現代の世界と、詩への希望
シュテファン・バチウという亡命詩人について、知っている人はほとんどいないと言っていいかもしれない。
私も、知らなかった。
この詩人のことだけでなく、この詩人が生まれたルーマニアについても特別な関心を持っている人は、ほとんどいない。
だが、私は、阪本佳郎くんから、このルーマニア出身の詩人について深く探究していることを知らされた時、非常に興味深いと思った。
なぜなら、辺境とか周縁世界というのは、一種のタイムカプセルとして機能しており、世界標準に画一化されたところで生きていると見えなくなってしまうものが残されていることが多いからだ。
私もそうだったが、自分が所属している世界からドロップアウトをして、その画一的世界の外に飛び出して彷徨いの旅に出ると、そうした辺境・周縁の地に心惹かれる。それまで自分が所属していた世界が、とても限定的な枠組みの中にすぎないことに気づかされ、新しい人生の扉が、そこから開いていく可能性を感じるからだ。とくに現代のように、欧米先進国の価値観によって世界中が覆い尽くされ、その延長線上に、どちらかというと矛盾と限界の不吉さを強く感じざるを得ない人にとっては、なおさらのことだろう。
大学を卒業した後、いったん企業組織で働いていながらドロップアウトをした阪本くんもまた、その一人なのだろうと思う。
しかし、ドロップアウトというのは、自分の意思と選択を持ち得る状況だが、シュテファン・バチウは、自分の意思というよりは運命に強いられるように祖国を脱し、スイス、ブラジル、ラテンアメリカ諸国、ハワイなどを彷徨うことになった。
このたび、阪本佳郎くんは、これまで注目されていなかったバチウに対する探究をまとめあげて、『ある亡命詩人の生涯と海を越えた歌』という本を上梓した。
他者に対して敬虔に誠実に向き合う阪本くんの気質とエネルギーが凝縮した一冊の分厚い書物は、バチウの人生に対して真摯に向き合って、バチウに関する資料を丁寧に読み込み、関係者と深く交流し、長い時間と莫大なエネルギーを費やしたもので、それらの成果が緻密に織り込まれている。
シュテファン・バチウの研究書として、これに勝るものはないだろう。
そして、生涯を通して画一的で標準的な枠組みの中にいなかったシュテファン・バチウを通して、現在、改めて問い直すべき具体的なことも、ところどころに織り込まれている。
しかし、正直に言って、現在の私は、阪本くんが紹介しているシュテファン・バチウの詩に対しては、特に心が動かされるものがなかった。
たとえばバチウには、「プラハの若者たちのための歌」という次のような詩がある。
1968年、ソ連軍の戦車によって制圧されたプラハ 市民に向けて書かれたものだ。
「私はチェのためには歌わない
スターリンのためにも歌わない
ネルーダやギリェン、コルタサルに歌わせればいい
彼らはチェのために歌い
私は引用符なしで、チェコスロバキアの若者たちのために
引用符のついていない社会主義者のために歌う
自由を求め
侵入してくる機関銃の鉄に
血と肉の拳で白い鋼に立ち向かう人々のために
・・・
私はチェのために歌うのではなく
チェコ人のために歌う」
チェというのはチェ・ゲバラのことだが、これは詩人の言葉というより、バチウが職業としていたジャーナリストの言葉だ。バチウの個人的なメッセージであり、声明にすぎず、チェコ人のために歌った詩とはいえない。
1959年にキューバ革命が起きて、シュテファン・バチウは一記者として、カストロやチェ・ゲバラに対するインタビューを行った。そして、それまで一人の革命家だったゲバラが、キューバ革命政府という体制側の中枢人物となり、バチウは、それに反発の気持ちを持った。バチウの「プラハの若者たちのための歌」には、その気持ちが反映されている。
しかし、キューバ革命政府のなかで、カストロが、現実に即して柔軟に狡猾に動く政治家であったのに対して、ゲバラは、理想こそが改革の原動力であるという意思が強く、政治家タイプではなかった。
