日曜歴史家、家族を語る/20世紀は家族の時代だった。しかし、21世紀は個人の時代になるだろう。
私たちが日常の中で扱う「家族」とは、歴史社会学の中だと「近代家族」というひとつの社会現象として理解されています。両親と子どもから成り立ち、情緒的な絆で結ばれた家族像は人間社会にとって普遍的なものではなく、ある時期に存在した限定的な家族の形でした。事実、全ての人が家族を持つ皆婚社会は構造上再現することが難しくなり、家族システムの崩壊した現代では、「家族」を単位とする社会から「個人」を単位とする社会への変革が求められています。
「家族」というのは不思議な存在です。ある人にとっては愛情の源泉であり、自身のルーツであり、心の拠り所です。しかし、別のある人にとっては憎悪の対象であり、自身を呪う縛りであり、心を掻き乱す存在です。つまり、個人の経験に応じて家族はその印象を大きく変える捉えどころのない存在だということが分かります。かくいう私も自身の家族について振り返る際、記憶に蘇るのは居心地の悪さでした。家族に対しては特別な愛情も、憎しみもなく、単に自分が生まれた場所という認識しか持ち合わせていません。
こうした経験が影響しているのかは分かりませんが、私は10代も後半にさしかかる頃、家族について興味を持ち始めました。なぜ人々は家族に対して特別な感情を抱くのか。なぜ家族は愛情の源泉として支持される一方で、憎悪の対象として忌み嫌われるのか。私の好奇心は次第に「家族の存在理由」について向けられ、気がつけば家族に関する情報を集めていました。
その中で、私たちのイメージする家族像は『近代家族」という西洋由来の家族像だということ。『性別役割分業』は資本主義の勃興期にヨーロッパの都市部で生まれた特殊な役割分担であること。アジア女性に求められる『良妻賢母』は西洋女性との相対化の中で生まれた幻想であること。子供への愛情は『啓蒙主義』が広まる中で生まれた人権思想の産物であること。これまで常識だと思っていた「家族」に関するあれこれは歴史的な社会現象の結果であり、家族に普遍的な形や目的などは存在しないということを学びました。家族は愛によって導かれる特別な関係などではなく、人類が脈々と受け継いできた『遺伝子を運ぶ空母』のようなものでしかないのです。
とはいえ、依然として「家族」に特別な感情を抱く人々は大勢います。男女関係は結婚を視野に入れた恋愛・性交渉が行われ、結婚した後は子どもを中心としたライフスタイルが理想とされています。「結婚や子育てだけが幸せの象徴ではない」と言われつつも、家族を築くことのできない状況をリスクだと考える風潮は色濃く残っているように思えます。
私はこのような風潮について賛否を問うつもりはありません。しかし、理由も分からないまま前時代的な家族像に縛られ、盲目的に踏襲してしまうことに関しては賛同できません。私がこのnoteで伝えたいことは、新しい家族像を思い描くことの重要性です。元来、家族とは多様な集団であり、時代・地域・階層などに応じてその形を変容させるものでした。言い換えるなら、家族とは生活の基礎単位であり、複雑な人間社会に順応するための社会集団であるということです。決して、時代の煽りに無抵抗なまま崩壊するような集団ではありません。私たちは家族の持つポテンシャルを理解し、家族の役割・範囲・可能性の拡大を考えるべきなのではないでしょうか。
日曜歴史家、フィリップ・アリエス
皆様はフィリップ・アリエスという歴史家をご存知でしょうか?
