短編小説『たんたんと』前編
「ふたりとも、笑って。はい、チーズ!」
「きゃーーッ!」
砂浜で、母親のとなりに寄り添うように立ち、満面の笑みを浮かべていた少年に、後ろからひとりの少女が思いっきりぶつかりました。
「あたたたたたっ!ごめん、大丈夫?」
「あなたは、大丈夫?お嬢ちゃん」
倒れた少年を抱き起こすと、少年の母はそういって少女に微笑みかけます。
「わたしは大丈夫。どうも、すみませんでした」
その少女の弾けるような眩しい笑顔を見た瞬間、少年の胸がトクンと音をたてました。
少女はその少年の顔を見ると、きれいな顔をしている。そう思いました。
彼女の瞳は、少年にくぎ付けになっています。
「ねえ、一緒に遊ばない?」
そして、ついそう口にしていました。
少女は、仲間の少年たちと一緒に、砂浜でバレーボールをやっていました。
「遊んでおいで」
そう母から声をかけられた少年は、おうかがいを立てるように父の顔を見上げます。
「行っておいで、せっかくだから」
傍らに寄り添っていた母親は、少年の背中を少女の方に軽く押しました。
「わたし、みお。あなたは?」
「みなと」
「みんな、みなとくん。一緒に遊ぶから」
「こんにちは」
海音の紹介に、湊人は笑顔であいさつをします。
「こんにちは!」
他の少年たちも笑顔で返します。
「みなとくん。じゃあ、いくよ!そうれっ!」
海音が上げたボールは高々と真夏の青い空に舞い上がります。
そうやって湊人は、地元の少年たちに混じって遊んでいました。
二十分ほどボールで遊んだあと、少年たちの中の誰かがいいだしました。
「海で泳ごうよ」
「いいねっ!行こーっ!わーっ!」
こどもたちは、はしゃぎながら波に向かって走りだします。
「みなとくんも行こうよ」
「ぼく、あんまり泳ぐの得意じゃない......」
「大丈夫だって、わたしがそばについているから」
そういわれて、海音に手をひかれて湊人も後に続きます。
こどもたちは、砂浜からすこしだけ離れた所で泳いでいます。
「あーっ、気持ちいいなーっ!」
地元の子どもたちは、泳ぎが得意です。小さい頃からこの海で泳いでいますから。
海音と湊人は彼らとはちょっと離れた、首だけをだして、足がやっと届くくらいの浅瀬にいました。
「みなとくん気持ちいいね!」
「気持ちいいねっ!」
湊人は波にユラユラ浮かんで、青い空にプカプカ浮かぶ白い雲を眺めています。
海音も両手を広げてその身を波にまかせています。
そのとき、その二人に向かって、進入禁止区域を無視した水上バイクが通りかかりました。
バババババババーッ。
「あっ!人がいる」
海面からわずかしか、頭がでていなかった二人を発見するのが遅れた水上バイクは、海音をかすめると、湊人にわずかに接触しました。
「やべえっ!」
水上バイクは、そのまま走り去りました。
「みなとくん、しっかりして!」
湊人は気を失っています。
水上バイクと接触した湊人の頭からは、血がとめどなく吹き出し、あたりを赤く染めてゆきます。
海音は湊人の顎に手をまわし、片手で泳いで砂浜へと連れていきます。
「みなとっ!」
波打ち際まできたときに、事故に気づいた湊人の父親が、海音から湊人をうけとると、抱きかかえて砂浜に寝かせました。
「みなと、湊人。しっかりしろ!」
「湊人ーっ!」
湊人の両親は、必死に呼びかけています。
ライフセーバーもすぐにやって来ました。
ほどなくして、ビーチに救急車のサイレンが響きわたると、湊人は心配する母親とともに救急車に乗せられて、病院へ搬送されていきました。
父親は自分の車でその後を追いかけていきます。
「みなとくん......」
その姿を海音は、呆然と立ち尽くして見送ることしかできませんでした。
*
5年後。
「海音あがったよ!」
「はーいっ!父さんありがとう」
「ふわとろオムライス、ビーフシチュー、お待たせしました」
「わーっ、美味しそう!ここって評判のお店なんだって」
観光客らしい女の子2人組は、料理をスマホで撮っています。
海音は来月4月から高校生です。3月末の今日は日曜日。
海音は両親が経営する海の近くの洋食レストランのお手伝いをしています。
「海音。こっち早く片付けて」
「はーい、すぐに行きまーす」
忙しなく働く母の呼びかけに、海音は明るく元気に答えます。
「チリンチリン、チリンチリン」
来客を知らせるベルが柔らかく鳴りました。
「いらっしゃいませ。何名さまですか?」
「2名です」
海音に案内されて、母親に連れられた海音と同じ年ごろの男の子は元気なく俯いたまま母親のあとに続きます。
「お決まりになりましたら、このボタンを押してお呼びください」
母親はメニューを海音から受けとると、息子に広げて見せます。
「湊人、どれも美味しそうよ」
男の子は、窓から見えるあの海を避けるように、顔を背けています。
この男の子は、湊人でした。