政治家の理想主義者は、自らの理想に当てはまらないものを粛清する。政治家タイプではないゲバラは、理想というものは、むしろ非現実であるからこそ意義があるとみなし、その理想に向けて活動し続けることで変化していく人間の精神を重視するのが彼のスタンスだった。
だからゲバラは、革命キューバにおいて強まっていくソ連の共産主義色を帝国主義的搾取だと非難した。そして、ソ連を非難する自分がキューバ政府内にいることによって生じたソ連のキューバに対する制裁圧力を受けた時、ゲバラは、自らの意思でキューバから離れた。その後、一革命家に戻り、アフリカのコンゴでの戦いを経て、南米に渡り、ボリビアの軍事政権と戦う。しかし、ボリビアにおいては親ソ的な共産党の協力は得られず、アメリカのCIAや特殊部隊から武器の供与と兵士の訓練を受けていた政府軍と戦う術はなく、次第に窮地に陥り、1967年10月9日、つまり1968年の「プラハの春」の前に殺害されている。生前、彼は、プラハの春以前の、ソ連の強い影響下にあるチェコスロバキアの共産主義体制を「失敗作」として批判していた。
ゲバラが、イコンになっていったのは、バチウが出会った時のキューバ革命を成し遂げた政治的リーダーとしてではなく、キューバを離れて一革命家に戻って戦って悲劇的な死にいたった足跡が、人々の心に強い印象を与えたからで、だからこそ、1960年代後半のベトナム戦争の時、世界中の若者たちのあいだで信望者が急増した。
1967年にゲバラから発せられたメッセージ、「二つ、三つ……数多くのベトナムをつくれ、これが合い言葉だ」というのは、米国のベトナム侵略戦争に対して反対するだけでなく、数多くの、帝国主義的な搾取に対抗する「ベトナム」を世界各地につくりだして、敵の力を分散させるのが勝利への道だという主張であり、これが世界中の青年に大きな衝撃を与えたのだ。
ソ連の帝国主義に対抗しようとしたチェコスロバキアの若者たちも、このゲバラの存在とメッセージの影響を受けていた。
Tシャツに印刷までされ巷で消費されるようになった「銃を携えたゲリラ闘士」と阪本くんが書いているゲバラは、もう少し後の時代、それこそ、世界中の若者が帝国主義と戦うことよりもファッションに夢中になる時代のことであり、プラハの春が起きた1968年当時は、チェコスロバキアの若者たちにとって、ゲバラの存在は、ファッションではなく、切実なものだった。
だから、当時のチェコの若者に対して、バチウが、上にあげた「プラハの若者たちのための歌」を送ったところで、プラハの若者たちの心には何も響かなかっただろう。
そもそも、「チェコ人のために歌う」というメッセージよりも、「チェコ人のための詩」がどういうものかという具体的な詩がなければならない。
そして、バチウは、自分の詩のなかで「ネルーダが、チェのために歌う」と書いているのだが、この表現だと知らぬ人は誤解をしてしまうが、ゲバラこそが、少年の頃よりネルーダの詩を愛し、死の時まで傍においていたのであって、ネルーダが、チェのために歌ったわけではない。
バチウが批判していたゲバラを擁護するつもりもないが、ゲバラは、共産主義信望者という頭でっかちのイデオロギーの人物でないし、単なるゲリラ闘士でもなく、きわめて具体的で健全な社会を追求しようとした人物であり、死ぬまで詩集を手元においていたし、兵士たちの前でネルーダの詩を朗唱していたという詩心のある人物だった。彼は、ネルーダの詩の全てを暗唱していたと言われる。
彼は、キューバ革命政府において、国立銀行総裁や工業相の任に就いたが、彼の理念は、「個人的で物質的な動機による競争原理に拠る経済ではなく、真に友愛に満ちた、精神的な動機に依る経済を目指す」というもので、もちろんそうした理想的な社会像や人間像の完成は遠いし、最終的には完成されないかもしれないけれど、その実現のための過程のなかで、新しい人間が生まれてくるという信念があった。
つまり結果を求めすぎて、その実現が果たせないと性急になげやりになってぶち壊してしまうような言動に出る人々が多いけれど、高い理想を持ち、そこに向かって努力する過程のなかで、人間に変化が生じ、その人間の集まりである社会に変化が生じ、その結果、理想に近づいていけるという考えだ。
