
短編小説『まさみとぼく 孔明の孫』
「鬼はー、そとっ! 福はー、うちっ!」
「イタタタタッ! そんなに強く豆を投げつけられたら、痛いって、まさみ。なんか、ぼくに恨みでもあるの?」
節分の今日、日曜日で仕事が休みのまさみは、ピーチに鬼のかぶりものを被せて、部屋中を追いかけまわしています。
ピーチも必死に逃げまわりますが、なん粒も勢いよく同時に飛んでくる炒り大豆は、なぜか、かぶりものに隠れていないピーチの下半身ばかりにヒットしています。
「バカみたいに、そんなにあっちこっちにばらまいたら、あとで掃除するのはまさみなんだからね。いい加減にしときなよっ」
「鬼はー、そとっ! 福はー、うちっ!」
「だから、痛いって、まさみっ!」
それでも、まさみは、憎しみを込めるように眉間にしわを寄せながら、豆をまく手を一向に止めようとしません。
これには、理由がありました。
まさみの会社のパワハラ上司の鬼山部長が、配置換えで別の支店に支店長として転勤することになり、その代わりに温厚な性格で知られる福原課長が部長に昇進するかも、という噂が社内で出ていたからです。
噂の出どころは、支店長に形の上では昇進ですが、パラワラ、セクハラがひどすぎるとクレームが上がり、そのための実質的な降格人事に納得していない、鬼山部長でした。
鬼山部長なんかいなくなればいいのに、と普段から思っていたまさみの心境にかなりリンクしてしまったために、今年の豆まきには、まさみもいっそう気合いが入ったのです。
「鬼の逆襲だーっ!」
あまりの痛さに、さすがのピーチも堪忍袋の緒が切れました。
後ろ脚で器用に二本立ちして、両前足からは鋭いかぎ爪をむき出しに、両目は大きく見開いて、口を大きく開けて鋭い牙をのぞかせています。
そして、グルルルルっと唸り声を上げながら、じりっじりっとまさみに近づいて行きます。
「ま、待って、ピーチ。降参、降参だってば」
鬼のかぶりものも相まって、この前の猫ゾンビを彷彿とさせる、ピーチにしては珍しく凶暴な顔に、さすがのまさみも思わずビビってしまいましました。
まさみはやっと豆をまく手を止めます。
「まったく、まさみったら、ほんとにひどいよ」
鬼のかぶりものの上には、炒り大豆が数粒ちょこんと乗っかっています。
「ごめん、ピーチ。つい調子に乗っちゃって。ピーチの顔がほんとに鬼山部長の顔に見えてきちゃって。ごめんね、ピーチ」
まさみはそういいながらも、まだうすら笑いを浮かべています。どうやら、ピーチの顔がまだ鬼山部長とダブっているようです。
「まさみ、もうこの鬼のかぶりもの、いい加減に脱がしてくんない。まったく、最近こんなものにばかりにお金を使いすぎだってば。ぼくがタレント業で稼いだお金なんて、もうなくなっちゃったんじゃないの? 最近なんやかんや誤魔化して、預金通帳を見せてくれないけど」
実は、年が明ける前に、まさみは今年の干支にちなんで、ピーチに蛇の着ぐるみを買ってあげようとしたのです。
しかし、ピーチがそれを被ったところを想像したまさみは、ピーチが蛇にパックンチョと飲み込まれているイメージしか湧きませんでした。
それに、ピーチは、クリスマスはとっくに過ぎていたのに、ミニスカサンタのコスチュームをすごく気に入ってずっと着ていたこともあって、買うのをあきらめたのでした。
お調子者のまさみは、なんやかんやとイベントごとが大好きなのです。
それで、その蛇の着ぐるみを買わなかった代わりに、今回は鬼のかぶりものを手に入れたというわけでした。
「……そ、そんなことないよ。まだ、結構残っているから、安心して」
「ほんとかな?……」
ピーチは疑いのまなざしをまさみに向けています。
「そ、それはそうと、恵方巻きを買いに行かないと。ピーチも一緒に来る?」
まさみはピーチから鬼のかぶりものを脱がしながら、話をはぐらかすようにそういって微笑みました。
恵方巻きは一晩置くと固くなるので、昨日、まさみは、豆まき用の豆だけを買ってきたのでした。
まさみがいつも行くスーパーでは、キャリーケースのなかに蓋を閉めた状態のペットであれば、連れて入ることができるようになりました。
まだまだ、寒い日が続いていますが、ピーチはまさみのことが大好きです。
できればいっときも離れたくないのです。
こんな寒い時期でのお散歩もピーチにとっては大切なひとときでした。
「ピーチ、今日は寄せ鍋と恵方巻きでいい?」
「恵方巻きは、海老が入っていないやつにしてよね。先生に注意されてたでしょ」
「わかってるって」
まさみは件の顔が怖くて優しい動物病院の院長先生から、猫ちゃんに食べさせたらいけないもの、積極的に摂取させたほうがいいものなどをこと細やかに教えてもらっているのです。
