好きなチームだけは…(2025年睦月【壱】)
「車も家も、妻でさえも替えられる。しかし、好きなフットボールチームだけは替えられない」
イングランドサポーターの呟きだとされているこの言葉、激しく共感しつつも、どこか受け入れがたい気持ちが残ります。
私は好きなフットボールチームを一度替えているからです。厳密に言うと、愛したチームを亡くした経験があります。
そのチームは、「ASフリューゲルス」またの名を「横浜フリューゲルス」(以下「横浜F」)といいます。
横浜Fは九州3県(熊本、長崎、鹿児島)を準本拠地として活動していました。熊本では熊本市水前寺競技場で年間3試合ホームゲームを開催していました。
毎回水前寺に通い続けましたが、とうとう一回も勝利を目にすることはありませんでした。でも、エドゥーやモネール、前田や反町などスター選手のプレーを目の前にしてサッカーに対する熱狂的な思いが醸成されていき、また横浜Fに対する愛も深くなる一方でした。
❖今思うと、準フランチャイズの功名としてJリーグ創世記においてその興奮やエネルギーが九州にもたらされ、後のロアッソ熊本やVファーレン長崎、鹿児島ユナイテッドそれぞれの誕生において、力の源になったような気がしてなりません。
別れは突然やって来ました。
1998年秋、横浜Fが翌年いっぱいで消滅することを聞かされます。大口の出資者が撤退し困惑した運営会社の全日空は、ダービー相手のライバルチームに吸収される道を選びました。
チームは当年限りを持って解散。翌年のシーズンから横浜マリノスに吸収・合併され、そのチーム名は「横浜Fマリノス」になると。
まさに茫然自失。何が起こっているのか即座に理解できませんでした。そこから沸き上がる怒りの感情をコントロールするのは難しかったですね。企業側の身勝手な論理に満ちた一方的な決定でした。相当年数がたった今でも怒りの感情は収まっていません。
全国から存続を求める数十万通の署名が集まる一方で、選手たちが運営会社だった全日空に対して抗議するためにユニフォームのスポンサー名(ANA)を腕で隠して写真撮影したシーンもありましたね。選手もサポーターも皆が被害者でした。私自身も抗議の意思を込めて余程の事情が無い限り全日空便を選ばなくなりました。
存続を求める声も空しく、チーム解散の決定は覆らないまま最後の大会「天皇杯」に突入します。負けた時点でチームの活動が終わる横浜Fは快進撃を続けます。準決勝で難敵鹿島アントラーズを倒し、ついに清水エスパルスが待つ決勝へ。
そして決勝戦にも勝利して天皇杯のタイトルを手にします。嬉しさと口惜しさと寂しさで流した涙と、その複雑な感情は忘れられません。
横浜F消滅から6年後、ロアッソ熊本が誕生したことで私は再び愛するチームに巡り合えました。これはとてもラッキーなことだったと感謝しています。
愛するチームを応援できること、ホームスタジアムでサッカーを見られることがどんなに有難いことか。これからも感謝の思いを胸に抱いて、精一杯応援していきたいと思います。
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さて、フリューゲルスが日本一になりながら、チームとしての活動に終止符が打たれた1999年元旦。
天皇杯決勝の中継でNHKの山本浩アナは視聴者に向けて語り掛けました。もうこのような悲しい場面を二度と見ることが無いよう祈りを込めて、その言葉をここに留めます。
「横浜フリューゲルス有終の美!2対1。清水エスパルスを下して、これで横浜フリューゲルス最後の舞台に華を添えました。芝の上で大の字になった楢﨑の姿も、そして抱き合ったサンパイオと山口の姿も、このジャージでもう再び見ることはありません。」
「私達は忘れないでしょう。横浜フリューゲルスという、非常に強いチームがあったことを。東京国立競技場。空は今でもまだ、横浜フリューゲルスのブルーに染まっています」