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実力派と感情 そして魂の課題

実力派タイプは ネガティブな感情を原動力に変える力がある とも表現できるが、一方で ネガティブな感情を処理しきれず どんどん溜め込んでしまう という性質があるだろう。

実力派は 以前 「感情の幅が大きく、特にネガティブな感情を長く持ち続けることができる」という表現をしていたが
自分自身のことと重ねて、検証を重ねていった結果
「ネガティブな感情を処理しきれずにいる」「ネガティブの扱い方がわからない」のではないか という仮説を新たに持った。

危機感や不安感を常に持ち続けることは、生命の危機と隣り合わせだった狩猟民族時代には 優位に働くことの多かった性質だろう。しかし、命の危険にさらされることのない現代において ネガティブな感情をいかにうまくコントロールするかが実力派の幸福度に大きくかかわってくる課題である。
人間の進化と 社会の発展により わたしたちの生命や身体は、より安全になったが 実力派の「精神」「こころ」は 不安定になりやすくなったかもしれない。

ハイブリッドタイプの価値観のような発言をしている実は実力派タイプを、
ハイブリッドか実力派かどうかの見極めるポイントとして
「苦労や重みが垣間見れるか」というものがある。
特に年齢を重ねた実力派タイプには  積み重ねた経験と 学びが醸し出す「重厚感」を感じさせる人が少なくない。
ネガティブな渦の中で、生き抜いてきたプロセスは どんなにいま軽やかに生きていても その背中や言葉のエネルギーに 苦労 というものが滲み出ているように思う。

軽やかに生きたいと願い、独自の工夫や試行錯誤を重ねたとしても
そのプロセスは 重要で意味のある「学び」なのだ。
面白がろうとしても、遊びにしようとしても、軽やかにスルーしようとしても、境界線を引こうとしても、なかなか簡単にそうできないプロセスも「試練」なのだ。

実力派の魂は、多くの学びを通して より磨かれようとしているのかもしれない。わたしたち実力派は 自分の力で ネガティブを味方につけて 学びを通じて「軽やかに」「幸福に」生きてゆくと言う力を ちゃんと装備しているに違いない。

(魂を磨く自分の道を見出して、すでに歩んでいる実力派タイプさんは そのままで突き進んでいただきたい!が もしも自分に自信が持てずにいる実力派タイプさんがこれを読んでいたら 、、自分自身にも向けて以下のメッセージを書いてみる。)

ネガティブになりやすいのに、無理にポジティブにならなくてもいい。
楽しく軽やかに生きたいのなら その目標に向かって努力やチャレンジを繰り返してもいい。

危険や不安にあふれた世界に慣れすぎていて、
夢や目標が当たり前のように「安心したい」になっていて(もしくは「安心したい」の延長線にあるダミーの望みになっていて!)
本当は自分が何をしたいのか 何を望んでいるのか わからなくなっている実力派も多いだろう。
それは自分の課題から逃げているわけでも、弱いわけでもなく 実力派の ネガティブに偏りやすい性質に起因する現象であると思う。

自分がそのような状況にあることを認めることから全てが始まる。

必死に掴もうとしていた夢や希望が実現できなかったのは、自分の本当の望みではないからだと気づくことは 実力派の人生において 大きな転換期となりうるのだ。

軽やかなフリはしなくていい。
楽しいフリも、余裕のあるフリも もうしなくていい。
わたしたち実力派はネガティブで重い感情のまま  粘り強く  自由な人生を追求していい。自分のやりがいに向かって突き進んでいい。あらゆる自分を受け入れることから 軽やかな自分の人生を目指していい。その姿が不器用な実力派の希望の光となることは間違いない。

常に危機感を持って、身を守らなければならない大昔とは 魂の磨き方が違う。できるだけ長く生き続けることが、魂を磨く唯一の方法だったかもしれない。
いまに生きるわたしたちにとって 自分の弱さと向き合い こころと向き合い どうしても閉じて守りたくなってしまうこころ を開く努力をやめないことが 魂を磨く方法かもしれない。
こころを柔らかくするために、学びと経験を重ね 自信を持つために チャレンジをし続け 魂を磨くことを やめない 諦めない。そんな生き方が 疲れない 不幸じゃない むしろ自分らしく輝く ひとつの正解 それが実力派の魂なのかもしれない、、

・・・と 今日も 実力派のオタク研究員は思いを馳せるのであった。


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