「寒い、寒い、寒ーーいっ!」
外に出たまさみは、あまりの寒さに大声を上げます。
ダウンジャケットにもこもこマフラー、それにあったか手袋のまさみは、それでもあまりの温度差に、なぜかその場で地団駄を踏んでいます。
「まさみっ! あんまり揺らさないでよ」
まさみの背中のキャリーケースのなかで、ピーチは右に左にと小刻みに揺さぶられています。
もう二月だというのに、いまだにピーチはあのサンタクロースのコスチュームを身に纏っていました。今ではすっかりピーチのお気に入りになったようです。
「こんなに寒けりゃ、今年も春がやってくるのは、まだまだ先になりそうだね、まさみ」
「ここ何年か、季節って、夏と冬しかないみたいだよね。秋になったと思ったら、すぐ寒くなってさ。春になったと思ったら、すぐに夏でしょ」
「ほんとだよね。おかげでぼくの毛も変なタイミングで生え変わるから、すごく疲れるよ」
ピーチの毛はやっと冬用のあたたかい毛に生え変わったところなのに、あとひと月も経って、三月になれば、今度は春の生え変わりの時期がやってきます。
これも異常気象のせいなのでしょう。
「猫ちゃんは大変だよね。わたしたち人間みたいに、簡単に洋服で調節できないから。一週間ほどで急激に気温が変わったりすると、へんっしーん、みたいに早変わりができないからね。よかった、わたしは人間で」
「それでもぼくは猫ちゃんでほんとによかったって思うよ。少なくとも仕事上のストレスなんてものとは無縁だからね」
「たしかに……」
*
「寒い、寒い、寒ーーいっ!」
寒がりのまさみは、スーパーで買い物を終えると、急ぎ足で我が家へ向かいます。
「まさみ、さっきから誰か後ろをつけてきているみたい」
河岸の遊歩道を下って公園を曲がったところから、ある程度の距離を保ちながら、後ろをついてきている誰かにピーチは気づいていました。
「えっ、ほんとに?」
「ダメだって、まさみ、振り返っちゃ。こういうときは気づかないふりをして、マンションの入り口まで近づいたらダッシュするんだ」
最近、コートをパッと広げて自分の裸を女性に見せつけて、大笑いして去っていく変質者が出没している、と朝のニュースでいっていたことをまさみは思い出しました。
マンションはすぐそこでした。エントランスが見えたので、まさみが駆け出そうとしたそのときでした。
「ピーチ、元気じゃったか?」
後をつけていた男が、そういってふたりに近づくと、まさみが背負っているキャリーケースのなかのピーチを覗き込むようにして、声をかけました。
まさみは立ち止まり、その男から少し距離をとりながら、怪訝な面持ちで恐る恐るその姿に視線を向けます。
黒いコートに、黒ズボン、黒い皮靴に、黒手袋といった服装の老紳士は、その首に巻いたマフラーまでもが、真っ黒です。
「ピーチ、そんなに白々しくことばがわからんふりをせんでもよい。わしじゃよ、千眼孔明じゃ」
「千眼孔明さんっていうと、あの猫の国の?」
まさみは確認するように、老人の上から下まで視線を走らせます。しかし、どう見ても、人間です。とても、猫には見えません。
「そうじゃ、まさみさん」
「でも、人間ですよね。猫じゃないですよね」
「ああ、今は人間の姿をしておるんじゃ。ちと、理由があっての」
「すみません。でしたら、あなたがあの孔明さんだという証拠を見せてもらえませんか?」
まさみはまだ疑いのまなざしを向けています。
「ああ、お安いご用じゃ。ほいっ! これでどうかの?」
辺りにひとがいないのを確認すると、自らを千眼孔明と名乗るその黒ずくめの老紳士は、一瞬にして若いイケメンの姿に変身しました。
「これで、信じてくれたかの?」
まさみは驚きのあまり、声が出ません。
「おじいさん、お久しぶりです。いったいなんで、人間の姿なんかに?」
ふたりのやりとりに耳を澄まして聴いていたピーチは、キャリーケースから顔をのぞかせて、目を凝らしています。
ピーチは親しみを込めて、千眼孔明を千眼さんでもなく、孔明さんでもなく、ただ『おじいさん』と呼んでいます。
「それは、ここでは話せんのじゃ。なかでいいかの?」
イケメンの見た目とは、話し方のギャップがあり過ぎます。
*
「実はの、ピーチにお願いがあってきたんじゃ」
リビングで、まさみにうながされて座ったソファに浅く腰かけて、テーブル越しに孔明は渋い顔です。
「どんなことでしょう?」
ピーチは、あの猫の千眼孔明と、目の前のこのイケメンが同じなんだと頭では理解していても、そのあまりにも違いすぎる見た目に、いまだに違和感がぬぐえません.
