妻の側に100%つく 続き4 男女の違いではなく嫁という固定概念が邪魔
嫁の側に100%つくの最後になります。
どのサイトにも本にも書いてあるこの原則について文化の違いについて考察してきたが、残されていた男女の違いについての考察をしたい。
要は自身の意見が、ベースの文化が同じ姑の意見に傾いてしまうのが常ではないだろうか?
という点に関して対策をして、妻が何にストレスを感じているか把握すら出来ていないのではないか?について考えるにあたって、
以下の3点から構成されている妻の側にたつ難しさについて、認識の改めとトレーニングが必要なのではないか?という話だった。
1、文化の違い
2、男女の違い
3、性格の違い
3、性格の違いは各家庭で異なると思うので飛ばす。
としたので、今回は2、男女の違いについてになるが、
結論としては、男女の違いというには間違いで、嫁とはこうあるべきという概念の異なりとするべきだった。
確かに世代が進む毎に昔のような嫁姑関係みたいのは薄れているのだが、薄れていると言っても、姑が嫁の時代に思っていたこうあるべき論がベースであって、最新世代の嫁姑論には残念ながら追い付けていないのがこのシステムの特徴だろう。
ファッションとかも、昔の流行で止まっている人がいるが同じような脳の仕組みなのか?まあそういうもんなんでしょう。
姑も昔、嫁時代に苦しんだことは決してやらないが、予想以上の個人主義化や自由に追い付いていない。
そしてこれは直らないだろうから、対策としては、息子である夫から、新しい世代の方針と考えを繰り返し伝え続けるのが良いと思う。
話はそれるが、他のblogの姑さんを拝見すると信じられないような発言をしている方がいて驚く。
なので、夫から方針を伝えても無意味な方もいらっしゃるだろうが、一事例としてお読みいただければ幸いです。