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黙ることも正解になる場合、結構ある。
先日、テレビで「斎藤知事が出直し選挙出馬する」という報道がありました。私が言えることはないので、これについてはすっ飛ばします。
そして、気になったのがその後の街頭インタビュー。
記憶が曖昧なので、いっそのことめちゃくちゃ話し口調で再現します。
スタッフ「出直し選挙出るのどう思う?」
街行く人A「早くやめてほしい。県政悪化する」
街行く人B「最後まで責任を持つべき」
街行く人C「やめるにやめれなくなったんじゃね?」
街行く人D「ホントのとこは当事者しかわからんよね」
そう….
同じ出来事に対しても、抱く感想はバラバラだったんです。
同じことが起こっても。同じものを見てても。
感想は人それぞれになります。
で、私思いました。
「こんなに意見が変わるのなんでだろ?」って。
だって、見てるものは同じもののはずです。
りんごが置かれていて、
「これなに?」って聞かれたら「りんご!」って答えますよね。
「何色?」って聞かれたら「赤色!」
「食べ物?」って聞かれたら「食べ物!」
「果物?」って聞かれたら「くだもの!」
同じものを見てたらこうなると思います。
でもならない。
りんご、なら一緒になるのに、
斎藤知事、なら一緒にならない。
ここに、なにがあるのかな?と調べてみると…
「正解のない問題」or「正解のある問題」
というところに落ち着きました。
正解のない問題は、「斎藤知事の再出馬」
正解のある問題は、「りんごなにいろ」
正解のない問題は、いくら考えても正解は見つかりません。
だって正解ないんだからね。
よく考えてみれば、ネットニュースとか、youtubeとかでみる「どっちが正しい?系の記事」は、ほとんどが「正解のない問題」ですね。
なんで、Twitterで、どんだけレスバしても無意味・無価値・無関係
「んなもんしらねぇーよ」のスタンスでいれば、争うこともない。
A賛成する
B反論する の二択…かと思いきや、
C我関せず が正解のときもある。
これは正解がある問題のなのか?
泥沼にならないか?
解決すべき問題か?
そこらへんをちゃんと考えて、賛成したり反対したり。
ときには黙ることを選ぶ。
賢く考えることが、ネット社会の今、大切かもなぁと思います。
終わり。
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