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短編小説 未来予想シリーズ『旅立ちのまち』2170

レストランの窓際で、初老の夫婦は、懐かしそうに目を細めながら食事をとっていた。

「何年振りだろうか?」夫がつぶやく。

二人の目の前には、フライドチキンとフライドポテトが、紙製の木目調バスケットに入れられ置かれていた。

ストローをすすると、口の中にシュワシュワッと音を立てて、炭酸飲料が流れ込んでくる。

「うまい!」夫は短くため息をつき、目を大きく見開いた。

素手でつかみ、その肉にかぶりつく....絶妙な味付けで、甘く柔らかく、この世に、これほどうまいものが、他にあるだろうか?と思えるほどだった。

「君との初デートもこれだったし、本当に二人でよく食べたね」

「本当に懐かしいわね」と、妻は言いながら、次の一口にかぶりく。

「だから、違うって言ってるだろうが!」

突然、レストラン内に男の怒号が響き渡った。レストランの中央で、仁王立ちしているその男の右手には、肉切り用のナイフが握りしめられていた。

その男に刺されたのであろう、ウェイトレスが胸を押さえて傍らにうずくまっている。

レストランの客たちは、一斉に外へと逃げ出した。男は、老夫婦の元へと近づいてきた。男は、テーブルの横に立ち、ナイフを振り上げる。妻をかばおうとする夫の前に、一人の男が割り込むと、次の瞬間......

ナイフを振り上げた男の身体は、宙に舞い、テーブルの上へと放り投げられた。引きずり下ろされるテーブルクロス...その反動で、宙に舞うフライドチキンとフライドポテト...床にパラパラと散らばって落ちた。

後ろ手に手錠をかけられたその男は、警護の者に連れて行かれた。

それと入れ替わるように、レストランのマネージャーが現れ、老夫婦に深々と頭を下げ、

「申し訳ございませんでした」と、柔らかな物腰で謝罪した。

二人は軽く会釈をすると「いいよ....全く気にしてないから」と、微笑む。

しばらくすると、さっきの騒ぎで外に避難していた人々が、再び戻ってきて、すぐにレストランは一杯になった。

胸を押さえて、うずくまっていたアンドロイドのウエイトレスは、立ち上がると何事もなかったかのように、奥の方に去っていった。

現在、西暦2170年......

政府が法律で定めた、120歳寿命制度の施行に伴い、建設された施設、通称『エデンの園』。

ある一部の富裕層は、人工培養細胞の恩恵で、長寿を手に入れることができるようになっていた。110歳まで若返りの手術を受けられたのだ。

一部の例外を除いて、全ての人々が120歳の誕生日を迎える日までに、ここで人生を終わらせなければならない。

ここは、人々が人生の最後の一週間を思い残すことがないように、様々なサービス....特に、食事のサービスを受けられる場所である。その全体は、ひとつの町を形作っていた。

男は、目の前に並べられた料理の数々...ピロシキ、セドロ、シャシリク、ペリメニ...などを眺めながら、40年ほど前に別れたロシア人の恋人のことを思い出していた。

野菜や肉が、柔らかく煮込まれた、赤色のスープ...ボルシチを口に運ぶ..

「うまい!」

その彼女が作ってくれたボルシチは、こんなに旨くはなかったが...優しい味だけはよく似ていた。

<男の彼女の自宅、父と母との会話......>

「お父さん...お母さんと、私は一緒に行きたいの」

「お前には....彼がいるじゃないか!」

「それでも私は......」

彼女は、両親が120歳を迎えたころ、一緒に、最後の時をこのエデンの園で迎えた。彼女はまだ、80歳だった。

彼女は、僕と生きることよりも、両親とともに人生に終わりを告げることを選んだ。彼女は何よりも両親を愛していた。

また、ボルシチを口に運ぶ。

男は、その優しい味に安らぎを覚えながら、彼にとっての最後の晩餐を終えた。明日、彼はこの世界に別れを告げる。

今から100年程前に突然発生した、動物たちの病気...特に、飼い犬、飼い猫、飼育されていた家畜のほとんどが、その突然変異のウイルス性の病気によって死に絶えてしまった。

魚たちは、海洋プラスチックごみをはじめとする、海洋汚染...そのせいで、比較的大きな種類が死滅してしまった。そのような種類の魚が自然に復活するには、何世紀もの時間を必要とすると思われていた。