「その前に、なにか食べさせてもらえんじゃろうか。この数日間というもの、なんにも口にしとらんのじゃよ。それに、この寒空の下で今まで何日も、ピーチ、お前を探しておったからの。寒さで凍え死にそうじゃ。会えて本当によかったわい」
暖房が効いた部屋のなかでもコートを脱ごうとしない孔明は、ガタガタと震えています。
猫は基本とても寒がりです。
大魔法使いの千眼孔明でも、さすがに人間界ではその魔法を思う存分使うことはできませんでした。
そこにないものを出現させる、例えば、食べものとか、現金とかを取り出す魔法は使えません。
ただ、変換魔法は使えました。
しかし、その魔法も、この人間界で使うとかなりのエネルギーを消耗してしまいます。
孔明がいま身につけているものは、もともと猫の国で着ていたものを、変化させたものでした。
ピーチを探すのにもひと苦労でした。
なにしろ、孔明にとって、猫の国ではそう難しくない探索魔法ですら、この人間界では使えません。
それで、孔明は、以前ピーチと初めて出会ったこの地域で、ピーチを探し回っていたのです。
「まさみ、おじいさんも一緒に食事できるかな?」
「大丈夫だよ、ピーチ。お肉も野菜もたっぷり買ってあるから、孔明さんひとりが増えたくらい、まったく問題ないよ」
まさみはそういいながらも、心のなかでは、せめて猫の姿ならまだマシなんだけど、とぼやいています。
「ありがとう、まさみさん」
*
「うまそうじゃ。けど、熱そうじゃの。ピーチ、お前は舌を火傷しそうなこんなものをいつも食べておるのか?」
出来上がった寄せ鍋から立ち上る湯気を目の前にして、孔明はそういって躊躇っています。
「今日はたまたまだよ。すごく寒かったでしょ。だから、からだが温ったまるから、ちょうどいいと思うよ、おじいさん」
ピーチと孔明、リアル猫舌の揃い踏みです。
「はい、孔明さん。どうぞ、たくさん召し上がってくださいね」
まさみは、ピーチと孔明の分を取り皿に取り分けてあげました。
「ありがとう、まさみさん」
「いいえ、どういたしまして。たくさん召し上がってくださいね」
ピーチと孔明は適度に冷めるまでおあずけです。
「ピーチ、これはいつ食べたらいいのかのう? 下手にがっついて舌を火傷したくないからのう……」
孔明は箸を手に、いつ食べたらいいのか、そのタイミングを見計らっています。
「おじいさん、もう少し待っていてください。もう少しだけですから」
しばらくの間、孔明とピーチは、目の前に取り分けられた寄せ鍋とにらめっこが続きました。
「そろそろ大丈夫そうです。じゃあ、ぼくが先に食べてみますね。ハフハフ……」
ピーチは鶏団子を口にします。ふわふわと柔らかく、生姜のしぼり汁がアクセントになっていて、ほっとする味です。
「おじいさん、もう食べごろです」
「もう、大丈夫かいのう?」
孔明は器用に箸を使って口のなかに放り込みます。
何度も人間の姿でひとに紛れて人間界を楽しんできた孔明は、ひと通りのことはできるようになっていました。
「うまいものなんじゃのう。これは美味である。まさみさん、すまんがお代わりをもらえんかの?」
「はいはーい。はい、どうぞ」
孔明はさっき食べたのがよほどおいしかったのか、鶏団子を十分に冷まさず、すぐに口の中に入れてしまいました。
「あつ、あつつつっ!」
「孔明さん、ダメですよ。そんなにがっついて食べたら、猫舌なんだから」
猫って、なんでどいつもこいつもこうなのかしら、とまさみは冷ややかな目で孔明を見ています。
ピーチも熱いとわかっているのに、たまにこれをやるのです。
鶏団子、豚ロース、白菜、豆腐、椎茸、たら、油揚げ、餃子など、孔明は久しぶりに人間界の食べものをお腹いっぱいに食べました。
「まさみさん、とてもおいしかった。ありがとう。寄せ鍋といったかの? こんど猫の国で娘に作ってもらうとするか」
「そんなによろこんでもらえて、わたしもうれしいです、孔明さん」
「ほんとにありがとう。何日かぶりで生き返ったわい」
イケメンの孔明は、キリッとした顔で、フワッとした笑顔を見せています。
「いいえ、どういたしまして」
まさみは、温かい鍋を食べているせいなのか、頬を少し赤らめています。
ここのところしばらく、ピーチとばかりいて、男性と出かけることもなくなっていたまさみは、こんな風に家で誰かに手料理を食べてもらうのは、ピーチ以外では久しぶりのことでした。
過去に付き合ったクズ男たちも、まさみが作った料理は本当においしそうに食べてくれたものです。
そんなことをまさみはふと思い出していました。
