空脳体験記(2024年師走【参】)
師と仰ぐ伊集院光さんがパーソナリティをつとめるラジオ番組「月曜JUNK 深夜の馬鹿力」に『空脳アワー』というコーナーがあります。
不定期に放送されるため滅多にお耳に掛かりませんが、忘れたころに登場すると胸がざわつくコーナーです。
リスナーが感じた「脳が誤って記憶している」「自分がどうかしていたのか分からない」という不思議体験を「空脳」と定義し、送られてきた話がそれに該当するかどうかを検証する、といったコーナーです。
例えば、《子どもの頃に開けたはずの部屋の壁の穴をポスターで隠していたが後で見たら穴が消えていた》とか、《いつも親切にしてくれて家族ぐるみで仲良かったオジサンのことを自分以外誰も覚えていない》とか、《同級生から聞いて強烈に印象に残っていたエピソードを後日話題にしたところそんな事実はないと言われた》など。奇談や異聞の類だと思います。
伊集院師は「勘違いだ」と括ることなくそれぞれの話について丁寧に考察を進めます。人間の脳にはそうした領域があるのだということを肯定しつつ、説明できない事象を不思議がる、そんな時間です。正直、毎回脳が揺れます。
リスナーからの投稿は子どもの頃に体験したものが多いのですが、実は自分にもそんな「空脳」体験がありますので、ここに記しておきたいと思います。
◆ ◇ ◆
あれは4歳か5歳くらいの頃。
年に一度の秋祭りを見るために、両親と地元一番の繁華街「通町」へ出かけました。アーケード内が人でごった返すなか、私は両親とはぐれて迷子になります。
行き場なく彷徨う私。そこに世話焼きおばさん的な女性が近づいてきて「あんたどうしたとね?親は?」と尋ねてきました。彼女は私の住所を聞くなり市電の電停と行き先を教え小銭を握らせてくれました。私はそこから独りで電車に乗って自宅に戻ったのです。
一方、息子が忽然といなくなり焦った両親は、警察に届け周囲を血眼になって探したけれども、杳として見つからない。憔悴しきって一旦自宅に戻ったら玄関前に私がポツンと座っていた、と。これがこの話の全体像です。
両親は当然のように私に尋ねました。家までどうやって戻ってきたのか?と。
知らない人にお金をもらったことを両親に叱られるのではないかと恐れた挙句、独りで勝手に電車に乗り、降りる人の子どもの振りをして無賃降車、家まで戻ったと説明しました。親たちは首をひねりながらも、とにかく無事で良かった、一件落着!となりました。私が大人になった後も両親は「あん時は焦ったバイ」と笑いながら話していました。
この話のどこに「空脳」の要素があるのか?よく考えると、そこかしこにおかしな要素があるのです。
まず、親切なおばさんの行動です。幼児が迷子でウロウロしているのを捕まえて、家の住所を聞き電車賃を持たせる。果たしてそんなことをするでしょうか?普通であれば近隣の店舗や派出所に連れていき、迷子として預けるのではないでしょうか。
そして何より、帰宅するまでの私の記憶が無いのです。小銭を受け取って手に持って電車に乗り、降りるときに料金箱に入れるという一連の記憶が一切ない。電停から自宅まで数百メートルを歩いた覚えもない。気が付いたら家の前に座っていた、というのが本当のところです。
攫われて行方知れずになっていてもおかしくない刹那、ご先祖がおばさんに姿を変え、自宅まで手を引いて連れて行ってくれたのではないか。今ではこう思うようにしています。
ひとつだけハッキリと覚えているのは、買ってもらった「日産ローレル」のミニカーを手に抱えていたことです。お出かけの時はトミカを1台買ってもらえるのが本当に嬉しかった。その気持ちが親にも伝わっていたのなら、幼いながらに親孝行できてたのかなと思います。
秋の夕暮れのひとこま、空脳の一席でした。