そうです。あの夏の日、〈みお〉と遊んだ、あの、〈みなと〉でした。
あの事故のあと、奇跡的に軽傷で済んだ湊人の額には、それでも大きな傷痕が残ってしまいました。
命を落としていてもおかしくない事故でした。
事故当時、湊人はまだ10歳の小学生。
夏休み明け、額のその傷を見たまわりの人びとは気の毒がってそのことには敢えて触れることはありませんでした。
それでも、中にはバケモノと陰口を叩く者たちもいました。
湊人は、周りの視線がいつも自分の額の傷痕にそそがれているような気ばかりがして、人との距離を置くようになりました。
それまで、いつも明るく、笑顔を絶やさなかった、クラスのなかでも人気者だった湊人の顔から次第にその輝きは失われてゆきました。
そんな湊人を気にかけ、励まそうとする両親の言葉にも耳を貸そうともせず、湊人はひとり、部屋で過ごす日々が増えていきます。
両親は次第に口論をする日が多くなり、それまで仲の良すぎるほど良かった夫婦の間の愛情は徐々に冷めてゆきました。
その結果、父親は外に愛情を求め、自分を慕ってくれた20歳も年下の部下と関係をもってしまったのです。
すべて自分が悪い、自分がいつまでもあの忌まわしい過去に囚われているせいなのだ、と湊人はいつも自分を責めていました。
自分の感情を上手くコントロールすることができなかったのです。
小学校の2年間と中学校の3年間を、人との関わりをほとんど絶って、ただ生きて過ごした湊人は、まわりが大学受験をそろそろ真剣に視野に入れ始めたころには、すべてがどうでもよくなっていました。
ある日、そんな湊人に父親は、「そんな傷でいつまでいじけているんだ」
つい、心にもない言葉を浴びせてしまいます。
自分が吐いてしまった言葉に居たたまれなくなった父親は愛人に走り、その結果、両親は離婚することになりました。
そうして、艶子は湊人を連れて故郷の実家、妻に先立たれ今は漁業で生計を立て、ひとりで暮らしている父の元に帰ってきたのです。
湊人がこの町に引っ越して来て、すでに一週間ほど経っていました。
しかし、湊人はこの街には馴染めませんでした。
というよりも、馴染もうとしませんでした。
母の故郷です。
小さい頃は、正月、夏休みと何度となく訪れていたこの町でしたが、ここに来るとあの水上バイクの事故の記憶が嫌でも甦ってくるのです。
あの犯人たちは未だに捕まっていません。
あの海を見ると、そのときのことを思い出します。
それで、足が自然と遠のいてしまいます。
湊人はできることなら、この地には来たくはありませんでした。
自分のすべて、家族を引き裂いた、あの忌まわしい過去の記憶が色濃く残る町なのです。
「お待たせしました。ハンバーグセットとオニオングラタンスープです。ごゆっくりどうぞ」
「ありがとう」
「さあ、湊人。食べましょうか?」
艶子が注文した、ならべられた料理を目の前にしても、まだ湊人は暗く沈んでいました。
海音は、その男の子の顔に見覚えがあるような気がしました。
もしかしたら、以前に一度来店されたお客さま?
会計を済ませ、店を後にするふたりの後ろ姿を見送りながら、海音はそんなことを考えていました。
*
海音が高校生になって登校二日目。
同じクラスには、幼稚園、小学校、中学校とずーっと仲のいい幼なじみの葵と和美、小さい頃はよく一緒に遊んだこれも幼稚園から一緒の健太、達也、大樹の三人組もいます。
「海音、また同じクラスだね」
「うん。葵、よろしくね」
何しろ小さな田舎町です。
ほとんどの生徒が、小学校から変わらず同じ顔ぶれが並んでいます。
けれども、この六人がそろいもそろって同じクラスというのは、初めてのことでした。
健太たち三人組はもうすでに大声ではしゃぎまくっています。
そんな、彼らを見つめて葵は、「最悪!アイツらと一緒って...あーっ、これから一年間が思いやられるわ」肩を落として本当にがっかりしています。
実は、葵と健太は、中学二年生のとき半年間だけ付き合ったことがありました。結局は、健太の浮気が原因で別れてしまいました。
中学生です。浮気といっても他の女の子を可愛いといった、そんな可愛いものでしたが、葵はそれがどうしても許せなかったのです。
海音がひとりの男の子に目を留めました。
この前、レストランを訪れた湊人です。
「彼、誰だろう?見かけない顔だけど。海音、知ってる?」
「ううん、知らない。誰だろうね......」
教室のドアが開き、担任の大和田が入ってきました。
「みんな、昨日は入学式おつかれさまでした。改めて自己紹介をする。担任の大和田だ。これから一年間よろしくな!」
黒板に、チョークで自分の名前を大きく書くと、生徒のみんなに自己紹介を促しました。
「じゃあ、君から順番に簡単に自己紹介をよろしくな」
自己紹介が順番に進んでいくなか、海音の視線は、湊人に注がれていました。
「八島湊人です。よろしくお願いします」
