未来につながる記憶に潜り込む写真

先日、中藤毅彦の新作写真集「「DOWN ON THE STREET」について文章を書いたが、彼は、2018年に「White Noise」という自らの思い入れの強さが特に反映された写真集を作っている。

 この本は、彼が尊敬する写真家の川田 喜久治さんの歴史的傑作である『地図』という写真集に触発されて、この写真集を彼なりに自分の血肉として本という形にしたものだ。
 川田さんの『地図』は、戦後しばらく経った頃の日本において、当時の情勢に太平洋戦争の原爆の記憶を重ねて作り上げている。

 原爆という人類が経験したことのない悲劇を、記録写真として伝えるというよりは、その記憶の濃度をいかにして高めるのか。
 人類にとって初めての凄惨たる事態を表現という形にするまでは、それなりの時間がかかるのは仕方がないと川田さんは述べていたが、写真家の仕事を、単なる記録者ではなく、人々の記憶に働きかけたり潜り込むことだという自覚が、川田さんにはある。
 なぜなら、記憶というのは、過去ではなく、実は、未来につながっているものだからだ。
 人々が何か新しいことを始めようとする時、当然ながら色々なイメージや知識を元に思考を行うわけだが、それらは全て記憶の中にある。その記憶から抽出することなしに、新しいことは何も始まらない。
 川田さんは、『地図』という写真集において、観音開きという方法をとった。これは、見開いたページの写真の下に隠れている写真が、観音開きによって現れてくるのだが、観音の開き方によって、見え方も異なってくる。重要なことは、一つの写真を観賞するのではなく、一つの写真が、他の写真との関係性によって見え方が異なってくることの体験なのだ。
 実は、記憶というのは、そういうものであり、ふだんは意識の深いところに隠れているが、外からの何かしらの触発によって、浮かび上がってくる。一つが浮かび上がると、それに導かれるようにして他の隠れたものが浮かび上がってくる。そうした連鎖的な反応が、記憶の性質である。
 川田さんの『地図』という写真集は、こうした記憶の性質を引き出す舞台装置のようになっていて、そこに原爆体験の凄惨さを潜り込ませている。
 中藤毅彦は、この川田さんの『地図』を、現代の東京を舞台にした自分の経験と記憶を写真表現で伝えるためのヒントにした。それはおそらく、中藤にとって東京の写真は、現象の記録ではなく、潜在的な記憶に働きかけてくる何かしらの力を写しとるものだからだろう。
 もちろん、彼はデザイナーではないので、デザイン・編集において台湾人女性ディレクターのアマンダの力が必要だったが、彼女は、中藤の意図を理解したうえで、彼の写真の力を引き出す本作りを行っている。
 この写真集は、川田さんの『地図』の両観音をそのまま模倣したのではない。片方のページだけ観音にして、しかもその観音ページの切れ方をずらすことで、内外が複雑に関係し合う構造になっていて、東京の中で生きていることの錯綜とした感覚を象徴的に示すことが試みられている。
 何かに心が反応するのは、自分では意識していない因縁があるからだ。意識はしていないけれど、記憶の中にあるからこそ反応する。その記憶は、自分が忘れてしまっている体験なのか、それとも人類共通の体験で遺伝子に組み込まれているものなのかはわからない。
 表現者の仕事というのは、誰でも意識できることをなぞるのではなく、誰もが意識できていないけれど無縁ではないものを手繰り寄せることである。そのことを自覚もしくは無意識でも衝動的に行えている写真家と、そうでない写真家のあいだの差は大きくて、それは技術や知識では埋め合わせができない。
 今日のように誰でも簡単にスマホで上手な写真が撮れる時代において、写真家の存在意義が、物事の単なる記録ではないことは明らかだろう。
 川田さんの『地図』や中藤毅彦の『White Noise』のように、写真家の記憶へのこだわりに基づいて妥協なく作られている本は、出版社の事情によって作られるものとは大きく異なってくる。
 現在、出版社が写真集を作ってくれないとか、写真を発表する媒体が無いなどという愚痴や恨み言が写真に関わっている人たちのあいだで渦巻いているが、誰かを当てにしている段階で、そうした人たちのアウトプットは、けっきょく世間の常識の範疇にとどまり、新たな視点や新たな意識をもたらすものにならない。
 他人は関係なく自分が思い描くものを自分の力で作り上げるのだという意気込みを持たずして、真の意味で表現者とは言えないだろう。
 中藤毅彦は、最近制作した「 DOWN ON THE STREET」にしろ、以前の「White Noise」にしろ、自分自身の中から突き上げるものに従って写真集を作っており、妥協をしたくないという一念が、とてもよく伝わってくる。
 現在、実際は自費出版なのに、人には知られたくないのか、何を恥じているのかわからないが、出版社主導の共同出版という名のもと、自分で巨額のお金を出して写真集を作り(出版社は本の販売ではなく写真家からのお金を利益にしている)、出版社の流通に乗せてもらっている人は多い。
 それは構わないが、そうしてできあがる本の多くは、どこかに妥協の緩さが漂っている。作者の気迫が今一つなのだ。
 本の中から溢れでてくるものが弱く、いくら高級なハードカバーにしたところで、カタログのようにしか感じられないものが多い。
 そして、本の裏表紙に入っているバーコードのついた書籍コード。これは、本という作品を市場向け商品に貶めるもので、本を美しく作りたいと思っている人たちは、心の中で嫌だなあと思いながら、仕方がない、そういうものだと妥協して諦めている。
 私は、風の旅人を作り続けている時、当時はまだオンラインでの販売が非常に難しい時代で、書店流通に依存せざるを得なかったが、この書籍コードが邪魔でしかたがなかった。
 風の旅人は、たとえば第25号から第30号まで現代美術家の大竹伸朗さんに表紙と裏表紙を一体化させて制作していただいたのだが、裏表紙とはいえ、この大竹さんの作品に醜い書籍コードが被さってくるのは耐えられなかった。
 当然ながら、一般の雑誌で行われているように、風の旅人の表紙に、汚い見出しのタイトルを散りばめるようなことは、絶対にやりたくなかった。
 本の表も裏も、中身につながる作品の一部であり、妥協はしたくなく悶々としていた。

