短編小説 『ママはひとりぼっち?』第四話
今夜は地元の花火大会です。
ママが冬馬に言って父、光太郎を花火大会に連れ出していました。
ママが亡くなってからというもの、光太郎はここに来ることはありませんでした。ママとの想い出を思い出すのが辛かったのです。
冬馬は恋人の由紀恵と一緒です。
ママは光太郎のとなりを一緒に歩いています。もちろん、光太郎にはその姿は見えません。なぜなら、ママは幽霊なので。
冬馬が例のお守りを光太郎に持たせているのです。なので、冬馬と光太郎が暮らしている家の地縛霊であるママがこうやって外に出られるのです。
冬馬とママはこの頃ではもう言葉を発しなくても、お互いに頭の中でつぶやくだけで意思の疎通ができるようになっていました。
大勢の人で、花火会場である河川敷はごった返していました。
ママが周りを見渡すと、大勢の人たちの中に、かなり多くの幽霊の姿をみつけることができます。幸せそうなカップルをうらめしそうな顔をして睨み付けている女性がいたり、
小さな女の子を連れた父親らしい男性の傍に、嬉しそうにそっと寄り添う優しそうなその子の母親らしい女性がいたり、
特等席で ケバいお姉ちゃんを引き連れて、でかい声で大騒ぎしている いかにも成金という感じの親父の前に立って、リストラでもされたのでしょうか、怒り狂った鬼のような形相でその親父の顔を殴り続けている中年男性がいたりしました。
ママは、ただでさえ混んでいるこの花火会場の中にかなり多くの浮遊霊がいることに驚いています。
幽霊同士はお互いに見えるものの、 人間社会と同じで、見知った仲でなければ、いちいち挨拶はしません。驚きもしません。そういうものですから。
光太郎が冬馬に話しかけています。
「ママと一緒によく来たよね」
「そうだね。俺もよく覚えている。大勢のひとから俺を守るようにしっかりと手をつないでくれていたっけ」
光太郎は、その時のことを思い出したのか、少し涙を浮かべています。
『パパ、そんな悲しい顔しないで。私、ここにいるから...あの時と一緒だよ。聞こえないんだろうけど、私は幸せだよ。またこうやって三人で花火を見に来られるなんて、こんな日が来るなんて、20年前に別れた時には思ってもみなかったよ。本当に嬉しいよ。大好きだよ、パパ』
ママは今にも泣き出しそうです。けれども、涙は1ミリも出ません。
なぜなら、幽霊なので。
「けれど、ママは夜店好きだったなぁ。 冬馬と一緒に来るようになる前までは、めちゃくちゃ食って、遊んでいたもんな。 夜店で1万円以上使うって...」
光太郎は懐かしそうに目を細めています。
『あーっ、パパったらそんなひどいこと思っていたんだね。あの頃はいくらでも食べていいよ、遊んでいいよ、好きなだけ。って言ってたのに。心の中では、そんなこと思ってたんだね...ひどいよ』
そう言うとママは光太郎の脛を蹴ります。しかし、その足は光太郎の足を通り抜けてしまいます。それはしょうがありません。ママは幽霊なのですから。
三人は適当な場所を見つけて河原の土手に座りました。冬馬と由紀恵の間に、ママはぐいぐいと割り込もうとします。
『ママ、何やってるの?邪魔しないでよ』
『いいでしょう?ママだって冬馬 の隣に座りたいんだよ』
『だったらこっち側で、父さんの隣に座ればいいじゃないか』
『ちぇっ!冬馬のケチ』
もちろんこうした二人の会話はすべて頭のなかでやり取りしています。
『ママ、邪魔したいだけなんでしょ?息子の彼女にやきもち焼いてどうすんのよ』
『だってだって...二人ってラブラブなんだもん。パパなんて私のこと見つめてもくれないし...』
『しょうがないじゃん。父さんママのこと知らないんだから』
『わかってるけど。なんか悲しい...』
光太郎の横顔を見つめています。
花火が上がり始めました。
「ドンっ、ドドンドーン」
真夏の夜空に大輪の花が美しく咲き乱れています。
「きれいだなあ!」
光太郎が一人つぶやきます。
『パパ、きれいだね』ママは光太郎に話しかけます。
「花火上がってる時もママは両手に食べ物持って食べてたっけ。色気なんてなかったなあ」
『それは、冬馬が生まれる前の話でしょう?まだそんなこと言うの?』
ママは光太郎の鼻を思いっきりつねります。
「あっ!なんか虫が留まったような...」
『わたしは虫じゃありませ~んだ!』
光太郎は何かは感じるみたいです。
その様子を横目で見ていた冬馬は、苦笑いしながら優しいまなざしを二人に向けていました。
冬馬は、由紀恵の腰に軽く手をまわしています。由紀恵は、そのからだを冬馬にあずけ、二人はそっと寄り添っています。
