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禅語の前後:無事是貴人(ぶじ これ きにん)

 1995年11月、とあるバンドが出したシングルCDは、彼らとしては初めてオリコン・チャートにランクインした。

 それは大した順位ではなかったのだろう。しかし、「こんな曲が」これまでになく、広い範囲で受け入れられたのである。「フィッシュマンズ」という存在をとことん純化することだけを主眼としたような、この上なく「わがまま」な内容であり、しかもそれが、淡々と六分以上もつづいていくこのナンバーが、「これまでのようには」世間全体から素どおりはされなかった、のである。

(中略)

 僕はこの歌は「世界と対峙するときの心構え」について、うたわれたものだと感じた。世界のほとんどぜんぶが敵に回ったとしても、たったひとりで、それと向き合うことができるような「心のありかた」について、やさしく諭してくれているような楽曲ではないか、と感じられたのだ。

「フィッシュマンズ 彼と魚のブルース」川崎大介

「フィッシュマンズ」がレコード会社の移籍直後に出したシングル「ナイトクルージング」、そしてそれを含むアルバム「空中キャンプ」は、彼らが彼ららしさを純化していった結果たどりついたひとつの到達点で、それは二十年以上たった今でも、ほかの誰にも辿りつけない独自のジャンルにいる。

 歌詞は平易な日本語で、けれど日本語の使い方はシャープでソリッドで、そしてそこで歌われているのは何気ない日々のことで、何気ない日々のことは実際のところただものではないことがらだったりするのだと気付かされる。

Oh Year ナイーブな気持ちなんかにゃならない
Oh Year 人生は大げさなものじゃない
 「SLOW DAYS」フィッシュマンズ
知ることもなく 消えては浮かぶ君との影 過ぎていく影
意味なんかないね 意味なんかない
いまにも僕は泣きそうだよ
 「BABY BLUE」フィッシュマンズ
だれのためでもなく 暮らしてきたはずなのに
大事なこともあるさ
あー 天からの贈り物
 「ナイトクルージング」フィッシュマンズ

 その後このバンドは、彼らの世界をより深く突き詰めて…いくはずだったのだけれど、「ナイトクルージング」のリリースから三年と少し後、異様な急ピッチで独創的な楽曲を次々リリースしたすえに、作詞作曲ヴォーカル担当の男が三十三歳の若さで急死してしまい、実質的な活動休止になってしまった。
 休止の三か月前、年末に行われた最後のライブで彼が、珍しくギターを持ち出してデビュー曲のソロパートを弾き、曲の後ちょっと恥ずかしそうにMCで、「来年は夏以降にライブやりたい」「またイチからやり直そうって感じなんですよ、気分的に」「十年後には(バンドメンバーには)誰が残ってるだろう」などと語る様は、いま改めて聴くと何かの悪い冗談のように思える。イチからってあんた、輪廻転生からやり直すんじゃないよレベル高すぎだろう、本当にもう。

ドアの外で思ったんだ あと10年たったら
なんでもできそうな気がするって
でもやっぱりそんなのウソさ
やっぱり何も出来ないよ
僕はいつまでも何も出来ないだろう
 「IN THE FLIGHT」フィッシュマンズ


 …さて、千年ほど前の禅僧が記した「臨済録」にも、彼が書いていたのと似たようなメッセージがあった。

無事是貴人。 無事ぶじ貴人きにん
但莫造作、  造作ぞうさすることなかれ、
祇是平常。  れ平常なり。
 「臨済録」 

 無事是貴人ぶじこれきにんと呼ばれるこの禅語、要するに「何事もなく何気もなく当たり前のことを当たり前にやれるのが、本当の意味で貴重な人物である」というような意味合いである。
 フィッシュマンズに歌わせたら多分、こうなるだろう:

目的は何もしないでいること
そっと背泳ぎ決めて 浮かんでいたいの
行動はいつもそのためにおこす
そっと運命に出会い 運命に笑う
 「すばらしくて NICE CHOICE」フィッシュマンズ