フィリップ・アリエスは1980年に『〈子供〉の誕生アンシァン・レジーム期の子供と家族生活』という本を発表しました。この本は、私たちの想像する家族が中世ヨーロッパから近代の過渡期に成立した歴史的な社会現象であり、「愛情を注いで育てるべき子供」という認識は、近代以降に作られた概念であることを主張しました。
この本の発表を契機に『家族史』は注目を集め、ヨーロッパ全体で家族を問い直す研究が盛んになりました。その影響は日本にも伝播し、以後、家族を歴史的な視点から分析することがスタンダードなものになりました。
歴史家として世界中に大きな影響を与えたアリエスですが、注目すべきは彼が正式な学者ではないということです。彼は熱帯農業に関する調査機関に勤めており、歴史研究は本業ではありませんでした。アリエスが『日曜歴史家』と呼ばれたのはそのためです。「今日という時間の中にある自分の理解」をテーマにしていた彼の研究が、子供・家族・死など、非日常的な歴史的事件の前では埋もれてしまうような、日常の延長線上にある事柄だったことも、彼が学者という職業を選択しなかった理由に繋がるような気がしてなりません。
私がはじめてアリエスの本を読んだ際に衝撃を受けたのは、その内容よりも文量の多さと複雑さでした。学術書なのだから当然かもしれませんが、本業の傍にこれだけの文章を書き込むのは相当の情熱がなければ不可能だと思ったからです。それと同時に本業ではないからこそ最後まで情熱を失わずに取り組めたのかもしれない、そう思ったのです。学者や研究者はその性質上、社会的な潮流、つまり社会通念に大きく左右されてしまう傾向にあります。例え事実だとしても、むしろ事実だからこそ、発言や研究成果に責任が問われます。最悪、時代が求める結果にそぐわなければ、学者や研究者の研究成果は忘れ去られてしまうことさえあるのです。
私とアリエスを同じ土俵に並べて語るのはおこがましいですが、ひとつ思うことは、日本で「家族」というテーマを取り上げるのなら正式な学者ではない方が発言しやすいということです。なぜなら日本の家族観は宗教的・政治的な思想と密接に関わっており、日本の家族について述べるなら天皇制や国体の歴史に触れずにはいられないからです。これは宗教的・政治的な話をするのがタブーであると言いたい訳ではなく、日本社会の複雑な歴史的事実と家族観を絡めて論じる際、感情的に受け入れられない人々が一定数存在することが容易に想像できるからです。簡単な例を挙げると、『夫婦別姓』を認可する旨の言説が報道されれば、「家族としての繋がりが薄れる」という批判が寄せられ、不認可にする旨の言説が報道されれば、「日本のジェンダーレス化は遅れている」という批判が寄せられるようなものです。日本では家族を根本から問い直す行為は人々の支持を得られないのです。それゆえに、日本の家族研究者たちは自らの社会的立場を守るためにも、公の場で家族思想を語ることが難しい状況にあると考えられます。
しかし、日本ほど「家族」の歴史が複雑な国は見当たりません。日本の家族は世界的に見ても例をみない特殊な存在なのです。仮に日本の家族研究者たちの発言力が高ければ、その特殊性を鑑みて斬新な家族像が提唱され、それを実現させるための都市計画、住宅建設、福祉制度、教育方針、男女共生が実現される未来もあったかもしれません。ですが、現代人の多くはその複雑性や特殊性を学ぶ機会を失い、家族は歴史的に一直線上の存在だと認識されています。これは非常に勿体無いことです。なぜなら日本の家族を歴史的に見ると、現代の『個人化』を前提とした社会と非常に親和性の高い多様的な集団であったことが分かるからです。日本の家族を欧米社会と安易に比較し、前時代的であるという認識に囚われてしまうのは誤った歴史解釈に繋がりかねないのです。
ここまで読んで下さった方々は、私がこの記事のタイトルに『日曜歴史家』という言葉を使用した意図がわかるのではないでしょうか。私は公式な研究者ではないからこそ「家族」に関して純粋に学び、深く言及することが許されているのです。私のnoteを読んで下さる方には、この日曜歴史家ならではの視点から語られる「家族の物語」を楽しんでいただければと思います。話が長くなりましたが、最後に私がこのnoteを通じて提示したいテーマを発表して文章を締めたいと思います。
私たちが日常の中で扱う「家族」とは、歴史社会学の中だと「近代家族」というひとつの社会現象として理解されています。両親と子どもから成り立ち、情緒的な絆で結ばれた家族像は人間社会にとって普遍的なものではなく、ある時期に存在した限定的な家族の形でした。事実、全ての人が家族を持つ皆婚社会は構造上再現することが難しくなり、家族システムの崩壊した現代では「家族」を単位とする社会から「個人」を単位とする社会への変革が求められています。
しかし、依然として多くの人々が家族を前提とした社会に生きているのではないでしょうか。男女関係は結婚を視野に入れた恋愛・性交渉が行われ、結婚した後は子どもを中心としたライフスタイルが理想とされています。「結婚や子育てだけが幸せの象徴ではない」と言われつつも、家族を築くことのできない状況をリスクだと考える風潮は色濃く残っているように思えます。
こうした根強い家族イデオロギーは私たちを旧時代の家族像に縛り付けてしまい、新しい家族像を思い描く機会を失わせています。言い換えるなら「家族」のイメージが「近代家族」以外に存在しないため、新しい共同体を模索することができずにいるのです。このnoteでは、私たちの家族像を支配する「近代家族」の成立過程を解き明かし、また変遷を辿ることで、新しい家族像を思い描くことの重要性を提示できればと思います。
日曜歴史家、家族を語る/20世紀は家族の時代だった。しかし、21世紀は個人の時代になるだろう。
ー終ー