ニュースからの学び(サルのニュース、ヒトのニュース)

「近頃、暗いニュースばかりよね~」

そんなボヤキを聞くことってありますよね。
では、「近頃」というのはいつ頃からを言うのでしょうか。

令和になってから?
いいえ、その前も暗かった。
平成時代?
いやいや、昭和の激動もすごかったはず。
なら、昭和?戦前?大正?明治?
う~ん、いくら遡ってもきりがないようです。

サルは鳴き声を使って危険を仲間に知らせます。
東アフリカに生息するベルベットモンキーはヒョウ、ヘビ、ワシの天敵に応じて3種類の鳴き声を使い分けるのだそうです。

「ヒョウが来た!」というサル語を録音してスピーカーで流したところ、群れの全員が木の上に逃げました。
「ワシが来た!」と流すと今度は一斉に地べたに降りたのです。襲ってきたのがヒョウなのか、ワシなのか、ヘビなのか。それが彼らにとってのニュース。それを聞き逃したサルは食べられてしまうことでしょう。

サルのニュースに明るいものはありません。命に関わらないからです。「あそこのバナナはおいしい」「あの群れのメスはかわいい」な~んてニュースはないでしょう。

人類歴史にニュースが明るかった時代が見つからないのもむべなるかな。何百万年にも渡って怖くて暗いニュースに聞き耳を立て、生き残ったのが私たちです。暗いニュースが多いわけじゃない。暗いニュースに私たちは本能のアンテナを立てて来たわけですね。

けれどそこには恐ろしい罠があることを私たちは知らなければなりません。もしもニュースがあやまちだったらどうなるかということです。

森達也監督の映画によって「福田村事件」がにわかに注目を集めました。1923年9月6日。関東大震災が起きた5日後のこと。千葉県の福田村で香川から来た行商人9人(うち3人は子ども)が200人に及ぶ自警団に囲まれ虐殺されました。

報道状況も混乱している中、朝鮮人が井戸に毒を入れた、放火した、などのデマが関東一円に流されていました。福田村の人々は行商人が話す香川弁を知りません。言葉がおかしいことで朝鮮人とされます。

200人に囲まれる中、誰がどう手出ししたのかわからないほど滅茶苦茶な状態で殺され、遺体が転がる惨劇の最後にはバンザイの声が響いたそうです。

こうしたことが関東各地に起こっていました。犠牲者の数は一説で6000人とも言われています。犯人はごく普通の人々、日常の常識の中に生きる人々です。彼らを凶行に駆り立てたのはいったい何だったのでしょうか。それがデマという狂ったニュースでした。

もちろんそれ以前から悪魔のような差別意識が彼らの中にあってのことだと思います。しかしその意識もデマの蓄積によって醸成されたものとも言えます。

サルの時代、ニュースを聞き洩らさない耳が頼りの綱でした。その頃比べ私たちの時代はずいぶんと複雑です。正しい顔をした危ないニュースはいつもどこかに潜んでいます。私たちのあやまちはニュースのあやまち。社会はそのことを嫌というほど経験してきました。

人類はもはやヘビやヒョウに襲われることはないでしょう。その代りに猛毒を持ったニュースという新たな敵が出現しました。無害を装うこの敵は時に民族を滅ぼすほど邪悪なものです。

そこから身を守るためには個人でもできる対抗策を持つこと。複数のニュースを比べる。裏側にあるものに注意を向ける。因果関係に矛盾がないかをチェックしてみる。対抗策は人それぞれ。よりよく生きるためには、その本質を正しく見極めることなんだ。

情報を鵜呑みにする怖さを私たちは学んできたはずです。はたしてその学びは今に活かされているのでしょうか。毎日流れてくる夥しい量のニュースに触れながら、そんなことをふと省みたりするのです。


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