凧とコマ
♪ もういくつ寝ると お正月
お正月には凧あげて
こまをまわして遊びましょう
はやく来い来い お正月
1901年発表の童謡「お正月」。
大分県が生んだメロディメーカー・滝廉太郎の作曲なのだと、いま知った。
クリスマスから始まる、子どもにとってのスペシャルウィークのメインイベントがお正月だ。昭和の男子はお年玉をゲットするなり、テンション全開で凧をあげコマを回していた。歌の通りに。
◇凧あげ編
小学生時分の凧といえば駄菓子屋とかで売っている、ヒーローものが主流だった。九州電力が年末に流すCMが、静止画をバックに「凧は電線がないところで上げましょう」と喧伝する薬が効いたのか、とりわけ空が広い小学校の校庭は凧あげ男子たちで混みあっていた。
ある年、弟から「幼稚園で自作した凧をあげたい」とねだられたことがあった。
竹ひごで組んだフレームに障子紙を貼り、足二本をくっつけ、スーパーカーらしき四輪車が描かれたシロモノだ。
幼児の手で作ってあるので、まともに上がらないしすぐ壊れた。
家を出るときはあんなに嬉しそうだった彼と無言で帰路につく。
タコ糸で手が擦れないようにと母が我々に持たせてくれた軍手が切なかった。
そんなある時、昭和の凧あげ界に革命が起こる。
突如現れた黒船、それが「ゲイラカイト」だ。
『ヒューストンからやってきた!』
ヤツはそんなフレーズとともにやってきた。
そのギョロ目は実に高性能だった。コントロールも簡単だったので、あっという間に校庭を制圧した。
クラスのお笑い番長・F君は、
「ヒューストンからやってきた!」のナレーションモノマネに続いて、
「だから、落ちるときも『ヒューッ、ストン』」
などとのたまい、クラスの爆笑をかっさらった。
もう誰も寄りつかなくなった正月の校庭。
ゲイラカイトは、この場所の制空権を今もなお守ってくれているような気がする。
◇コマ回し編
小学生のころ、界隈では木製のコマが大ブームだった。みんなお年玉を握りしめ、コマづくりで有名な木工所に買いに行っていた。
リンゴや富士山の形をしたものが主流だが、カスタムデザイン仕様もあった。それらのシルエットは男子の心に強く訴える色気あった。
そうやって手に入れたコマを土のバトルフィールドで戦わせる。
一斉に回して、最もイキナガ(長生き)した者がキングとなり、あとは格の低い者から順に王様ジャンケンの要領で上位にアタックしていく。
最初のランキングを決める大事な一投は、歌い終わりと同時に放つ。
♪ イキナガしょうか しょうくらべ
お前のコマは ボロコマだ
やーい やーい でっかんしょ!
(最後の「しょ!」で投げる)
あれから40余年が経っても浮かんでくる節。
これぞソウルミュージック。
そんなコマへの情熱は小学校卒業を境にピタリと醒める。
ここから先は青春一直線。
凧やコマは、ラジカセやアイドル雑誌に取って代わられる。
「はやく来い来い」と思っていた正月はもう二度と来ない。
でも、そう思っていた自分は、まだここにいる。