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なぜ気絶はコンカフェと呼ばれることを頑なに否定しているのか
コンセプトカフェ(コンカフェ)という言葉がある
定義についてはいろいろな解釈があるけど、概ね「オタク文化を積極的に取り入れ、コスプレした店員が接客する飲食店」ということで間違っていないと思います
気絶ではメイドが働いていることもあってコンセプトカフェの仲間にいれてもらえることもあるんですが、その都度「いやうちはコンセプトカフェじゃないですよ」と頑なに否定するようにしています
お客さんが、気絶のことをコンカフェだと思ったり、そう定義したりするのは全然構わないんですが、わざわざ「ちがうんですよー」と断っているのにはもちろんそれなりの理由があります
理由は大きくわけて二つ
①気絶がコンカフェ否定から生まれた店だから
②コンカフェという言葉を使うことにデメリットがあるから
①気絶がコンカフェ否定から生まれた店だから
気絶を始めるよりずっと前、おれはいくつかのコンカフェを巡ったことがあります
でもなんというかどのお店へ行ってもあまり楽しくなかったんですね
ほとんどのコンカフェにおいて、コンセプトは「あるだけ」、制服は「かわいいだけ」でした
世界観を大事にしようみたいなキャストはほぼ皆無で、一応はじめて入店するとそのコンセプトについてのバックグラウンドを説明してはくれるんですが、それもなんというかト書きを読み上げているだけで、とてもそれを大事にしているようには思えなかったんですよね
それでもそのお店にも常連さんがついているのだから、これは店が悪いんじゃなくて、単におれにコンセプトカフェを楽しむ素養がなかったというだけのことなんでしょうが…
もちろん毎回つまらなかったわけではなく、気の合うキャストさんがいたときはそれなりに楽しいんですよ
でもそれって、お店やそのコンセプトを気に入ったわけではなく、単にキャストさんの魅力に惹かれただけであり、ものすごく属人的な消費の仕方だったと思うんですよね
コンセプトカフェの多くは、世界観を楽しむエンターテイメント空間であるかのように振る舞いながら実態としては個人人気に寄りかかったガールズバー的な場所であることが、おれがコンカフェを楽しめなかった要因だったと思います
でも逆に言えば「コンセプトカフェでこういう楽しみ方ができたらいいな」と夢想していた楽しさを余すことなく提供してくれる店があればそれはきっとおれのようなタイプの人間には毎日でも通いたくなる場所になるはずだ、という発想で生まれたのが気絶なのです
つまり気絶はもともとコンカフェへのアンチテーゼとして生まれた場所なのですよ
これがコンカフェという呼称を拒否しているひとつ目の理由です
②コンカフェという言葉を使うことにデメリットがあるから
そもそもおれは「コンカフェ」という言葉はあまり筋がよくない、と考えています
語感とか言葉の意味をあげつらって否定しているわけではなく、コンセプトカフェって言葉は、現時点では一般的な認知の低い業界用語にすぎず、一般消費者にとっては非常にわかりにくい言葉なのです
これはおれの個人Twitter アカウントで実施したアンケート結果ですが、気絶を経営しているおれのフォロワーさんが回答者の主体であったにもかかわらず、13%の方が「コンセプトカフェ」がなんだかよくわからないというのが現状なのです
何が言いたいかというとおれは「コンカフェ」というワードは、まだまだ一般にはそれほど知られていない知名度の低い言葉であり、これを公式に用いていくと「知る人」「知らない人」との分断を加速させていくことになると思っているのです
先に述べたようにおれ自身がコンセプトカフェをあまり楽しめなかったのですから、当然気絶というお店が狙っているお客さんのターゲットはコンカフェオタクではありません
例えばですね
A「気絶という個性的なお店がある」
B「気絶というコンセプトカフェがある」
というようなふたつの気絶評があったとして気絶のターゲットにとって圧倒的にハードルが低いのはAの評なのはおわかりいただけるかと思います
オタクの世界には「古参」「にわか」という言葉があります
古くからそのコンテンツのファンであり、その世界で使われている隠語などにも精通しているのが「古参」
対してそのコンテンツに興味を持ったばかりの新規ファンは「にわか」と呼ばれ、古参から侮蔑の対象としてみられることがあります
断言しますが、さまざまなカルチャーを没落させていくのは「にわか」ではなく「古参」です
古くからそのコンテンツのファンだった人達が、新たなファンの参入を「にわか」と揶揄して遮ってしまい、その結果凋落していったカルチャーのことをみなさんもいくつかは心当たりがあるのではないでしょうか
とあるメイド喫茶さんがこんなツイートをしているのを見かけたことがあります「ただいま入店まで○人待ちとなっております。外は寒いので暖かくしてご帰宅ください」
これコンカフェに通い慣れている人は何の疑問も感じないかもしれません
ですが、所謂にわかは「帰宅?ああ店に入れないから帰れってことか…」という受け取り方をする方が自然だと思いませんか?
※多くのメイド喫茶において、お客様=ご主人様であるというロールプレイが行われているため、来店する=(自分の屋敷に)ご帰宅する、という言い回しが使われています
気絶は「にわか」に優しいお店を目指しています
世界観を守るためにこだわって使っているキーワードなどはたくさんあるのですが、コンカフェに通い慣れた人にしか伝わらない言葉を用いることは極力避けています
「ご主人さま」ではなく「お客さん」だし、お客さんをお迎えするときの挨拶は「おかえりなさいませ」ではなく「いらっしゃい」だし、仕事することを「お給仕」と言ったり、仕事を終えることを「おきゅおわ」と言ったりすることもメイドたちにはさせないようにしています
そして「コンセプトカフェ」という、わかる人にしか通じない言葉をもちいることも拒否しているのです
あえて!あえて、この言葉を使いますが「コンセプトカフェ業界」を、詳しい人のガイドが不可欠な閉じた業界にしてはいけない。そう思っているからこそ気絶は「コンセプトカフェであること」を意地になって否定しているのです
まぁそれってなんだかんだ気絶がコンカフェの末席にいることを認めていることと同義ではあるんですけどね…