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「はじめて」を売る洋菓子店

昔、実家から歩いてすぐの場所に『ロンパード』という洋菓子店があった。

老夫婦が営む小さなお店は、戸口がせまく陽が入りにくいのか、店内はやや薄暗い。

白を強調する照明とポップな色合いがお決まりの「ケーキ屋さん」ではなく、昔ながらの「洋菓子店」と呼びたい空間だ。

幼少期、一番よく食べたケーキはロンパードの商品だった。

記憶にはないものの、祖母から聞いた話では、私が人生ではじめて食べたケーキはロンパードの「ショート」だったらしい。

いわゆるショートケーキのことだが、ロンパードのショーケース内にある、手書きの商品プレートに「ショート」としたためてあるため、祖母は何の疑問もなく、それを「ショート」と表現した。

ロンパードのケーキは全体に小ぶりで、ショートは縦4センチ、横10センチくらいの長方形であった。
上に乗るイチゴには、雪のような真っ白いお砂糖がかかっている。

シールやテレビで見かけるショートケーキは例外なく三角形で、そのシルエットが先入観としてしっかり根付いていた5歳頃の私は、ケーキデビューがロンパードのショートであると聞いて、嬉しかった。

めずらしい、四角いイチゴのケーキ。
子ども向けアニメでよくある、お皿からはみ出しそうなサイズじゃない、お上品なおさまりの良さ。

それは、幼児がはじめて対面した「おとなっぽいケーキ」だった。
この特別なケーキが自分の生活にかかわっていることが、なんだかこそばゆくて、嬉しかったのだ。

ショート

誰かの誕生日、お客さんがくる日、七五三にお雛祭りにクリスマス。
貧しくも豊かでもなかった小さな生家のハレの日に、いつもロンパードのケーキを買いに行った。

ロンパードのおじさんは、私の一番古い記憶でも、すでに「おじさん」というよりは「おじいさん」だったが、祖母が「ロンパードのおじさん」と呼ぶので、私もならった。
今おもうと、祖母より年上だったにちがいない。

おじさんは、とても小柄な人で、失礼ながら幼児の私は「大人なのに小さいな」と感じていた。
150センチ程度だったかもしれない細身の体に、ダブルボタンが8個ついたコック服をきっちり着込んでいて、とても姿勢がよかった。

平成初期の当時、ロンパードも所属する実家近くの商店街は、まだまだ大型スーパーやコンビニに押されておらず、活気があった。

魚屋さんはねじり鉢巻きにゴム製の前掛けをつけ、花屋さんはポケットの多いエプソンを着ていた。

そして、衛生観念が今ほど発達していなかったので、さばいた魚の形跡がまくり上げた袖に残っていたり、大きな切りバサミがさしてある腰ポケットが重みで引っ張られてゆがんでいたりした。

どの商売人の装いにも、「使用感」がむき出しで存在していたのに、ロンパードのおじさんのコック服は、いつも純白で、ビシッとしていた。
たまに店番をしているおばさんも、同じ装いだった。

それは、とてもカッコいいことのようにおもえた。

やはりくたびれ感のある、祖母のズボンにつかまりながら、一緒に来店するたび、ひそかに感心したものだった。

ロンパードのおじさんは、話し方も他のお店の人たちとちがった。
最近どう?まいどね、おまけしとくよ、などの気安い声かけはいっさいせず、ガラスの手動ドアを入ると、ショーケースの向こうから、腰をおって「いらっしゃいませ」と言った。

そして祖母が注文をすると、内容を繰り返すこともしないで、静かにほほえみ「かしこまりました」と箱を取り出すのだった。

子どもの頃からおしゃべりだった私にとって、その寡黙なあり方は、異質で新鮮で、カッコよかった。

そんな言葉はまだ知らなかったが、きっとあの気持ちは、はじめて感じた「プロフェッショナルへの敬意」だったのだろう。

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覚えている限り、私がはじめてひとりで買い物にいったのも、ロンパードだ。

何のために何のケーキを買いにいったのかは忘れてしまったが、おそらく年長くらいの年に、まだ夏目漱石が印刷されていた千円札を握りしめ、ロンパードの戸口に立ったのだ。

ロンパードの店構えは、商店街の他の店と比べると、ずいぶんひっそりしていた。
ボルドーのひさしはレトロなデザインで、店名である『ロンパード』が洒落た飾り文字で書かれていた。
「ルパン三世」のアニメロゴの書体に似ていたとおもう。

