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短編小説 『waving 再会 』後編

母がとなりで寝息をたて始めたのを見とどけると、
昭人は感慨深く、今日一日のことを思い返していました。

母、喜和子と五年ぶりの再会、そして、喜和子の夫、俊也と、妹の響子、母を含めた四人での夕食。

そして、昭人は異父兄妹、響子のことを考え始めていました。

突然できた年下の妹、それも人並み以上に可愛いらしい妹に、正直どのように接したらいいものか、自分で自分を持て余していました。

風呂上がりの石鹸の香り、髪をアップにした時のうなじの美しさ、その凛とした佇まいに、母、喜和子の姿が重なるようでした。

その途端、頭を振り、自分はいったい何を考えてるのか?自分自身を昭人は嫌悪しました。



響子も一人、自分の部屋で今日一日のことを振り返っていました。

今から五年前、異父兄妹の兄、昭人の存在を聞かされて、響子は本当はとても嬉しかったのです。

実際に兄、昭人に会うまでは、どんな人だろう?背丈は?顔は?声は?等と、色々想像することもありました。

けれども、実際会ってみると、
都会育ちの響子からしてみれば、田舎から出てきたばっかりの昭人とは、
一緒に歩くのも少しためらう存在でしかなかったのです。

昭人は男、響子は女なのです。

二人の間には、非常に微妙な空気感が存在していました。

そして、母、喜和子もそんな二人の距離感に気づいていました。





翌日の月曜日、俊也は四人で朝食を済ませた後、一人工場に向かいました。

朝食の後片付けが終わると、喜和子は、昭人と響子の二人を連れて、浅草見物に向かいました。

ひとを乗せた人力車が、傍らを通りすぎて行きます。

浅草寺、浅草花やしき、仲見世通り、伝法院通りなどを見て回りました。

昭人と喜和子は並んで歩き、響子はその後をついて来ていましたが、
いつのまにか喜和子の隣の車道側を歩いていました。

すると、前から自動車が猛スピードでやって来ました。
響子は恐怖のあまり立ちすくんでいます。

ぶつかりそうになったところを、昭人が響子をかばうように歩道側に身をかわしました。
一瞬のことでした。

「大丈夫?」と、響子を覗き込む昭人は、優しい微笑みを湛えていました。

体を柔らかく包まれたその腕のたくましさに、響子の胸の鼓動は激しくなります。
「ありがとう......」
と、か細い声で、言葉を絞り出すのが精一杯でした。



浅草見物を終えて、家に帰り着くと、喜和子はすぐにお昼を作り始めました。

昭人の目の前には、涼しげなガラスの器の中、たっぷりの水といくつかの氷の中に、冷や麦が盛られていました。

いろどりに胡瓜とチェリーが添えられ、白い冷や麦の麺の中には、薄緑とピンクの麺が数本づつ泳いでいます。

それと、今日浅草で買ってきた佃煮がたっぷり入った、浅草海苔で巻いた具だくさんのおにぎりもありました。

「さあ、いただきましょうか?」

母の言葉を合図に、三人はお箸を手にして食べ始めます。

昭人は、目の前の母、隣に座っている響子、こうして三人で食卓を囲んでいると、

「家族って、本当に良いものなんだなあ」と、しみじみと感じていました。

今は亡き父、哲男と二人きりの食卓では、さすがに暴力を振るわれることはありませんでしたが、
会話もほとんどなく、
それはそれは、味気のない質素なものだったのです。



裏庭では、真夏の強い日差しの下、木々もその緑の葉を抱えているのが辛そうです。

蝉の大合唱に、風鈴の涼やかなその音色もかき消されそうでした。





夜六時頃、早めの夕食を済ませた後、今夜は皆で出かけます。

今夜は隅田川の花火大会です。
会場へは歩いて三十分くらいかかります。

すごい人出です。みんな同じ方向へ向かって歩いています。

四人で並んで歩くのは、容易ではありませんでした。

いつのまにか、昭人と響子は、父、母二人と、はぐれてしまいました。

周りをキョロキョロと見回して、父と母の姿を探す、浴衣姿の響子の顔をのぞき込んで、
「大丈夫だから心配しないで」
響子を安心させるように、昭人は優しく囁きました。

昭人を見上げる形となった響子は、その気づかいに胸が熱くなりました。

「ドーン、ドドーン。ドーン、ドドーン」花火が上がります。

響子が下から昭人を見上げると、昭人は辺りを見回して、父と母を探しています。

兄の左手としっかり繋がれた響子の右手は、優しく力強い兄の思いやりを感じていました。

「おーっ。いた、いた。すごく探したぞ」
俊也が二人を見つけると声を張り上げました。

「良かった。突然いなくなったから、本当に心配したのよ」
喜和子はホッと胸をなで下ろしています。

