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2024年11月【弐】風邪

数年ぶりくらいにノーマルな風邪をひき会社を休んだ。

前日から喉の痛みや鼻水、微熱等の兆候はあったのだ。その日受けた研修の内容も良くなかった。「問題社員への対応方法」だと。不愉快な事例をひたすら聞かされた時間も心身に障ったのだと信じている。ある意味労災だ!

金曜日の朝、かかりつけの内科にアポを取る。かつてコロナに罹患した際と同様に、駐車場に車を停めて検査を待つ。この方式は良いと思う。混んだ待合所で周囲に気を遣わなくて良いし、何より車内でシートを倒して横になれるのが有難い。

やがて現れた看護士さんに鼻の奥をグリグリしてもらい検査自体はすぐに終わる。数分後、病院裏手の勝手口的な扉から呼び込まれインフルエンザとコロナ検査結果「陰性」の報告を受ける。倦怠感と喉の痛みを訴え薬を貰う。

うちの職場は、熱があるのに出社するケースをすこぶる嫌がる。少ない人数で業務を回してる現状から、一人欠けるリスクよりパンデミックに陥って業務がストップすることが遥かに恐ろしいのだ。同僚に欠勤の旨をLINEで伝えて、さあ降って湧いた休日の始まりだ!

小学生の頃に熱発して学校を休んだ時は、いつもは躾に厳しい母がほんのり優しくなった。氷枕を枕に敷いてくれ、昼ご飯は具も味もないオカユ。甘いシロップ味の薬も。母が買い物に出ると本当に独りぼっちになった気がして心細く、彼女が道中で事故にあったりしないように本気で祈った。

夕方、クラスメートが当日配られたプリントや給食の食パンを持ってきてくれた。あの食パン、どうしてたんだろう?次の日にトースターで焼いて食べてたのかな。

あれから数十年後。おじさんのサボタージュは、案の定怠惰なものになった。横になり睡眠を取ったあとはSNSの動画等を見たりしながらダラダラと過ごす。こうなったら、とことんリラックスするのみ。

結局、週末を療養に充てて月曜日の朝を迎える。犬の散歩を終え実家の仏壇に手を合わせる。「おりん」の音が鳴り終わるまで母と会話を交わすのが習慣になった。彼女が作ってくれたオカユを食べることは二度とない。でも思い出は、そのひとの想いとともに自分の中にある。そして誰かにそれを与えていくことの大切さも知っているつもり。

寝過ぎて少し痛くなった背中や腰をさすりながら職場に向かう。バッドニュースが溜まってないといいが。他人より余計に休んだ後の憂鬱さには参るが、友達との遊びを中断して剣道の稽古に行かされていた、小学生時代の気分に比べると随分ましな気もする。


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