「八島くん、ここの人じゃないよね?どこから来たの?」
おしゃべり好きの和美が湊人に訊ねます。
「......先月まで東京の学校に通っていました。母の出身がこちらなもので......」
女の子たちは湊人に興味津々です。
というのも、湊人は、この辺りの男の子たちとは違い、都会的な雰囲気を身に纏った超イケメンだったからです。長身で、額を覆い隠すほどのサラサラの前髪が印象的です。
葵も、和美も熱いまなざしを湊人に送っています。
海音は、別の意味で湊人を見つめていました。
「湊人...どこかで聞いた覚えがある......」
海音の順番になりました。
「瀬戸内海音です。よろしくお願いします。えーっと、中学のときの部活は......」
「みお?......!」
湊人は、その名前に反応しました。
海音の顔を、目をこらしてじっと見つめています。
その視線に気づいた海音は、自己紹介が終わると、恥ずかしそうにそそくさと席に戻りました。
「海音、一緒に帰ろうよ」
「うん、帰ろっか」
今日の授業が終わり、葵と一緒に教室をでていこうとする海音の後姿を、湊人は優しいまなざしで見つめていました。
「あーっ、八島くん。湊人君って呼んでいい?」
おしゃべり好きのラジ娘の異名を持つ和美が、さっそく湊人に的を絞ったようです。
「......うん」
「湊人くんって、海音に興味があるんだね」
「いや、別に......」
「隠さなくったっていいよ。さっき、海音の自己紹介のとき見つめていたの、わたし知っているんだから。海音は、可愛いし、明るいし、性格良いし、私とは大違い。すご~くモテるから」
「......」
「それよりさ、湊人くん。この町は初めて?」
「何度か来ているよ。母さんの故郷だから......」
湊人はあまり他人と話すのが得意ではありません。
しつこく聞いてくるラジ娘をいいかげん疎ましく思い始めていました。
「和美、帰るよ!掃除の邪魔になるでしょ!」
お掃除当番の生徒は掃除を始めています。
和美を探しに教室に戻ってきた葵が、和美を湊人から引き剥がすように、その腕を引っ張って連れて行きました。
海音も、少し離れた教室の入口に佇んでいます。
樹と海音の視線がぶつかりました。
ふたりは、どちらともなく会釈を交わします。
「もう!葵ったら。湊人くんに話があったのに......」
「また、今度にしなさいよ。今日は女の付き合いを優先させてよね。部活が始まったら、三人そろってゆっくりすることも出来なくなるんだから」
「えーっ、どうせいつもの所でしょう?」
「そんなこと言わないの!いい子ちゃんだから」
頬を膨らませて不満げな和美を、葵は容赦なく連行していきます。
*
海音、葵、和美の三人は、和美の叔父さんの鉄の店、たい焼き屋の〈一心〉に来ていました。
ここのたい焼きは、中身の餡の中に桜の花の塩漬けが入っています。
外側の皮もほんのり桜色で、その名を桜たい焼きといいます。
そのまんまですけどね。
一年中この一品のみです。それと店内で飲めるドリンクも抹茶ラテの一品のみです。
他のドリンクは店の入口の横にある自動販売機で買うことができます。
ただし、持ちこみは厳禁。
これも、鉄のこだわりです。
「鉄おじさん、いいかげんメニュー増やせば」
「ラジ娘。美味しいものは、ひとつだけ真心をこめてつくるのが、俺のこだわりなんだ」
姪っ子の言葉に、たい焼き道を熱く語るこの鉄おじさんは、三人を幼い頃からよく知る、彼女たちの頼れるおじさんみたいなものです。
「......だから、ラジ娘って呼ばないでって言ってるでしょ!鉄おじさん」
「和美にピッタリのアダ名だと思うがな」
「はいよ、おまたせ」
テーブルに、ひとつずつ皿に盛られた桜たい焼きが並べられます。
「ありがとう、おじさん」
三人ともこれが小さい頃から大好きです。
「そんなことより、ドリンクちょうだいよ。早く」
「おっ、ドリンク。何にいたしましょうか?お嬢様がた」
「抹茶ラテの他に、今日は何かあるの?あるならそれ頂戴!」
「今日は抹茶ラテがおすすめとなっております」
「ないんか~いっ!」
こうした鉄とラジ娘のやり取りも毎度のことですが、それをいつも微笑ましく海音と葵は見つめています。
「あのさぁ、あの八島湊人くん。イケメンだよね。海音、どう思う?」
「う...ん。そうだね......」
和美の問いかけに、海音は言葉につまります。
「私は、好きだな。湊人くん」
葵が間髪入れずに言い放ちました。
「あっ、葵、ずるい。私が先だって」
「今度ばかりは誰にも譲れないっ!」
和美と葵は、もう、湊人を取り合っています。昨日初めて会ったばかりだというのに、全くこの娘たちは。
『湊人...聞き覚えがある名前なんだけど』
そんなふたりをよそに、海音はひとり記憶の糸を辿っていました。
*
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