にも留めていません。
「あのさ、ピーチ。ものは相談なんだけど......」
「なに? まさみ......」
「この際、思い切って動物タレント事務所に登録してみない? なんか、さっきのアシスタントプロデューサーの話だと、個人に支払いするのは、手続き上かなり面倒くさいらしくって」
「いいけど、まさみはぼくにそんなに働いて欲しいの?」
「......いいじゃん。いままでなんも見返りも求めず、衣食住の世話を一切合切やってあげてたでしょ!」
「まさみ、衣食住じゃなくって、食住だけだよね。だって、ぼくはまさみに洋服買ってもらったことないよね」
「そうだけど......」
「それに、見返りを求めずに、誰かになにかをしてあげるられのは、それだけで、もうお返しをもらってるって考え方知らない?」
「なにそれ? ピーチいつからそんな宗教家みたいな考え方をするようになったの?」
「じゃあさ、まさみは誰かのためになにかをやってあげるとき、心のなかでは、これだけのことをしてあげるんだからなにかいいものをくれるはず、なんて、いつも見返りを期待しているの?」
「いや、そんなことはないよ......まあ、あんまし好きじゃない人から頼まれて仕方なくやってあげたときは、そう思うときもあるけどね」
「でしょ? ぼくはまさみのことが大好きだから、まさみのためならぼくにできることはなんでもするよ。まさみは違うの?」
「ピーチ、そんな風に面と向かって訊かれると、なんかすごく恥ずかしい。まるで、恋人に愛の告白をされてるみたい......」
「まさみ、ぼくのこと好きじゃないの?」
「......ごにょごにょ......」
「聞こえないよ、まさみ」
「だ、大好きです......」
まさみは真っ赤な顔を隠すようにうつむいて歩いています。
「よかった。大好きなまさみのためだから、ぼく......できる限り頑張って稼ぐから、思いっきり期待してていいからね」
「ピーチ、ありがとう......」
前を向いて歩いているまさみの口もとは綻んでいます。
まさみは、あのお洋服でしょ、それと高くて手が出なかったブランド物のあのバッグでしょ、とお金が入ったときのことを、取らぬ狸の皮算用よろしく、あれこれと考えています。
ピーチは、まさみがそんなことに考えをめぐらしているとは露知らず、「やっと、まさみにこれまでの恩を少しは返せる」とひとりしみじみ思っていました。
*
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