仮面ライダーBlack Sunが伝えたかったもの
孤狼の血を監督した白石和彌の作品で西島秀俊が主演ということで大きな期待を持って仮面ライダーBlack Sunを視聴した。私にとって仮面ライダーシリーズを視聴するのは最初の仮面ライダー以来なのでなんと50年ぶりである。エピソード10まで一気見した。見終わった後、何ともやるせないもやもや感に心が覆われてしまった。
私にとってライダーシリーズとは4~15歳くらいまでを視聴対象として正義と悪との戦いを描いた勧善懲悪の物語である。主人公である正義のヒーロー仮面ライダーが人間ではなくなった自身に悩みながら孤独に悪と戦う物語でもある。悪である怪人とは主人公と同じように元々は知能の高い運動神経抜群の人間たちが悪の秘密組織ショッカーにより人間性までも奪われしまったものだ。その怪人たちを倒すことにより彼らの抑圧されていた人間性を開放していく物語でもある。
仮面ライダーとは簡単に言ってしまえば、勧善懲悪のアクションヒーロー物語の中に自己犠牲と慈悲の心を織り込んだ物語である。それだからこそ子供たちに受け入れられ50年続くシリーズとなっていった。
翻ってBlack SunはR18の作品だ。未成年を視聴の対象としていない。それだからこそ勧善懲悪でない、より人間を描いた深い物語と、よりリアルな戦闘シーンがライダーシリーズの基礎となる博愛と慈悲の心を土台として描かれることを期待していた。
その期待は見事なまでに打ち砕かれてしまった。
私が理解したBlack Sunの主題は以下のものだ。ここからはネタバレを含みます。
安倍晋三総理を冒瀆し留飲を下げる
連合赤軍へのオマージュ
左派リベラルのプロパガンダ
これら三つの主題を仮面ライダーというプラットフォームのドラマで描くためにBlack Sunは制作されたと考える。
安倍晋三総理への冒瀆についてであるが、ルー大柴演じた総理大臣堂波真一が安倍晋三で、寺田農演じた幹事長が麻生副総理というキャスティングで間違いないだろう。ついでにゴルゴム党の本部ビルは自民党のビルと非常に似ている。それほど力を入れている主題だと感じられる。1972年の場面の総理は実際は佐藤栄作であるが、ドラマの中では岸信介(佐藤の兄)を想定しているようだ。
そのような設定と理解したうえでドラマを見ていくと左派リベラルが留飲を下げる場面が多いことに気づくはずだ。
連合赤軍へのオマージュとしては、1972年にゴルゴム団が創生王を連れ出し、若き堂上真一を拉致して立てこもった山中での場面を描いている場面である。これは連合赤軍が軍事訓練のために立てこもった榛名山で起こした仲間割れとリンチ殺人事件である山岳ベース事件をもとにしていると考えてよいだろう。ドラマの中で粛清される新城ゆかりはリンチの犠牲となった遠山美枝子をモデルにしているのではないだろうか。
左派リベラルの活動についてはドラマ冒頭部分の怪人差別反対デモ、また最終版での外国人差別反対デモ、ドラマでしばしば描かれる国会内での質疑応答場面で明らかだ。
左派リベラルの考えは個人の権利や自由を重視したものである。一方連合赤軍に代表される過激派テログループの考えは自身の正義のためには個人の自由や権利の束縛だけでなく、その命の犠牲さえいとわないといったものだ。この相反する主張を同時に描いたゆえに物語が分かりづらくなってしまった。
これらのテーマを重視するゆえに、仮面ライダーシリーズのテーマである孤高のヒーローが試練を乗り越えて社会の安寧のために身を捧げるという崇高なメッセージが蔑ろにされてしまった。
主人公の一人である秋月信彦、シャドウムーンは始終一貫して創生王を殺害して怪人たちを一代限りで終わらせることを目的としていた。しかし創生王を殺害したのち彼はゴルゴム党の怪人たちを支配し、自らが創生王であるかのようにふるまった。
主人公の南光太郎、ブラックサンの行動はさらにわかりにくい。彼は72年の山中での仲間割れに敗れたのち、50年間潜伏し、人との接触を極力避けながら暮らしてきた。この仲間割れによりダロム、ビシュム、バラオムは三神官となり若き堂波真一と共に政党ゴルゴム党を立ち上げる。その際ゴルゴム党に拉致幽閉されたのがビルゲニアとシャドウムーンである。ビルゲニアは後に釈放されてゴルゴム党と行動を共にするがシャドウムーンは50年間もの間幽閉されることになる。そして人間として怪人たちの人権擁護のためにゴルゴム団に参加していた新城ゆかりは仲間割れの際に粛清されている。
南光太郎はそのような闘争から一人離れて一切かかわることがなかったのであるが、キングストーンの持ち主である和泉葵の出現と葵のキングストーンの影響により戒めが解かれ幽閉場所から脱出した秋月信彦との再会により、いやおうなしにゴルゴムとの戦いに巻き込まれていく。