こうした彼の考えは、現実主義者からは、ロマンティシズムに過ぎると言われることもあるが、ゲバラにとって、共産主義とは単なる「分配方式」ではないし、その分配方式を維持するための官僚体制でもなく、「意識の行為」であり、「意識の行為の継続」の延長上に、資本主義とは異なる価値観が生まれてくるという信念に裏付けされたものだった。
なぜ、バチウについて書こうとしているこの場に、ゲバラのことについて、しつこく書いているのかというと、バチウが否定するゲバラの方に、より詩人の魂のようなものを感じるからだ。たとえ革命の戦闘現場でなくても、新たな歴史創造の過程に自ら身を投じる覚悟を持つこと。それが、本来の詩人の魂だろう。出来上がっている体制(結果)についてあれこれ論じるのは、評論家だ。
ゲバラが関わったキューバ革命のその後の状況の結果を見て、または、ゲバラの写真が印刷されたTシャツを見て、ゲバラはイコンにすぎないと言うことは、後付けの説明しかできない評論家の仕事だ。
ゲバラは、プラハの春も含めて、1960年代の歴史創造の現場に紛れもなく存在していた。
1960年代当時と現在では時代状況が変わっている。
しかし、形が見える結果だけで判断して、結論づけてしまう傾向は、当時より、現代の方が強まっている。
それは、現在の自分(人間)が、今後も成長することなく、ずっと同じままであるという前提に立っている結論づけなのだが、そのことに対して、当人たちは、無自覚だ。
詩というものは、継続的な精神の運動の現れであり、その継続性こそが、自分(人間)を新たな境地へと導く。自分(人間)は、ずっと同じままではないという信念こそが、希望であり、だからこそ、その道のりの厳しさに絶望することもある。
詩の精神にとって大事なことは、現状を分析したり、指摘したり、なぞったりするのではなく、道を指差すこと。
シュテファン・バチウは、こういう詩も書いている。
「詩よ、おまえは仮面、あるいは旗のように
国々を越え、大洋を越え、連れ添ってくれた
詩よ、おまえは、古き廃墟にならぶ瓦礫の壁を抜けて
導くコンパス、道往く旅人の杖」
これは、バチウにとって、詩に対する述懐であるが、「導くコンパス」であるべき詩が、どういうものなのかが、伝わってこない。
そして、バチウが「道往く旅人の杖」とする詩が、彼の詩のなかにあるかと探し求めたが、私には見当たらなかった。
バチウは、ジャーナリストとか大学教授とか、様々な知的な仕事に携わっていたが、詩人というより、詩人の魂に憧れる知的教養人だったのではないだろうか。
阪本くんが、全身全霊で取り組んだシュテファン・バチウの生涯だけれど、私は、バチウの詩が、新たな歴史創造の過程への自己投入とは感じ取れず、どちらかというと、知的教養物の一種のように感じられてしまう。
そして、むしろ、バチウが嫌ったゲバラが残した言葉に、現代でも通用する詩心を感じる。
「ただ一人の人間の命は、この地球上で一番豊かな人間の全財産よりも100万倍も価値がある。隣人のために尽くす誇りは、高い所得を得るよりもはるかに大切だ。」
「人間はダイヤモンドだ。ダイヤモンドを磨くことができるのはダイヤモンドしかない。人間を磨くにも人間とコミュニケーションをとるしかないんだよ。」
「わたしは解放者ではないし、そんなものは存在しない。人は自らを解放するのだ。」
「明日死ぬとしたら、生き方が変わるのか?あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なのか。」
「現実的になり、不可能なことを求めるのだ!」
そして、私は、シュテファン・バチウという他者に対して、これほどまで真摯に誠実に向き合った阪本くんの中にも、詩心を感じる。
その詩心の要にあるものが、他者を理解しようとするうえでの作法。この他者に対する作法こそが、新たな歴史創造の過程へとつながっているように感じられる。
生きた社会環境も世界の情勢も異なるなかにいた一人の人物。その人物を、自分ごととして引き付けて、理解しようとする動機が、いったいどこにあるのか?
