見出し画像

湯島、カルチャー、百鬼夜行

とある有識者の弁によれば「最近、湯島ではコンカフェ用物件の需要が高まっていて、これまでスナックとして使われていた物件の賃貸価格が数年前の倍になっているが、これは湯島に気絶ができたことが発端」なのだそう

さすがにそれはリップサービスがすぎるし言葉通りに受け取るほど自分はお調子者ではないけれど、ただそれまで都内のサブカル人・オタク層には馴染みのなかった『湯島』というエリアを気絶がカルチャー系飲食店のあらたなスポットとしてブランディングし続けてきたという自負はある!めちゃくちゃある!


ここで言うカルチャー系飲食店とは『お客さんと店員の間に特定のカルチャーテーマに沿った会話が生まれる店』のことだと思ってください


気絶を作る以前にも広い意味での湯島エリアにはメイドカフェは存在していたけれどこれらの店舗さんは自店を『秋葉原の徒歩圏内にあるお店』というアピールをされていました。つまり広義の秋葉原だというアピール。ターゲットやそれらのお店がオープンした時期・情勢などからの判断だったかと思います。タイミングが違えば気絶もそういう広告宣伝をしていたかもしれない

だけど気絶を湯島三丁目にオープンさせると決めた時、自分が決めたのは『湯島という場所を秋葉原とはまったく異なる新たなカルチャーの発信エリアとしてアピールしていく』ということでした

2023年10月現在、秋葉原というエリアは確かにオタクの街という文脈で語られることが多いです。ただこれは1990年代後半からいわゆるオタク向け専門店が出来始めてからの流れで、それまでは電気街…それより前なら青果市場に訪れる人のための街でした。オタクの街としての秋葉原は案外歴史が浅いんですよね(おたくとオタクを使い分けてます)

つまり秋葉原はやたらに栄枯盛衰が激しい場所なのです。カルチャー的にとんがったお店を秋葉原で始めても10年後には街自体が店に馴染まなくなる状況が生まれかねない…。そのリスクを負うよりも『湯島』という場所を秋葉原とは全く趣の違うカルチャーが集う場所として育てていった方が楽しそうだぞ、という直感がありました


海外のインバウンド需要を見込んだクールジャパン施策の影響もあり『秋葉原=オタクの街』というブランドは世界的な認知となりました。そういった影響もありオタクの街としてのイメージは今後数年は維持されていくと思います。このあたりの話はそれで本一冊かけるテーマですが、ここではダイナミックに割愛させていただきます


そもそも湯島は学問の神様が祀られている湯島天神のお膝元です(気絶の所在住所もかつて湯島天神の境内だった)。徒歩圏内の上野公園には博物館や美術館が立ち並んでおり、もともと湯島はカルチャーと非常に相性がよい土地だったりします

また湯島には気絶ができる以前からカルチャー色の強い個性的なお店が存在していました。何を歌ってもオリジナルの映像が挿入されるアニソンカラオケバーの『ファンタムクラブ』、数々のミュージシャンに愛されたミュージックバー『道』、終わらない夜の学びをテーマにした『夜学バー』。それぞれ癖が強く、そして特定の方向に突出しているお店です

これらのお店と同じ方向を向いて歩むことは難しくても、湯島という懐の深い場所に店を構えているお店同士『湯島』というカルチャーの風船をいっしょに大きく膨らませていくことはできそうだなと考えました

そう考えた時に頭の中で精神的なお手本としていたのは大阪の味園ビル。わけわかんないお店がひしめくことで味園ビルそのものが遊びにいく目的地になるという『サブカルチャーの観光地化』の理想系でした

かくして気絶はメイドがいるお店として当時はかなり異例だった湯島推しをはじめました。毎日のツイートにはかならず湯島というワードを盛り込むようにし、メディアで取り上げていただく時にも湯島という所在地のアピールを欠かさないようにしました。時には過剰に湯島というフレーズを連発し、湯島はあなたのすぐそばにある街だよ…というメッセージを暗に発信し続けていたのです

気絶オープンから4年半が経ちました。現在の湯島は確かに空き物件を探すのが難しい状況。コンカフェに類されるお店の新規出店は40店舗を超えています

気絶の取り組みがどれくらい寄与しているかはわかりませんが、湯島は実際にカルチャー系飲食店のひしめく街になりました。個人的にはもう少しコンカフェ以外にも新しい方向に個性が立ったお店が増えるといいなあとは思っていますが、他の街とは異なる新しい個性を膨らませて続けているのは確かなようです

湯島がさらにさらにもっともっと百鬼夜行でカオスでわけわかんないカルチャーで溢れる唯一無二の場所として認知されていきますように!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?