ご飯をなん杯もお代わりしたイケメンの孔明は、黒のタートルネックセーターのお腹の部分がぽっこりと膨らんでいます。
「孔明さん、お茶をどうぞ」
まるで世話焼きの女房みたいに、まさみは玉露の入った湯呑みをそっと孔明の前に差し出します。
この玉露は、まさみの母、敬子が、まさみとピーチのために年末に送ってくれたおせち料理と一緒に送られてきたものでした。
まさみは、封を切らずに、お客さま用にと大切にとっておいたのです。
「ありがとう、まさみさん」
「淹れたてですから、よく冷ましてくださいね」
そういわれて孔明は、茶托に伸ばしかけた手をあわてて引っ込めました。
まさみは孔明のその仕草に微笑みを浮かべると、食後の後片づけに取りかかりました。
「ところで、おじいさんの大事な要件ってなんなんですか?」
孔明があまりに食事を楽しみすぎて、ゆっくりくつろいでいたので、ピーチはなかなかいい出せずにいました。
ふたりはキッチンからリビングへ移動し、孔明とピーチは並んでソファに座ります。
「おう、そうじゃった。大事な話を忘れておった。実はの、わしの孫娘がの、アイドルになるといって、こちらの世界に来ているはずなんじゃよ」
「アイドルに? でも、猫ちゃんですよね?」
ピーチは猫の国の猫ちゃんが、なぜ人間界でアイドルに? と不思議そうです。
「わしが、孫娘のウララに上手いこと調子に乗せられて、魔法奥義のひとつ、人間の姿に変身する魔法の呪文を、ついうっかり教えてしまったんじゃよ」
「なんで、そんなことを? 大切な魔法をそんなに簡単に教えたらダメじゃないですか! おじいさん」
ピーチはそういって唾を飛ばしています。
「じゃがの、ピーチ。可愛い孫娘に『すごい! すごいね、おじいちゃん』なんておだてられて、つい調子に乗ってしまっての……」
「もう、しょうがないな。おじいちゃんは……」
ピーチは、大魔法使いでも、孫娘には甘いんだな、と微笑ましく思いました。
「それで、こうやって人間の姿に変身して孫娘を探しておるんじゃよ」
猫の姿で人間に話しかけようものなら怖がられるし、もし悪人にでも捕まってしまえば、人間のことばを話す珍しい猫として、怪しげな闇の機関に売り飛ばされてしまうかもしれません。
孔明はそう考えたのです。
「おじいさんって、人間にも変身できるんですね」
「ああ、しかし、この魔法はかなりのエネルギーを必要とするんじゃよ。それに、自分で自分に使うと恐ろしくエネルギーを消費してしまうんじゃ。じゃからいったん人間に変身したら、猫の姿に戻るときには、かなり体力を奪われてしまっての、その何分か後には深い眠りに落ちてしまうんじゃ。そうなると、なにが起こっても丸一日は目が覚めんのじゃ。じゃから、こっちにいる間はこのままの姿で過ごそうと思っておる」
「それで、おじいさんのお孫さんの名前は何というんですか?」
「ウララじゃよ」
孔明はそのウララの猫のときの姿を思い浮かべています。
「そのウララさんって今は人間の姿なんですよね」
「そうなんじゃよ。じゃから、ぱっと見た目、見分けがまったくつかんし、どこにいるのかもまったくわからん。それでピーチの力を借りることにしたんじゃよ。なにか良い知恵があるかもしれないと思ってな。ピーチはなんといっても猫の国の勇者じゃからの」
「そんなに持ち上げないでくださいよ、おじいさん」
そういわれて、ピーチはまんざらでもなさそうです。
「ウララさんの顔に、なにか特徴ってありますか?」
「そうじゃの……そうじゃ! 右頬にトランプのダイヤの形のように並んだホクロがあるんじゃ」
「よく、わかりますね、ホクロなんて。普段は毛むくじゃらなのに」
「ウララが立った! とき。いや、ウララが生まれてすぐのまだ毛が薄いときに、見たことがあったんじゃ。いまウララが人間の姿じゃったら間違いなく右頬にトランプのダイヤの形のような四つのホクロがあるはずじゃ」
「それだったら、なんとか探しようはあるのかも」
*
食後の後片づけが終わったまさみを交えて、ピーチたちは、ウララをどうやって見つけ出すのか、いろいろと案を出し合いましたが、そうこうしているうちにかなり遅い時間になってしまいました。
「おじいさん、今夜は泊まっていきますか? 外はすごく寒そうだし」
ピーチは、「また明日出直すから」といって帰ろうとした孔明を、そういって引き止めました。
この寒空の下に、見かけは若くても中身は老猫の孔明を追い出すわけにはいきません。
「そうさせてもらえれば、ほんとにありがたいんじゃが」