その二人のようすを、光太郎越しに遠目で恨めしそうに見ていたママが気配を感じ振りかえると、一人の少女がママのとなりに座っていました。
『おばちゃんって、幽霊だよね?』
話しかけられたママは、目を見開いて驚いています。
『お嬢ちゃん見えるの?』
どうやらこの少女は声を出さずに話ができるようです。
『うん、しっかり見えるよ』
『お嬢ちゃんは幽霊じゃないよね?』
ママが驚いて尋ねます。
『うん、違う』
『冬馬と同じだ......』
実は、少女は両親に連れられて、ママたち四人の後をしばらく歩いていて、ママと冬馬の会話を聞いていたのです。
『彼とはちょっと違うけどね。ここにいる幽霊、全員見えるよ』
冬馬にはママだけしか見えていません。
『なんでそんなことができるの?』
『もう、ずーっと生きているからね』
『ずーっと、って?』
『あなたよりもかなり長く生きてる。からだっていう意味じゃなくてね。記憶だけだけどね』
『えっ!...そうなんだ。生まれ変わりってこと?』
『そう、体だけが生まれ変わるの。記憶だけは、最初の頃からずーっとある。私だけみたいだけれど』
『ヘーっ、そんなことってあるんだね』
『普通の人は生まれ変わったら前世の記憶はなくなるからね』
『そうなんだ』
『余計なお世話かとも思ったんだけれど、あなたには伝えておいた方がいいかと思って......』
『何を?』
『あなたはもう少ししたら、生まれ変わることになる』
『えっ!わたし、生まれ変わるの?』
『そう、つまり...このおじさんとはもうすぐお別れしないといけない』
『なんでなの?なんで......』
『それは、あなたがもう思い残すことがなくなったから』
『そんな...わたしまだパパや冬馬と一緒にいたいよ』
『けれども、これは自然の理なの、悠久の昔からね。誰一人逃れることのできない』
『けれど、お嬢ちゃんは違うよね?』
『うらやましいと思うの?』
『うん......』
『さっきも言ったけれど、体は生まれ変わるの。つまり、あなたが生まれ変わったときに、前の記憶があったとして、このおじさんたちを探しだしたとしても、どうやってそれがあなただと証明できるの?彼らよりも若いからだ、まったく別の顔。もし、信じてくれたとしても、同じように愛してくれるかしら?その時一緒に生きている家族はどうするの?』
『......』
『ひとがひとを本当に愛するって、色んな要素が複雑に絡み合っている。タイミングもそう、すべてが奇跡なんだよ』
『......』
『とにかく、もうあまり時間は残されていないから、ちゃんとお別れはした方がいい。あなたの息子さんには伝えられるでしょう?』
「お嬢ちゃん...いや、あなたは何者なの?』
『わたしの最初の名前は、卑弥呼』
『ひみこ......』
「ああ、美子。ここにいたんだ。良かった。探したぞ、美子」
突然、姿を見失い、慌ててわが子を探し回っていた少女の両親が、ほっとした表情で声をかけ、駆けよります。
『じゃあね』
そう言うと少女は、「パパ、ママーっ!」と涙ぐみながら両親のもとに駆けよりました。女性はいつの世も生まれつき女優です。
ドーン、ドドーン、ドーン。最後にひときわ大きな花火が打ちあがると花火大会は終了しました。
大勢の人びとが家路へと急ぐなか、肩を落として、とぼとぼと光太郎のとなりを力なく歩くママに冬馬が『どうしたの?ママ』と声をかけます。
『......』
『ママ、死にそうな顔してる』
『もう、死んでるもん......』
『そうだけど...ねえ、何かあった?』
『今は言いたくない......』
『冬馬、今日は由紀恵さんとお泊まりだったよね』
『うん、けどママのそんな顔をみたら、それどころじゃないような気がして』
『いいから、ママはパパと一緒に帰るから、大丈夫』
『本当に大丈夫?』
『大丈夫だって...さあ、行って行って』
『うん、わかった。父さんをよろしくね』
「じゃあ、父さん。俺たちはここで」
そう言って、冬馬と由紀恵は光太郎たちと別れました。
光太郎とママは家に帰ってきました。家の中に入ると、光太郎は寂しそうな顔をして、写真立ての中の ママを見つめ、話しかけます。
「ママ、今日花火大会に行ってきたよ。ママと冬馬と一緒に行った......」
『私も一緒だったってば、綺麗だったね』
「あの時と同じように綺麗だったよ。人もいっぱいいたし、君の大好きな夜店もいっぱい出ていた。君はよく食べたよね。両手に持って、だから僕は手をつなげなかったし......」
『パパ、いいかげんその話、やめない?しつこいよ、まったく』