狭い店内にはたぶんロココ調と呼んで差しさわりないだろう、1人かけのリッチなイスが1脚と、ガラスのローテーブルが1つあるくらいで、ほとんどの面積がケーキのショーケースで埋まっていた。

このイスはケーキを注文した人が待ち時間に座るためのものだが、私は座ったことが一度もない。

まだ子どもで、未熟な自分が腰掛けるには、気の引ける重厚さを感じたからであり、はるかに年上のおじさん、おばさん夫婦が立って作業をしているのだから、休んでしまうのが恥ずかしくもあった。

はじめて1人きりで開ける扉に緊張していて、ドアについたベルがカララランと響く音が、心臓をびくつかせるくらい、大きく感じた。

おじさんは、私が1人できたのをみても、いつもと変わらず「いらっしゃいませ」とお辞儀をした。

私は感動していた。

子どもにとって、子ども扱いされることは日常だ。
大人に頼まれ荷物を持って歩いたり、家の前の掃除でもしていれば「あら、お手伝い?えらいわね~」なんて頭をなでられることが普通である。

しかしこの小さな洋菓子店の店主は、学校にいくかいかないか程度の若年の人間に対しても、他の客と同様の接客態度をとった。

ケーキを詰め終わってからは、ショーケースを越えて私の目の前で膝をつき、「おまたせいたしました」と両手で白い箱を差し出してくれた。
再びベルの音を響かせ、退店した道路からのぞいた店内のおじさんは、深く頭をさげていた。

なんだか、泣きたい気持ちだった。

いい人だとか、優しくしてもらえたとか、そんなことではなくて。

私はきっとこの日はじめて、誰かの子どもや孫という付属の存在ではなく、独立した人間として「社会」に参加した気がする。

祖母からもらったお金でお使いをしただけのくせに大層だが、ロンパードのおじさんにとって、大人に売るケーキと、私に売るケーキに、価値の差がないことを感じたのだ。

はじめてのお客様扱い、はじめての大人からの敬語。
あの日食べたケーキの味は、なんど考えても思い出すことができないけれど、甘いだけでは、なかったのかもしれない。

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はじめてケーキを「まずい」と感じたのも、ロンパードだった。

小学校3年生くらいになった私は、はやめの第一思春期だったのか、意味もなくイキっており、遊びに来た伯母がロンパードでケーキを買ってくれるとなって連れ立って店にいった際、「いつものイチゴのケーキでしょ」と先制されたことが癪にさわり、憤慨した。

「はぁ~?イチゴとかたべないし!ガキくさいし!」などとのたまった気がする。

まったく自分勝手な話だが、私はこの時、自分の発言にひどく動揺し傷ついていた。

ずっと大好きなロンパードの「ショート」をバカにした態度をとってしまったこと、それにより、おじさんに嫌われてしまうかもと胸を焦がした。

「じゃあどれにするの」
すげなく伯母に促され、目に付いたチョコケーキをとっさに指さす。
商品プレートには「オペラ」と書かれていた。

実は、私はこのオペラを食べる日をずっと楽しみにしていた。
半球型で表面がつやっつやのチョコレートでコーティングされた小さなケーキは、ただひたすらに美しかった。

中はどうなっているのだろう、あのぬらぬらと水分の多いチョコは、板チョコとはちがう味がするのだろうか……。

気になって気になって仕方がなかったが、以前おじさんが、オペラを買った他のお客さんに、「これはブランデーが入ってますから、お子さんのお口には合わないかもしれません」と話しているのを聞いたことがあった。

だから待っていた。
私の「お子さん」の時間が終わって、オペラを堂々と楽しめるようなるまで、大事にとっておいたのだ。

伯母は、はいはいこれね、といった感じにオペラを含むいくつかのケーキを注文し、おじさんにお金を支払う。

私はもうドギマギに焦って嫌な気持ちだった。
待って!これはずっと大切におもっていたケーキなの!
こんなつまらない気持ちの時に食べたくない!
そんな雑に、なんでもないことのように注文しないで!!