そんな中、突然開発されたアルティメットミート、アルティメットフィッシュ、アルティメットベジタブルの登場により、人々の食生活は大きく変わる。

素材そのものの再現は、完璧にできたのであるが、微妙な味付け、そればかりはやはり人の手を介しなければ無理であった。

時代を食らってきた、腕のいい料理人は引く手あまたで、高額で雇われていた。

彼らはまた、政府からの特別の庇護のもと、145歳まで若返りの手術を受けることが可能であった。しかし、それには脳の適性が必須条件であった。

脳だけは取替えが効かないので、145歳まで脳が若い、という条件がかなりハードであった。

別のテーブルでは、中年の男が老夫婦を相手に話をしていた。

「そうですか...これが...あなたの最後のお食事なんですね」男の前に置かれている牛丼を見て、老夫婦の夫が、怪訝な顔で男に尋ねる。

「ええ、ここにきて最初の三日間程は、それこそ、フレンチ、イタリアン、和食などのフルコースをこれでもか、と言うほど食べましたが....不思議なもんです」

貧しい境遇だった彼の父親は、彼に、この牛丼の話をよくしてくれた、ということだった。

あまり裕福でない父親が癌になり、たいした治療も受けられないまま、60代で亡くなった、と男は話した。

窓側のテーブルに座っていた老夫婦の夫は、「私も牛丼はよく食べた、大好きだった」と、昔を思い出すように話す。

「溶いた生卵をかけ、七味唐辛子を振り、その上から紅しょうがをたっぷりと山盛りにして、口の中にかき込むのが、大好きだったんだ」

「こんな話をすると...食べたくなるね」

生唾を飲み込んだ夫を見た妻が、「じゃあ予約をしておけば?」と、夫をうながした。

夫は声を弾せて、「そうだね...そうしよう。君はどうする?」

「私はいいわ...私は...明日はフレンチのコースにするわ」

「そうだった...君は洋食の方が好きだったんだ。ごめん、忘れていたよ」

夫は、申し訳なさそうにつぶやいて、ウェイターを呼ぶと、翌日の予約を入れた。

ここに、生ける伝説と呼ばれた一人の料理人がいる。彼は、この施設が建てられてから初めて、150歳まで生きた男である。

その名を、秋天大地と言う。

食品プリンターの音が、冷蔵室の中で、静かに音を刻んでいた。アルティメットミート、フィッシュ、ベジタブルを原料に、ありとあらゆる食材を再現できる、3Dの食品専用のプリンターだ。