光太郎はキングストーンの持ち主である和泉葵を守るためにゴルゴムと戦うことになる。そしてシャドウムーンがゴルゴムを支配すると彼との対決を選択することになる。シャドウムーンを倒した後は創生王に取り込まれ自身が創生王となってゆくのである。
光太郎が意味するものは72年の連合赤軍の事件で夢破れ市井で秘かに暮らしてきた元革命戦士たちを象徴しているのであろう。ただ彼の存在理由はそれだけではない。創生王となった彼は和泉葵が目の前に現れた時に殺してくれと懇願した。そして葵の手で創生王は滅んだ。その役割こそが南光太郎に与えられた存在理由である。
南光太郎と秋月信彦はそれぞれキングストーンを持っていた。そして幼い頃創生王から後継者候補として意味づけられた。いわば彼らは創生王の系統を引き継ぐ貴種であったのである。
ゴルゴムの怪人たちは創生王の身体から抽出されたエキスによって若さを保ち活力を得ている。創生王とは怪人たちにとって父親でありアラヒトガミなのである。それは怪人たちの統合した象徴と言い換えていいかもしれない。光太郎は葵に自身を殺させることによって創生王によって支配された怪人世界を終わらせ、あとは葵たちが人と交わることによって誕生する怪人と人が自然に融合した社会を託したのである。
物語がここで終わっていれば左翼色が濃厚ではあり、ドラマとして非常にわかりづらい構成であるものの否定的には評価しなかったであろう。
しかしドラマのエンディングで葵は外人差別デモにひとり立ち向かった少女を彼女の仲間たちの所へ誘う。そこでは怪人仲間たちが十代に満たない少年少女たちに殺人の仕方や爆発物の製造方法を訓練させているのである。令和版少年ライダー隊はテロリスト養成組織として描かれ物語は終わるのである。
物語の冒頭和泉葵は国連で怪人の人権についてスピーチを行った。その時の彼女は穏健なリベラルの象徴であった。しかし彼女はゴルゴム党の手によって怪人カマキリ女とされてしまう。怪人カマキリ女は自身の正義とは違う怪人たちを簡単に殺害してしまう存在だ。南光太郎が託した世界は一方的な正義を主張し歯向かうものには粛清を与える世界なのである。このドラマは日本赤軍がどのような経緯を経て形成され世界を震撼させたテロ集団となっていったかを物語っているようだ。
この作品はR18であり、日本では表現の自由が認められている。しかし仮面ライダーのプラットフォームで作品を作る以上、ブランドイメージを傷つけない作品作りが必要なのではないだろうか。
仮面ライダーが始まったのは71年である。その物語の途中から少年ライダー隊なるものが結成されていた。その思いとは隊員である少年少女らの行動により視聴者である子供たちに勇気をもって悪に挑むことの大切さを伝えたいというものであったと思う。
そのような歴史を持つ仮面ライダーである。そして多くの日本人がその人生の一時期、主に幼少期に夢中になってみたテレビ番組である。そのように愛されたからこそ50年の歴史を持つ作品となったのだ。いわば仮面ライダーとは国民共有の財産とも考えられる。
その考えに立った場合、仮面ライダーBlack Sunのエンディングは著しくブランドイメージを損なっている。またこのドラマは世界配信であることにも注視すべきである。石ノ森プロと東映はそれでいいと考えているのであろうか。
問いかけてみたい。
それに加えて仮面ライダーの世界観が、仮面ライダーのことを知らない世界中の大人たちに理解できる設定となっているかは大いに疑問である。例を挙げればきりがないので二三に留めるが、創生王が形成されたメカニズムは?キングストーンとは?なぜブラックサンとシャドウムーンそしてカマキリ女の三人しか二段階変身できないのか?などドラマの中では説明されていない。
アクションよりも社会派ドラマとしての仮面ライダーの物語づくりを否定するつもりはないが、世界観の設定が杜撰すぎるのではないだろうか?
無明というものは自我に囚われた状態である。鏡で自分を映しても自身の無明は見えてこない、と世界的数学者岡潔はその著書で述べた。
黒澤明、山田洋次、宮崎駿などはリベラル色が強い映像作家である。しかし彼らの作品の中には明らかな政治的主張というものは認められない。彼らはその主張を昇華させたうえで作品に落とし込んでいる。観客は彼らの作品を愉しんだ後に、何か心に残った場面を考えることにより監督の作品に込めた思いというものを理解する。彼らはみな巨匠と呼ばれている。
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