「けど...そんな元気いっぱいのママが大好きだったんだ」
『パパ......』
「君と初めて会った時を思い出すよ」
『私もよく覚えてる』
それは、ある日、光太郎の近所の裏通りのひと気のないところで、チンピラたち三人に絡まれていたセーラー服姿の女学生を助けようとしていたママ。しかし、三人のチンピラに囲まれ、そのうちの二人はナイフを手にしていました。それを見かけた光太郎が声をかけます。
「おい、お前ら何をやってる!」
「うるせえ!邪魔すんじゃねえ」
男たちのうちの一人が、吐き捨てるように言いました。
ナイフを向けられた光太郎は、うろたえもせず、大声を上げます。
「怪我をしたくなかったらやめときな」 低く凄みのある声でした。
「うるせーっ!」とチンピラが飛びかかってきたその瞬間でした。光太郎はあっという間に三人を叩きのめしていました。
チンピラたちはよろよろと立ち上がると、転がるように逃げて行きました。
『助かった...この人いったい何者?』
ママは内心ほっとしていました。自分が空手の黒帯とは言え、ナイフを手にした三人に同時に囲まれては、さすがのママも無傷ではいられなかったでしょう。
『ああ、この人...私の白馬に乗った王子さまだ』
月明かりに照らされた精悍な光太郎のその顔を見たとき、ママはそう思ったのでした。
助けた女の子に、「大丈夫だった?」と手を差し伸べ、気をつけて帰るように言うと、
「ありがとうございました。助かりました」
光太郎に、頭を下げお礼を言いました。
「いえいえ、どういたしまして」
ママは爽やかな笑顔をみせた光太郎の手をぎゅっと握りしめると、
「結婚してください!」と、突然の逆プロポーズ。
「えっ!...」と、突然の告白に言葉を失った光太郎を尻目にかけながら、ママは言葉を続けます。
「独身ですよね?お名前は?私、嫌いなタイプですか?」
そう矢継ぎ早に質問を浴びせかけて、後日会う約束まで取りつけました。
家に帰って冷静になった光太郎は何が起こったのか理解できず、しばらく呆然としていたのですが、ママに渡された1枚のメモ書きに記された、ママの名前と連絡先を見て、 夢じゃなかったんだ、現実だったんだと驚いていました。
その翌日、ママから電話があり、デートすることになり、そこでもう一度ママは、結婚していいかどうかの確認をすると、「じゃあ行きましょう?」と言って、そのままホテルに、お互いの相性を確かめたいと、尻込みする光太郎を引っ張って連れていきました。
コトが終わった後で「相性、バッチリみたい」
そう無邪気に笑うママに、
『この人と、一生 暮らしていくんだな』と光太郎は覚悟を決めたのです。
『あの時のパパ、すごく可笑しかった。私がどんどん、どんどん話を進めても、パパは目を見開いて驚いているばかりで...。けど、私はどうしてもこの人逃したらダメだっていう気持ちが強くて、ちょっと強引だったけど結婚まで承諾させたんだよね』
「本当に強引だったよね。けど、おかげでママみたいな素敵な人と結婚できてよかった。よく俺を選んでくれたなぁと感謝しているよ」
その言葉を聞いて、ママは照れ笑いしています。
そんな一本気のママが、交通事故で死んでしまったのは、ママが買い物途中に見かけた、突然車道に飛び出した男の子を助けようとして、車に跳ねられしまったことによるものでした。
そして、ママとの思い出がいっぱい詰まり過ぎたこの家を、「ママを思い出してつらいから」と、嫌がる冬馬を連れて出て行ったのです。
それからの20年間、ママはひとりぼっちでこの家で暮らしていました 。そこへ光太郎と冬馬が帰ってきたのです。
こうして、長い間離ればなれになっていた三人の生活がまた再び始まったのです。
そうした、ママにとって夢のような日々が続いていたのに、あの少女が告げた突然の宣告、『別れが近づいている』。ママの心の中は悲しみでいっぱいでした。
『もっと、もっとパパと冬馬と一緒にいたいよ。生まれ変わりたくないよ。パパ......』
「ママ......」
冬馬のいない家で、ママと光太郎は久しぶりに二人きりの夜を過ごしました。ベッドの中で今ではすっかりママの定位置となった、光太郎の右側に、ママは寄り添うように寝ています。
レースのカーテン越しに射し込む柔らかな月明かりに照らされる光太郎の寝顔に、ママはあの日初めて見た、精悍な顔立ちの光太郎を思い出していました。
『そう、パパは私の白馬に乗った王子様だったんだ』
〈続く〉
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