すべて自分のひねくれた態度が招いた事態であるのに、私は心の中で猛烈に伯母を責めていた。
「憧れのオペラ」をそうとは知らずに、サクッと購入する伯母が憎らしかった。

おじさんは、私たちのやり取りをみていたのに、オペラにお酒が入っているから子どもには不向きなことを、伯母に伝えなかった。
愚かな小学生がさらにみじめになる未来を、回避してくれたのかもしれない。

帰宅し、お皿に乗ったオペラが目の前に配膳されたとき、私は悲しくて泣いた。
伯母は「なによーやっぱりイチゴがよかったんじゃない」とあきれていたが、そうではなかった。

このケーキとは、楽しみで高揚して浮かれ切った、前向きな気持ちで出会いたかったのに。こんなことになってしまった。

不本意だった。
そしてぐちゃぐちゃな気持ちのまま口にしたオペラは、お酒の風味がプンとして、ちっとも美味しくなかった。

あの時のことを、おじさんにもオペラにも伯母にも、誰にも謝れずに、もう二十年以上の時間がたってしまった。

はじめての「ながく罰のわるい思い出」となったのだった。

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小学校の高学年になるころには、ロンパードのケーキと対面することはほとんどなくなった。

駅前にできた全国チェーンケーキショップの大きなホールケーキや、看板もケーキのデザインもかわいらしいパティスリーの商品がお祝いの席に選ばれるようになる。

私はこの変化を、歓迎していた。

すべて手作業で作っているように感じるロンパードのケーキとちがい、工場で均一にカットされた見栄えのするケーキは、ふわふわで甘く、満足感があった。

どれもシンプルな見た目でフルーツをほどんど使わないロンパードのケーキとちがい、数えきれないカラフルなベリー類が敷き詰められたタルトは、目にも楽しかった。

そもそも、あえて比較構図で書いたけれど、習い事や友人との外出で行動範囲の広がった私は、もはやロンパードのケーキを思い出しもしなかった。

世代の割に新しいもの好きな祖母も、くるくると巻かれたチョコ細工などの最先端のパティシエ技術を楽しみにしており、家族のだれも、もうロンパードの話はしなかった。

「昔ながらの定番ケーキ」は、いつしか「時代遅れの古臭い味」に意味合いを変えたようだった。

そんな時間を長くすごし、高校生になった頃。
帰宅して冷蔵庫をあけると、ケーキの箱を発見する。

ラッキー、どこの?
開閉部分をとめているシールに目をむけると、あのレトロな文字で「ロンパード」の名前があった。

「うわ~なつかしい」

なんの嫌みもなく、ライトなノスタルジーを口にできるほど、私にとってのロンパードはすでに過去の存在だった。

祖母が久しぶりに買ったというロンパードのショートは、スポンジが固すぎる気がしたし、クリームのぬりや側面に巻いてある透明なフィルムがガタガタしていて、すこし、不格好だった。

こんなだったかな、ロンパードのケーキ。

思い出とは美化されるものだ。
子どもの頃はたまにしか食べられないケーキが嬉しくて、いっそう美味しく感じたのだろう。
16歳くらいの私は、冷静にそうおもった。

これは、はじめての「過去との決別」であった。

夢中で集めたどんぐりも、人生を左右するかのように思われた通知表も、すぎてしまえばなんということはない。
その瞬間の熱量を再現することは、未来の自分には叶わない。
大きな実感をもって、そのことを意識した。

この時の私は、なぜ祖母が久しぶりにロンパードのケーキを買ったのか知らなかった。

いよいよ高齢になったおじさんの具合がわるく、店を開けられない日が多くなり、祖母が見舞いがてら買い物にいったことを、知らなかったのだ。

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大学に入学した私は、アルバイトに精を出すようになり、はじめて自分で稼いだお金を手にした。

初給料は百貨店にしか入っていないコスメショップで海外ブランドのチークを買い、二回目の給料で合成皮ではないブーツを手に入れた。

そして何度目か数えなくなった給料で、ふと、ロンパードのケーキを買いに行ってみようかな、とおもい立った。

近距離に引っ越しをした新しい実家は、ロンパードのある商店街から道が外れているから、その通りを歩くことさえ、数年ぶりだった。

ロンパードにはいつも8種類くらいのケーキが並んでおり、1個の値段は300円ほど。
せっかく大人になったことだし、全種類買って、祖母と思い出話でもしながら食べてみよう。

ウキウキとした、幸せな気分で店にむかう私は、そうだ、ショートケーキを「ショート」って呼ぶんだよね、ロンパードはさ、と脳内の1人回想に余念がなかった。

ファッションも芸能ニュースも人間関係も、旬がコロコロ変わる大学時代を生きていた私は、古びて感じたロンパードのケーキを、1周まわって「しぶくてレトロでいいかんじ」くらいに捉えていた。

そしてボルドーのひさしとガラスの扉が目印だった店の前にたったとき、首でも絞められたように、グッとのどに力が入り、胸の上部にしか空気が届かない感覚を覚える。

もう店の面影は、まったくなかった。

ロンパードのあった土地は、車2台分の駐車場となっており、赤いボディの自動販売機が3段にわたって飲み物を供給していた。
チカチカ点滅する、自販機上部の人工灯が、昼間の商店街をうるさく照らしている。