自分の処世のために人に近づいたり持ち上げたり、人のことをわかっているふりをすることは簡単だが、阪本くんの動機は、おそらく違うところにある。
彼の動機は、彼の美しい書き出し文のなかに、まっすぐに書かれているし、彼の誠実な作法は、本文中に挟み込まれている彼の「手紙」に反映されている。
彼の手紙は、バチウに向けて書かれた形式をとっているが、実際は阪本くん自身の詩心が、架空の理想的詩人に向けて発せられる言葉のように思えてならない。つまり、彼の手紙じたいが、対話という形式をとる散文詩になっている。
そして、書き出し文には、ルーマニアとか日本とか欧米先進国といった区別はなく、われわれ全員が黙示の時代を生きており、歴史の厄災とは無関係でいられないという共通意識をもちさえすれば、シュテファン・バチウの言葉は、必ずや自分ごとになるだろうという阪本くんの祈りがこめられている。
全編を通じて、その祈りが底流に存在しているゆえに、この本は、研究書や評論というよりは、詩に近いものなのかもしれない。
しかし、必ずや自分ごとになるだろうバチウの言葉というのは、バチウの詩ではなく、バチウの詩精神に対する憧憬が反映された言葉であろう。
バチウの詩のなかにあるフレーズ、「詩を書きたい 一杯の水のように簡潔な詩を」に滲み出ているバチウの心情に、阪本くんは、自分を重ね合わせている。
そのように、詩を渇望し、詩を求めて生き抜いたバチウの人生に対して、阪本くんの同志愛とも言うべき共感と憧憬と魂の震えが重なったからこそ、『ある亡命詩人の生涯と海を越えた歌』という本が、これほどまに奥行きを持つものとなった。
つまり、「バチウの詩」というより、バチウの「詩に対する希望」が、阪本くんの魂に響いているのだろうし、それは、阪本くんの心が、詩の力が取り戻される時代の復興を切望しているからだろうと思う。
今の我々の社会は、「明日死ぬとしたら、生き方が変わるのか?あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なのか。」と、ゲバラが哀れの目で問いかけるような、「目の前の損得を追い求めること」が胸を張って正当化される状況であり、そういう価値観のなかで、「いったい何の役に立つのか」と処理される筆頭が詩だろうと思う。
芸術という言葉が重すぎるのだろうが、商業的なニュアンスも十分に含まれていることが承知されているからこそ自己欺瞞に苛まれることがないので扱いやすい「アート」という言葉。
絵や写真や音楽は、アートという言葉でくくりやすいが、いまだに、詩人においては、アーティストという肩書きで自らを紹介しずらい。自らをアーティストとしている詩人もどきは、単なるパフォーマであることが多い。そもそも、詩人は、自らを詩人と名乗るものではなく、他者が、詩人と感じるかどうかだ。そして、その人にとって詩人の言葉だと感じられる言葉は、その人にとって切実なものである。
ゲバラの言葉に、「人は環境によって抑圧される自身の人格を守り、汚れのないままでいようという願望をもつユニークな存在として、芸術的な観念に反応する。」があるが、この場合の「芸術的な観念」は、現在、巷に溢れる商業臭いアートではダメだろう。それこそ、詩の精神に裏打ちされた表現でなければ、「環境によって抑圧される自身の人格を守り、汚れのないままでいようという願望」に即したものにならない。
『ある亡命詩人の生涯と海を越えた歌』という大著を書き上げた実績で、阪本くんが、学問の専門化という分断現象の著しい大学など安定志向の人々の巣窟になっている権威機関において一席を確保することに安心し、シュテファン・バチウの一研究者、その専門家、(テレビなどで、●●に詳しい人と紹介される人の類)の枠組みに収まってしまうのではなく、詩への希望をつなぐ具体的な実践者となり、そのことじたいが、新たな歴史創造の過程への深い関与になっていくことを願っている。
そうでなければ、『ある亡命詩人の生涯と海を越えた歌』という本は、現状からのドロップアウトによって新たな道を拓こうとする精神の延長過程ではなく、現状の中での選り好みの一結果で、教養趣味の一ジャンルの本棚に置かれるものでしかなくなる。
もっともつまらないのは、ゲバラのTシャツを批判しながらも、気の合うものだけでわかりあえるデザインTシャツを着た集まりで、お互いに賛美しあっているだけのグループサロンの一員となることだ。そうなってしまうと、ドロップアウトが、ただの現実逃避にすぎなくなる。
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