「まさみ、いいかな? おじいさんを泊めてあげても」
「もちろん、いいですよ」
*
まさみたちは、パソコンを前にして、インターネットでウララちゃんの情報を集めようとしています。
「うーん、検索キーワードをなんにしたらいいのか、難しいなあ。ウララちゃんはさすがにSNSとかやってるわけないし。ウララで検索をかけても、その生涯で一勝も挙げられなかった馬の名前が出てくるし。それらしい女の子の画像って出てこないし。どうしよう……」
「よかったら、わしにやらせてくれんかのう?」
早起きしたまさみが、いろいろと悩みながら、何時間もパソコンに向かっているのを心苦しく思った孔明が、申し訳なさそうに声をかけました。
「もちろんいいですよ。わたしはもう少ししたら会社に行かないといけないし」
というわけで、孔明はピーチに教わりながら、パソコンを操作しています。
「おじいさん、そこじゃなくって、ここを押すんです」
イケメン姿の大魔法使いの千眼孔明も、人間界のパソコンは自由自在にとはいきません。
「おじいさん、いっそのことぼくを人間の姿に変えてもらえないですか? そうしたら、ウララちゃん探しも少しは楽になると思うんですけど」
「すまんのう、ピーチ。それはできんのじや」
そういって孔明は顔を曇らせました。
「えっ! なんでですか?」
「猫の国の猫は、この世界では人間の姿に変身できるのじゃが、もともとこの世界で猫の姿のものは、魔法では人間になれんのじゃ。わしがもしあの魔法使いのサンタクロースじゃったら、そんなものは簡単なんじゃがの」
「そうなんですね」
魔法使いのサンタクロースというワードには、ピーチは食いつきませんでした。静かにスルーです。
どうやら大魔法使いの孔明にも、使用する魔法にいろいろと制約があるようです。
ピーチと孔明がパソコンと格闘すること数時間。いろいろなキーワードを入力して検索した結果、〈アイドル、新人、ホクロ〉でヒットしました。
画像を一枚ずつよく見ていきます。
「おじいさん、この子って違います」
「うーむ、直接会ってみればすぐにわかるんじゃがの。これじゃあ、匂いもなにもせんからの。いくらわしの孫娘じゃといってものう、……難しいのう」
なかなか、ハッキリとしたトランプのダイヤのようなホクロがある少女は見つかりません。
孔明もかなり前に一度見たきりですので、だんだん自信がなくなってきました。
「あっ! おじいさん、この子は?」
どこかの芸能プロダクションがホームページにあげている新春晴れ着撮影会の写真です。
振袖を着た所属タレント総勢十二名が、歴史ある記念館の庭園で艶やかな姿をお披露目しています。
そのなかのひとりがウララのようにピーチには思えました。
「うーん、どうじゃろう。ホクロはまったく同じところにあるような気もするが、時が経てば、ホクロも少しは移動するからのう。しかし、この子のような気がするんじゃがの。この子に直接会えればいいんじゃがのう」
孔明は困り顔です。
「えーっと、この子は……あっ! 風香ちゃんと同じ事務所の女の子だ。ここに所属したのもつい最近だし、期待の新人って書いてあるから、この子のような気がします、おじいさん。もしかして風香ちゃんならこの子のことを知ってるかもしれない」
事務所の彼女のプロフィール欄には、猫瞳ダイヤと書いてあります。彼女の本名なのか、事務所がつけた名前なのか、それとも彼女自身がつけた芸名なのかはわかりませんが、なんとなくそれっぽいです。
「ピーチ、なんとかこの子に会うことはできんじゃろうか?」
「うん、おじいさん。まさみに頼んで、風香ちゃんに訊いてもらうよ。彼女に会えないかって」
*
「すみません、風香ちゃん。こんなところまで来てもらって」
「いいえ、まさみさん。わたし、ピーチちゃんにすごく会いたかったから、ここに来られてうれしいです。今日は猫成分をいっぱい補給して帰りますからね」
「風香ちゃん、久しぶり。最近、風香ちゃんをテレビで見ない日はないよ。すごく忙しいんでしょ?」
「うん、お仕事は忙しいけど、私生活も充実してるし、元気で楽しくやってるよ」
風香は件の俳優と、結婚に向けて秒読みの段階に入った、といわれています。
ピーチが人間のことばで、風香と普通に話しているのを聞いても、風香に連れられてここまでやってきた、あの女の子、猫瞳ダイヤは少しも驚いていません。
「ウララ、わしじゃよ。孔明じいじゃ」
今までじっと彼女を見つめていた孔明が口を開きました。
直接会ってみて、その匂いを確かめて、孫娘のウララだと確信したのです。