昨夜、土用の丑の日とやらで、注文が殺到したうなぎを、徐々に形作っていく。

もう少しで、この世を去る者たちにとっては、必要のない習慣だが、マネージャーのウンチクを聞いた者たちが頼んだようだ。

プリンターを見つめる、太郎の背後に腰掛けていた大地は、独り言のように話しかける。

「俺も早いもので、149歳だ。あと2ヶ月でこの世とさよならしないといけない」

「我ながらよく生きたもんだ...と思うよ。同世代の友人たちや、昔からの知り合いは、ほとんどこの世を去った」

「120歳を迎える、最後の一週間をここで過ごしてな...彼らの最後の晩餐は、俺が作った」

「みんなありがとう...と温かい微笑みをたたえ、感謝してくれた。その度に、胸が痛んだが... 一番つらかったのは..自分の子供たちがやってきた時だ」

<大地の娘、婿...彼らが旅立つ前夜、最期の晩餐を食べ終えた後、テーブルにて>

「父さん...美味しかった。ありがとう」瞳にうっすらと涙をためて、大地の娘は、いまにも泣き出しそうだ......。

「うん......」大地は上手く言葉をつなげられない......。

「子が親より先にあの世へと旅立つ、本当に寂しいものだよ」

「だが、それは俺自身が、この仕事を選んだ時にわかっていたことだ」

「脳の寿命の適正の高さで、図らずも、この使命を負うことになった。俺は後世に味の記憶を伝えるために、生きなければならなかったんだ」

「そして、今、やっと、俺の後を任せられるお前がここにいる」

「俺にもやっと、旅立ちの時が訪れたんだ」

「今にして思えば、お前を初めてここに迎え入れた時から、この瞬間が来ることを待ちわびていたんだろう」

大地の言葉を遮るかのように、食品プリンターの終了の合図が、短くなった 。

「完了しました」

大地の思いを聞きながら、身動きができずにいた太郎は、振り返り、大地を見て、

「まだまだ、教えていただきたいことがたくさんあるのですが......」と声を絞り出した。

「お前は、もう十分な経験を積んでいると思うよ。誰もが総料理長になれるわけではない」


145歳まで若返りの手術を受けることができるには、以下の条件があった。

第一に脳の健康の適正、今では、細胞の移植で、体のほとんどのパーツは健康に若く保てるが、脳だけは違っていた。

新しくすると、それまでの記憶が消えてしまう。実際の話、幼児レベルまで記憶が低下してしまうこともあった。

何十年にもわたって、記憶を移し替える、という研究が行われたが...結局、一度も成功することがなく、今では、その方面の実験や研究は禁止されている。

第二に、強靭な心が必要とされる。多くの親しい人を見送ることになる。これが難しい。彼らの口にする、最後の食事を作るのだから。

大地は、何かを思い出すかのように、遠くを見つめながら言葉を続けた。

「彼らにとっての....最後のひと皿を任せるよ、作ってくれ...文句は言わないから...と、頼まれるのだ...例外なくな。誰もが悩むのだよ。最後の一皿を選ぶのは」

人口が急激に増加し始めた時代には、大気汚染や自然環境の変化、特に地球温暖化の影響で、食料問題が深刻化した。

そこに起こった、家畜の大量死、ほとんど絶滅に近かった。

主に、大豆から作られた人造肉のアルティメットミートが、それらにとって変わった。

街は整備され、緑化運動も推進され、生活を楽しむには、最適な環境が整えられていた。

社会は、完全に支配者階級と労働者階級に分けられていたが、暴動が起こらないように、社会全体がうまくコントロールされていた。

労働者階級から成り上がるチャンスも、少しだけは残されていた。それらの人々の中でも、有能な料理人が重宝された。

原材料不足の為、過去の料理の作り方と、その味を知るものたちが、この世を去り始めた頃、突然開発された、アルティメットミート、アルティメットフィッシュ、アルティメットベジタブルの出現により、失われていた肉や魚、その他全ての食品原材料が、再現可能となった。

が、しかし...

料理というものは、本当に不思議なもので、同じ材料を使い、同じ分量であっても、切り方や火の使い方など、作る人が違うと、微妙に違う味になってしまう。

裕福な支配階級にとっては、120歳まで生きることが当たり前のようになっていた。そんな中であったからこそ、日々の食事は、人々の最も重要な関心ごとのひとつになっていったのである。

食に関する、ありとあらゆる情報や知識は、インターネットの中に溢れていたが、本来の味がどういうものなのかを、知らない人々にとっては、大地のような、その時代を生きてきた料理人の存在は、極めて重要な意味を持っていた。

技術革新により、宇宙への進出は進んだ。特に、本当の意味での世界政府の樹立後にもたらされた、世界的平和がそれをさらに加速させた。

宇宙エレベーターの建設の後、宇宙ステーションの規模は大きくなり、第二の地球を探す調査も、幾度となく行われていたが、いまだに見つけられないでいた。

もう、今では、我々はこの宇宙でたった一つの、固有の知的生命体なのだ、ということが、広く一般的な常識となっていた。それでも、希望を捨てていない人々もいたが......。

大地は、太郎の肩をポンと叩くと「もう、決まったことなんだよ」と、言った。そして、続けて「うまい料理を食わせてくれ」と太郎に微笑んだ。

大地がこの世界を去る時の、最後の晩餐の料理を太郎は頼まれていたのだった。そして、その時は、もうすぐそこまで近づいていた。

大地に与えられている、総料理長の部屋は、豪華なものだった。

今では、ほとんどの人が使用していない、手書きで書かれた、古めかしい高価なノートが何百冊も本棚に並べられていた。

「太郎は、ノートを受け継いでくれるだろうか?できれば、そうしてほしいが」大地は独り言のように呟いた。

インターネットの世界の中には、確かに、大地の残したレシピなどは、半永久的に残るであろう...が、手書きで書かれたその文字の一つ一つが、その時の大地の思いを、大げさに言えば、大地が生きた、という証を刻みつけているものなのである。