その時、喜和子は、昭人と響子がお互いの手をしっかりと繋いでいるのをみて、すこしだけ驚いていました。

その視線に気づいた響子は、あわててその手を離します。

花火大会からの帰り道、響子は母の隣で、いつもの、もの静かな娘とは違い、饒舌に、いかに花火が美しかったのかを語っていました。

響子の視線が、二人の前を並んで歩く昭人に時折注がれているのを、喜和子が見過ごすことはありませんでした。





昭人の、夏休みを利用した東京での母、喜和子との再会は、気がつけば最後の夜を迎えていました。

昼間の蝉しぐれ、都会の喧騒が嘘のように打って変わって、まだ昼間の熱をわずかに残す柔らかな風が、庭の草木の葉をそよそよと揺らし、軒下の風鈴が心地よい響きを奏でています。

俊也、響子、昭人、喜和子が並んで縁側に座わり、
下弦の月の優しく溢れる月明かりの下で、いつかのようにスイカを食べ、種を飛ばしています。

「ぺぺっ、ぺぺっ。お兄ちゃん私の勝ちっ」

響子は自分のスイカの種が、兄よりも遠くへ飛んだのを確認すると、勝ち誇ったように宣言しました。

この頃になると、響子は昭人のことをお兄ちゃんと呼び、昭人は響子と呼び合う仲になっていました。

その様子をとなりで微笑ましく眺めていた俊也は、二人に声をかけます。

「こらこら、仲良くしないと」

浴衣から伸びた響子の白い両足は、宙でパタパタとせわしなく楽しそうに上へ下へと動いています。

その隣では、しっかり鍛え上げられた昭人の真っ黒な両足が、どっしりと、響子の華奢なからだを守るように寄り添っていました。

喜和子は、四人並んで座った縁側の一番左側から、三人の姿を見つめていました。

喜和子は、「この瞬間がいつまでも続くといいのに......」そう思わずにはいられませんでした。




翌日、四人で朝食を済ませた後、俊也は、

「じゃあ、昭人くん。一週間楽しかった。遠慮せずにまたいつでもいらっしゃい」

そう昭人に優しい言葉をかけると、工場へと向かいました。

昭人は帰り支度を始めます。

その後をついて歩くように、
母から譲り受けた水色のワンピースを、
今日の見送りのために身につけた響子は、
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と、昭人に話しかけます。

まるで、失った時間を取り戻すように、慈しむように、「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と、話しかけます。



東京上野駅、午後七時前、青い車体が印象的な寝台特急はやぶさの出発時刻が間もなく告げられようとしています。

多くの人びとでごった返すプラットフォームで、響子たち三人はその別れを惜しんでいました。

「今度はいつ会えるのかしら?」

「母さん、就職は東京にしようかと思っているんだ」

「えっ!本当に?」喜和子の顔に笑みが溢れます。

昭人の瞳を真っ直ぐに見つめて、
「お兄ちゃん。じゃあ今度は、四人で暮らせるね」と、響子は本当に嬉しそうです。

「ジリジリジリーン、ジリジリジリーン」

列車の出発を知らせるベルがプラットホームに響き渡ります。

「じゃあ、母さん、響子、お元気で」

そう言い残すと、昭人は列車に乗り込みました。

昭人は、携えた荷物を自分の座席に置くと、列車の大きな窓の前に素早く移動します。

外では喜和子と響子が待ち構えていました。

窓の内側に並んだ、人びとの間に隙間を見つけると、その中に割り込みます。

やがて、列車はゆっくりと昭人を乗せて動き出しました。

窓の外のプラットフォームでは、喜和子と響子が、その瞳に薄っすらと涙を堪えて、

「元気でね、昭人。元気でね」
母、喜和子が祈るように息子、昭人に、心のなかでその思いを伝えます。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん。元気でね。またすぐ会おうね」
響子は名残惜しそうに、兄、昭人に約束の言葉をつぶやきます。

「母さん、響子。元気でね」

昭人は、満面の笑みをその真っ黒に日焼けした顔に浮かべ、二人に向かって小さく手を振ります。

響子と母は、徐々にその速度を上げる列車に向かって、大きく、大きく手を振り続けています。

そのふたりの姿を見つめ続ける昭人。

やがて、ふたりの姿は、昭人の注ぐまなざしの中から、ゆっくりと遠ざかって行きました。



最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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鯱寿典
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