「おじいちゃん、こんなところまであたしを追いかけてくるなんて信じらんない!」
ウララもしらばっくれることはできない、と覚悟したようです。
孔明はなんといっても大魔法使いです。有無をいわさずウララをもとの猫の姿に戻し、連れ帰ることなどは造作もないことです。
「お父さんもお母さんも心配しておる。一度はアイドルになったんだからもう気はすんだじゃろう?」
「やっと、これから歌にお芝居に頑張ろうってときに……嫌よ、あたし猫の国に帰るのは!」
「困ったのう。わしがウララに変身魔法なんかを教えてしまったばかりに」
「ちょっといいですか?」
風香が話に割って入りました。
「なんじゃろうか?」
「ダイヤちゃんのことは、もしかしたらって話でまさみさんから詳しく聞いています。やっぱり孔明さんのお孫さんなんですね」
風香は、ウララという猫が、人間界でアイドルになりたいと猫の国を飛び出してきた孔明の孫だということを、そして、孔明がそのウララを連れ戻しにきた、ということもまさみから聞いていたのです。
その上で、猫瞳ダイヤが、もしかしたらそのウララかもしれない、と伝えられていたのです。
「そうじゃ、この子は間違いなくわしの孫娘のウララじゃ」
「ダイヤちゃんは、わたしが驚くくらいお芝居が上手なんです。まだ新人だからそんなに出番は多くはありませんけれど、きっと人気者になるはずです。それに、彼女はわたしとは違って、歌も歌えるアイドル女優になりたいって割り切っています。そんな若い女の子なんて今はほんとに少ないんです。事務所も彼女のことを猛プッシュしていますし」
「風香さん……」
ウララは風香のそのことばを聞いてよほどうれしかったのか、目に涙を浮かべています。
日本でいま一番勢いがあり、大女優への道を着実に歩んでいる風香のそのことばは、ウララの心に深く染み入りました。
「そこで、どうでしょう? もし、許されるのであれば、ダイヤちゃんの気がすむまでこの人間界に置いてやってもらえませんか?」
「じゃがのう。わしの娘がうるさくてのう。『こんなことになったのは父さんのせいだ』ときっと罵り続けるに違いないんじゃ。それはのう……」
孔明は娘から責められる自分の姿を想像したのでしょう。苦虫を噛み潰したような顔をしています。
「それじゃ、こうしたらどうですか? 孔明さんがダイヤちゃんのマネージャーになってそばで見守るっていうのは。それだったらダイヤちゃんも心強いし、きっと、ダイヤちゃんのご両親もご安心じゃないかしら」
「わしが、ウララのマネージャーに……」
「わたしが社長にお願いしてみますから」
「お願い、おじいちゃん。あたしまだここにいたいの」
結局、孔明は、風香のこの申し出を心よく受けました。一度いい出したら聞かない、ウララの性格をよく知っているのです。
そういうわけで、ウララの、いや、猫瞳ダイヤの専属マネージャーになった孔明は、その魔法の力をたまに使いながら、孫娘を見守るために人間界に残ることにしたのです。
ただ、人間界と猫界とでは、時間の進み方が違います。もし、ウララが長く芸能活動を続けて、人間界から猫界に戻ったときには、もしかしたら両親はもう死んでいないかもしれません。
そこで、孔明は、ウララを連れて一度猫界へ戻りました。そして、人間界の時間で一日に一度、一時間ほど、猫界へ戻ることを約束し、ウララはなんとか両親から人間界で生きていくことを了承してもらったのです。
孔明はそのために、ウララが人間界と猫界を簡単に行き来できるように、猫界の自然に存在する膨大な生命エネルギーを使って、猫界の両親が住む家のクローゼットのなかへ通じるゲートを、ウララの部屋の姿見のなかに作ったのです。
*
「まさみ。ダイヤちゃん、最近よくテレビに出てるね」
「そうだね。風香ちゃんの事務所も、ダイヤちゃんを第二の風香ちゃんに育てたいらしいから、かなり力を入れているのかもね」
「それにしても、あの猫瞳ダイヤって芸名、なんとかならなかったのかな?」
「ああ、あれね。風香ちゃんがいってたけど、どうやら事務所の社長さんがウララちゃんを初めて見たときに閃いてつけたんだって。猫のような瞳を持った、ダイヤモンドのようにキラキラ輝く女の子に思えたそうよ。もちろん、頬のトランプのダイヤの形に見えるホクロのイメージも重なってたみたいだけど」
「安直だねー。けどまあ、そんなに悪くはない名前だけどね」
「それよりピーチ、今日の晩ご飯なんにする?」
「うん、まだ寒い日が続いているから、また鍋がいいな」
「鍋がいいの? ピーチってリアル猫舌なのにね」