 書籍コードをつけずに制作した最初の風の旅人は第45号で、川田喜久治さんの写真で表と裏を包み込んだが、それが完成した時、川田さんは、こんな素敵な表紙の雑誌は、世界中どこにもないよと言ってくれた。自分の写真が使われているかどうかという個人的分別を突き放して、客観的に見て、素敵だと感じてくれたのだ。
 風の旅人の第45号から50号、そして、その後に私が作ってきた森永純さんや鬼海弘雄さんの写真集、現在進行形の「日本の古層」のシリーズには、この書籍コードはない。
 その分、書店販売において制限が出てくるわけだが、作品というものは、出会うべくして出会うものであって、いろいろなところに並べておけば、そのチャンスが増えるという計算よりも、ものの価値がわかる人から、さらに別のわかる人へと伝わっていくことを願う方が、心を健全に保てる。何しろ、買取ではなく委託というシステムにもたれかかっている書店は、棚に並べるだけで売ろうという意欲は持たず(大手出版のものでなければメディアで取り上げられでもしないと棚に並べないことの方が多い)、売れなければすぐに返品するというところも非常に多いのだから。
 中藤毅彦の「 DOWN ON THE STREET」にも、「White Noise」にも、この書籍コードがない。 
 そのため、本の中身を詰め込むパッケージ自体が、非常に凛々しく潔いものになっている。
 この潔さもまた、表現者にとって非常に重要な魂というべきものであると思う。
 社会がこうだから、周りがこうだから、現実がこうなっているから云々の言い訳は、表現を志す者にとって、最も遠ざけなければいけないものだろう。
 周りがどうあろうが、自分がどうなのかを問い続ける姿勢と、その潔さや矜恃が感じられてこそ、その表現者のアウトプットは信頼できる。
 戦争など究極の事態において、そういう姿勢の違いは、より明確になり、平和時においても周りがどうのこうのと言っているだけの者は、まっさきに自分を見失って流されるだろう。
 そして、表現者にとってさらに大事なことは、敬意であり、その敬意が、何に向けられているかだ。
 世渡り上手で社会的に成功している人を尊敬して、自分もそうなりたいと思う人は多い。
 そうした尊敬と、表現者の敬意は、異なる。表現者の人に対する敬意というのは、その人の仕事の質や内面に対するものであり、社会的な成功云々といった他人との比較による優劣が対象ではない。人との比較というのは、自分の現状に対する優越感や劣等感にしかつながらない。
 その人の仕事の質や内面に対する敬意というのは、自分の仕事の質や自分の内面に関わってくることなので、現状の自分の仕事の質や自分の内面を反省して、今よりも高めたいという思いにつながる。
 中藤毅彦は、川田喜久治さんの仕事の質や、その内面に対して敬意を持ち、その敬意にもとずいて「White Noise」を作り上げた。
 現在、様々な写真集が世の中に出ているが、自己表現もしくは自己顕示欲のために作っているものがとても多く、他者への敬意に基づいて、それをエネルギーにして作り上げていると感じるものは、めったにない。
 昨年度、木村伊兵衛賞と林忠彦賞を受賞した新田樹の『Sakhalin』は、まさに、サハリンに残された人たちに対する敬意が伝わってくるもので、今年の林忠彦賞を受賞した奥山淳志の『Benzo Esquisses』もまた弁造さんへの深い敬意に裏打ちされたものだが、この二つの写真集にも、奇遇なことに書籍コードは付いていない。
 つまり、彼らもまた、制作だけでなく販売においても自分が背負う覚悟で、一切の妥協なく自分の手で作っている。それができるからといって彼らが裕福なわけではない。