それと同じように、手書きで書かれた日記帳を手に取ると、

「これは、処分しないといけないな」

裏表紙に貼り付けられている、1枚の写真を見つめて、大地はつぶやいた。


家へと走らせる車の中で、太郎は、これは、大地の自分への最終試験なのだと....「いつか、この日が来ることは分かっていた」そう思うと、胸が締め付けられた。

世界中から大地を慕う料理人や、彼を尊敬する人々が集まり、送別会が盛大にとりおこなわれたのは、それから1ヵ月後のことだった。

会の最後に、大地は、太郎をみんなに紹介しひとふりの包丁を手渡すと、ふかぶかと頭を下げ、短く「ありがとう!」と、皆に別れを告げた。

何十年も過ごした、我が家と、知り合いや身内に別れを告げ、大地は、エデンの園にやって来た。今日から一週間をここで過ごす。

受付へとすすむと、顔見知りの若い女性達が、柔らかな微笑みをたたえ、少し涙を堪えているのか、途切れ途切れの声で、

「 寂しくなりますね、本当にお世話になりました」と頭を下げた。

受付の女性たちは、皆、生身の人間だった。大地の傍に控えていたアンドロイドが、「私がお世話します」と挨拶した。

遠い昔に有名だった、女性アイドルにそっくりな、ショートカットのよく似合う彼女は、事前に、大地がリクエストしていた世話係だった。

そのアイドルは、大地の初恋の相手である。もちろん、大地の希望に沿って、顔が作られていた。このように、アイドルがコピーされることは珍しくなかったが、生前に、その本人が了承していた人物のみに限られた。

なぜなら、夜の相手もするからである。 普通に考えると、アイドルとはいえ、自分そっくりの顔をしたアンドロイドが、見知らぬ男たちや女たちと愛し合うのは、嫌なものであろうが...そう考えない人達もいたのだ。

ある意味、死んでからも生き続けるのだ。また、お金の面でも優遇されていた。 コピーの権利を売ることにより、それだけで、富裕層の仲間入りができたのである。

けれども、大地は、彼女にそれを求めることはなかった。ふと、夜中に目を覚まし、ソファー型充電器に座って、居眠りをしているような、その穏やかで優しい表情の彼女を盗み見しているだけで、十分に幸せを感じていた。

それからの一週間は、全く退屈することもなく、満ち足りた時間が過ぎていった。

映画館や、様々なアトラクションがあるテーマパーク、カジノなどで楽しんだ。

もちろん、あの世話係のアンドロイドの彼女も一緒だった。彼女は大地のことを「ダイ」と呼んだ。堅苦しいことば遣いは無し、手は恋人つなぎで歩く。

「ダイ...あっちに行ってみようよ」

「ダイったら...可笑しい...こわいの? このジェットコースター」

「もう...知らないっ...ダイなんて嫌い!」たまに、すねることもあった。

大地は彼女のことを、「君、おまえ」と呼んだ。

「君は何にする?」

「おまえ...本当にバカだなあ」

「君のことは、きっと忘れない!」


太郎の作る料理は、うまかった。大地が教えた以上のものを作り出していた。その料理を、大地は一週間十分に味わった

今更ながら、太郎を総料理長に指名したことは間違っていなかった...と、大地は考えていた。

「総料理長」と、言いかけて、あわてて 「秋天様」と言い直し、太郎は大地にとっての最後の晩餐の料理を、テーブルに並べた。

その料理は、はるか遠い昔、大地が幼少の頃、『給食』というシステムが、まだ学校に存在していた、当時の人気メニューだった。

エデンの園のレストランに似つかわしくない、安っぽい器に盛られたその食事は、無邪気に楽しかったあの日を思い出させ、胸が熱くなった。

大地は思い出していた、大地にとっての本当の初恋は、小学校の担任の先生だった。あのアイドルは、その先生によく似ていたのだ。

大地は「最後の晩餐は何にしようか?」と、迷いに迷った挙げ句、なぜ、これを選んだのか...,自分でもよく分からなかったが、今、やっとその理由が分かった。

翌日、大地は、初恋の相手...小学校の先生の面影を宿したアンドロイドに見送られ、一人旅立った。


最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。
この物語は、私がイメージした未来であり、なんら科学的な根拠に基づいたものではありません。

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