「熱っついものをパクパク食べられるまさみがほんとにうらやましいよ」
「えへっ、照れるなぁ。そんなに褒められると」
「いや、まさみ、ぼく別にそんなつもりでいったんじゃないからね」
「えーっ、じゃあ、どういうつもりよ!」
ピンポーン、パンポーン。
そのときインターホンが鳴りました。
まさみがモニターを確認します。
帽子を目深に被って、サングラスをした女性が画面をのぞきこんでいます。
「えっ! どちらさまでしょう?」
まさみには見覚えのない女性です。
「まさみさん、あたし、ウララです」
サングラスを外し帽子をとったその女性は、猫目ダイヤ、ウララでした。
「どうしたの? ウララちゃん」
「すみません、まさみさん。今ちょっとまずいことになっちゃって、とりあえずなかに入れてもらえませんか?」
モニターの横からそういって割り込んできたのは、千眼孔明でした。
もうすっかり、若者ことばが板についています。
*
「いったいどうしたんですか?」
リビングで、まさみとピーチはカーペットの上に座り、テーブルを挟んで、ウララと孔明はソファに腰かけています。
「実は、僕とダイヤが付き合ってるんじゃないか? と、週刊誌が嗅ぎまわってるんです」
「えっ! 孔明さんと、ダイヤちゃんが? ……だってふたりはおじいちゃんとお孫さんでしょ?」
まさみは驚いて大声を上げました。
「だって、見た目がこうでしょう? 誰にもそんなこと説明できないから」
そういって、ウララは深くため息をつきました。
それはそうです。実はふたりとも猫で、猫界から来ているなどといおうものなら、病院に入れられるのは確実です。
最近、新人ながら、歌にお芝居にと、あっという間に引っ張りだこの人気者になったウララに、早くも週刊誌の記者が、ウララのマンションの前で交代で張り込むようになっていたのです。
そんななか、『猫目ダイヤ、イケメンマネージャーと熱い夜を過ごす! ふたりはすでに半同棲中?』という文字が踊った記事が出るという一報が、事務所の社長からの怒りの電話で、ふたりにもたらされたのです。
風香から社長には、孔明とウララはいとこ同士だと伝えてはありました。
しかし、本来なら、親類がマネージャーにつくのを良しとしない社長は、事務所の稼ぎ頭の風香の頼みを無碍にもできず、しぶしぶ孔明を雇ったという経緯がありました。
なのに、「なんで、マネージャーが担当タレントのマンションから朝帰りなんて……いったいどういうことだよ!」と社長は烈火の如く怒ったのです。
もちろん、ウララと孔明のふたりは、そういう関係ではない、と社長に必死に釈明しましたが、それは同じ部屋に朝方まで一緒にいた理由にはなりません。
社長はふたりのことばに耳も貸しませんでした。
とりあえず、明日からは、風香に今ついているマネージャーがダイヤについてくれることになりました。
すべての事情を知っている風香が、社長にそうするように頼み込んでくれたのです。
風香がここまでふたりのために心を砕いてくれるのには、実は、風香のある可愛らしい企みがあったのです。
ですが、そのことについてはまた別の機会にお話しすることにしましょう。
孔明は事務所で電話番をするように命じられました。このことにすっかりしょげかえっている孔明かと思われましたが、なにしろ見た目は、超イケメンです。黙っていても、モテます。
事務所で働いているスタッフたちのなかには、過去、女優やタレントを目指して芽が出なかったという女性たちもかなりいました。
ですから、みんなひと並み以上に可愛い女性たちばかりです。
女好きの孔明は、そんな女性たちとがっつりデートできるかも、と内心飛び上がるほどよろこんでいたのです。
まったくどうしようもありません。
この大魔法使いも、化けの皮を剥がせば、ただのエロジジイです。
話が横道に逸れてしまいました。
実は、そもそもの原因は、孔明が作ったウララの部屋の姿見のゲートにありました。
ウララの両親との約束で、一日に一度、ウララは猫界へ帰らなければなりません。
ゲートが自然に開くのを待つとかなりの時間がかかってしまいます。
しかし、孔明がいれば、行きも帰りも時間を気にしなくてもいいのです。
それで、孔明はウララを連れて、行って帰ってくるまで、行動をともにしていたのです。
孔明も今ではウララのマンションから近いところに部屋を借りてひとりで暮らしています。