声がでなかった。
人生で指折りの、驚いた顔をしていただろうとおもう。

ロンパードがなくなったショックと平行して、いままで見えなかった隣の肉屋の壁の、くすんだ色彩劣化に目をとめる。

最後にこの店の商品を食べたのは、おじさんを見かけたのはいつだったか逡巡しつつ、駐車場にしかれた黒いコンクリートが、目が粗く、傾きもあり、丁寧な工事ではないことを悟る。

頭の中の追憶に忙しい私と、新しい視覚情報を言語化してインプットしていく私に激しく板挟みにされて、空っぽの本体が、うまく身動きできない。

それは

それは、はじめて体験する「衝突」であった。

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たぶん私は、自分の祖母よりも高齢な老夫婦が営む洋菓子店が、いつか閉店することなんて、とっくにわかっていた。

だからきっと、閉店自体には、いきなり事実を突きつけられる驚きこそあれ、残念だ、という感想はそんなに大きくないのかもしれない。

正直にいって、ロンパードのケーキは、「ものすっごく美味しい」なんてことはなかった。

連続ドラマの主人公が雇われるタイプの、「まだ無名だが奇跡ほど技術が高くて有名パティシエにガンガン一泡ふかせ続ける伝説の店」ではなかった。

ごくありふれた、街の洋菓子店だ。
どこにでもある、特出した何かのない、時代に置いていかれる、小さなお店。

私の人生の前半に、たくさんの「はじめて」をいつも丁寧に箱詰めしてくれた、替えの利かない、ただ1軒の洋菓子店。

ウソだ、本当は残念だ。
寂しくて悲しくて、残念でたまらない。

何年もろくに思い出しも、足を運びもしなかった自分の不義理が邪魔をして、堂々と残念がることさえもはばかられる。

もう1度食べることは叶わなくても、せめて「これが最後だから」と大事に味わってかみしめた瞬間を、胸に抱ける自分でありたかった。

私がランドセルを背負わなくなり、制服すらも脱ぎ捨て、日々新しい世界と折り合いをつけていた時、当然ながら、まったく同じだけの厚みのある時間が、ロンパードにも流れていたのだ。

おじさんに、名前も知らない「ロンパードのおじさん」に、伝えたいことが山ほどあった。

いつもショーケースの前に立つとき、世界がキラキラしてみえたこと。
クリームと同じ真っ白で綺麗なコック服が、とてもカッコいいこと。
子どものお使いをお客様として接してくれて嬉しかったこと。
自分のお金でケーキを大人買いに向かう道のりが、幸せな時間だったこと。

ロンパードよりおいしいケーキを売る店が、たとえいくつあったとしても、ロンパードのケーキは世界一だと、伝えてみたかった。

何一つ言葉にだせず、座ることがなかったあのイスがどこにいったのかもわからない。

私は、ロンパードの閉店よりも、開店していた時間に、精いっぱい敬意を払って、わずかでも恩を返さなかった自分自身に失望していた。

もしも、ロンパードに後継者がいて、いまもあの店がお馴染みの店構えで存在していたとしたら。
バカな私は、この身勝手な喪失感と同じように、その有難みも尊さも、感じることはできなかっただろう。

何食わぬ顔で、店の前を通り過ぎ続けていたと、予感できる。
失わなくては、わからないのだ。

私の幼少期に、思春期に、青年期に、そして人生に限りがあるように、ありとあらゆる存在にも限りがある。

人間は、限りある、いつ終わるかもわからない生の中で、同じように、限りある存在が営む、商売やコミュニティや愛情に触れている。

「いま」おもっていることは「いつか」では、伝わらないかもしれない。

ロンパードが味気ない駐車場になったことは、この事実を、はじめてリアルに痛感させてくれた。

あの「衝突」から、10年以上たつ。
私は、好きな作家2人にファンレターを書き、娘の出産を支えてくれた病院に、産後感謝状を送った。

これらの手紙を郵便ポストに差し込むとき、口の中にロンパードのケーキの味が広がった気がする。
でもそれは、何度もたべた「ショート」ではなく、結局ちゃんと出会えなかった、「オペラ」の苦い風味だった。

あなたにとっての『ロンパード』と、あなたの未来が、特別なまま、幸福につながれますように。

きっとお会いしたことのないあなたに、はじめての、祈りを込めて。


記:瀧波 わか

#エッセイ #思い出の味 #料理 #キナリ杯 #ゆたかさって何だろう


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瀧波 わか
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