 こうした形で本を作っている人たちが少しずつ増えている。にもかかわらず、世の中がどうのこうの、出版界や写真界がどうのこうのと愚痴を言っている人は、おそらく、その人がアウトプットするものにも、そうした濁りが反映されてしまっているだろう。
 妥協無き表現者は、自分のアウトプットするものが、何かしらの宣伝に乗って数多くの人の目に触れる結果となったとしても、もし表面的に受け流されているだけでは、決して満たされることはないはず。
 妥協なき表現者というのは、自分のアウトプットに対して、たとえ少数であったとしても、真摯に、敬意と誠意をもって接してくれる人がいれば、それだけでも自分が行ったことに自信と勇気を持つことができる。
 表現者の魂は、どんな場合も、量よりも質を求める。
 川田 喜久治さんの再販でないオリジナルの『地図』という写真集は、川田さんの話によれば千部ほど印刷したものの、事務所に置いているあいだに色々な人が好き勝手に持ち去ったり、デザイナーの杉浦康平さんが、ドイツ(だったと思う)で講義をする際に大量に持って行ったりしたため、社会に流通したのは、二百部もないんじゃないかとのこと。
 中藤毅彦は、川田さんのその貴重なオリジナルの『地図』を手元に持っていた。(その後、中古市場で200万円くらいの価格をつけたこともあったので、どうなったかは知らないが)。そして、大切にしていたこの本を元に、川田さんへの敬意をエンジンにして「White Noise」という写真集を創造した。
 本来、表現者から表現者への魂のリレーというのは、そうした純粋で妥協を許さない形で、世代を超えて行われていく。
 私もまた、川田さんとの接点は多く、風の旅人の中で作品を紹介するだけでなく、風の旅人の第41号、第44号、第45号、第50号の表紙に、川田さんの写真を使わせていただいた。
 川田さんに対する敬意を元にして作っているので、世間の人がどう思うかという判断よりも、川田さんが見た時にどう感じるだろうかということを強く意識する。
 そうした敬意を持たずに人と関わることは、何らかの形でその人を自分のために利用しているだけなのだが、鈍感な人は、そのことを自覚していない。だから感謝の心もない。
 そうした自分本位の鈍感さは、表現者として、致命的な欠点だと思う。
 今回、なぜ中藤毅彦の「White Noise」のことを書いているのかというと、これまで私が続けてきた古代の聖域をピンホールカメラで撮る写真と、最近始めた東京をピンホールカメラで撮る写真を、こうした本の作り方で重ねていけば、とても面白いだろうと感じたからだ。
 古代と現代を記憶で結びつけて響き合わせる手法としてのヒント。
 それと、『White Noise』の東京の写真を見ていると、私が東京をピンホールカメラで撮ろうと決心するきっかけになった中野正貴の新作写真集『TOKYO EYE WALKING』の中に感じた古代性と同様の気配を感じるからだ。
 東京という巨大なブリコラージュ空間において感じられる古代に通じる懐かしさ。これは一体何なんだろう。
今思い返せば、私は、風の旅人の中で、「修羅」とか「まほろば」とか「不易流行」とか「永劫への旅」といったテーマの号で、森羅万象の生命や、アメツチといった古代性のある写真と、川田さんが撮った東京の写真を、当たり前のようにブリコラージュしていただけでなく、それらの号の表紙に、川田さんの東京の写真を用いた。それらの組み合わせは、違和感があるどころか、よりいっそう響きあっていると感じられる。
 10年以上前から潜在的に気づいていたことを、今、改めて自分の写真と言葉だけで行おうとしている。
今、このように書きながら行われている記憶の呼び起こしもまた、上述したように、一連の記憶の連鎖反応と言え、全てが繋がっている。

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