「向こうから戻るときに、ウララの母親が泣いて引き止めることがたまにあったんだ。そうなると、帰ってくるのが夜が明けたころとかになってしまう。『おじいちゃん、ごめんね、遅くまで』といって、朝、ウララが僕をマンションの前まで見送ってくれたときに撮られた写真なんだと思う」
「おじいさん、うかつだったね」
ピーチはあきれ顔です。
「ああ、面目ない」
孔明もがっくりと肩を落としています。
「それでどうするんですか?」
まさみは、ウララにちらりと目をやって、心配そうに孔明に訊ねます。
「しばらくは、あちら猫界へは帰れなくなると思います。それで、このことをウララの両親に伝えないといけないんです。そこで、ピーチ、君にあちらへ行ってもらって、このことを伝えて欲しいんだ」
「すみません、ピーチさん。お願いします」
ウララは両手を顔の前で合わせて、必死のお願いの形相です。
「そんなの、次に帰ったときに、実はこれこれこうで、帰れなかったんだ、といえばすむことじゃないんですか? おじいさん」
「それがそういうわけにもいかないんだよ、ピーチ……」
「お母さんたちは、あたしがこの人間界にいることをすごく心配していて、ほんとはいまだにそのことを反対しているんです。一日に一度は帰るという約束を違えれば、きっとあたしだけじゃなく、おじいちゃんまで、あの鬼ババアからすごく怒られると思うんです」
「ちょっと、ウララちゃん! 鬼ババアっていういい方はダメだよ」
まさみの目には故郷の母、敬子の顔が浮かんでいます。
親の心子知らず。
親になって、親がいなくなって、初めてわかる無償の愛の温かさです。
「ごめんなさい……」
ウララもさすがにこれはいい過ぎた、とすぐに反省しました。
「ピーチ、行ってあげなよ。神社の裏のあのゲートを使うんでしょ、孔明さん?」
「そうです。僕にもウララにも、ベッタリと見張りがついているので、今日は彼らを撒くのも大変でした。もし、そうしていただけるのなら、僕はこれで失礼します。お願いできますか?」
「わかりました、おじいさん。ぼくに任せてください」
「よかったね、ウララ。ピーチに任せておけばもう大丈夫だよ」
「うん、おじいちゃん。なんてったって、ピーチさんは猫の国の勇者だもんね」
ピーチは可愛い女の子には目がありません。芸能人として輝きを強めていくウララにそういわれて、知らない間にピーチの口元が緩んでいました。
『まあ、ピーチのこの顔……鼻の下伸ばしちゃって、まったくだらしないんだから』
まさみはうすら笑いを浮かべながら、そんなピーチを静かに見つめていました。
*
「まさみ、久しぶり、元気だった?」
まさみがマンションのエントランスに入ろうとすると、恐ろしいほど太った一匹の茶トラ猫が、声をかけてきました。
ピーチです。
孔明のことづてを、ウララの両親に伝えに行って、いま帰ってきたところでした。
人間界の半日は、猫界の一年に相当します。ピーチは、ほぼ一日ぶりに帰ってきました。
「ピーチ、どうしちゃったのあんた? お相撲取りさんみたいにそんなに太っちゃって」
まさみはピーチを指さして、お腹を抱えて大笑いです。
「うん、少し太っちゃったかな」
「少しなんてもんじゃないから、もとの三倍くらいには太ってるから。もし、あんたが人間のことばを話せなかったら、絶対いまのあんたがピーチだってわかんないって」
「だって、ウララちゃんのお母さんって、ほんとに料理上手で、孔明さんから教わった寄せ鍋をほとんど毎日のように作ってくれたんだ。それがおいしすぎて、食べすぎちゃったんだよ。なんか、猫界では、水の沸点が違っていて、猫舌のぼくでも、そんなに冷まさなくても、パクパク食べられたから、それがうれしくて、ついつい食べすぎちゃったんだよ。それに、イヌウさんたちからも盛大に歓迎されちゃって、どこへ行ってもご馳走ばかりでさ」
「それにしてもピーチ、あんた太りすぎ」
「……ところで、まさみ、今日の晩ご飯ってなに?」
「ピーチが最近はまってた寄せ鍋にしようかなって思ってたけど、そんなに寄せ鍋ばかり食べてたのなら、もう飽きちゃったでしょ? たしか、鶏がらスープの素が残ってたと思うから料理を変えるわ」
「えっ! なんに?」
「だって、ピーチのそのからだを見たら、これしかないでしょ」
「なに、なに?」
「ちゃんこ鍋! ごっつぁんです、なんちゃって」
まさみはそういって右手の手刀で心の字を書きました。
そして、左手にぶら下げたスーパーのレジ袋をわき腹にあてて、右腕を前方にピンッと伸ばすと、雲龍型の土俵入りを決めました。
*
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