この世から肉体は消えても。
人生において、明確に自分の意思や計画だけで始めて、続けていることが、どれだけあるだろうか。
私の場合、何かしらの縁をきっかけにして始めて、やっているうちに天命だという気持ちになって、続けてきたことの方が多い。
今から4年前の10月19日、鬼海弘雄さんが他界した。
その1年前の2019年の年末、広尾の赤十字病院に鬼海さんを見舞った時、枕元には文学本などが積まれていて、鬼海さんの気力と脳力はまったく衰えていなかったので、それまで3年ほど撮り溜めていたピンホール写真をお見せした。
すると、突然、「今すぐ本にしろ」との声。とても驚いたが、鬼海さんの声が天の声のように脳裏に響き、年があけてからすぐ本づくりを始め、どうせ作るのならば鬼海さんが元気なうちに完成させたいという一念だけで朝も昼も夜も打ち込んで、3月末に完成させて鬼海さんに送った。すぐに、最後まで読んでくれて感想の電話があり、その対話のなかで私は、これからも年に一冊作っていくから、引き続き感想を聞かせて欲しいと伝えたのだが、その後、7月くらいから急激に鬼海さんの容態が悪くなってしまった。
鬼海さんが身体の異変を訴えるようになったのは、2016年に写真集の「 Tokyo view」を完成してすぐ後からだった。
この写真集は、販売時に鬼海さんのアイデアで、購入者に対してのみ、通常はありえない価格でオリジナルプリントの販売を行うことにして、その希望者もとても多かったのだけれど、鬼海さんは、身体が不調で暗室に入れないと言うようになった。
それでも池袋で行っていた定期的な飲み会には参加してくれたり、2018年の秋の紅葉の季節、京都の私の家に小栗康平さんと一緒に数日のあいだ泊まって、神護寺とか、亀岡に紅葉狩に出かけたし、ちょっと疲れたという日は、毎日のように桂川沿いを散歩していた。
その時に鬼海さんが作ってくれたカルボナーラスパゲッティは絶品だった。この時から半年も経たない2019年の2月下旬頃、電話がかかってきて「癌になっちゃったよお」と。
その時点で、癌はかなり進行していた。長いあいだ胃の具合が悪く、近所のかかりつけの医者には通っていたのだけれど、癌の発見に至らず、胃薬でごまかし続けていた。
あまりにも苦しいので大学病院に行って検査をして、癌だと判明してすぐに入院となった。それからは抗がん剤など、かなり体力と気力を奪う治療が続いたが、鬼海さんは、入院中も、ずっと本を読んでいたし、ノートパソコンを持ち込んで、私のブログなども読んでくれていた。
鬼海さんが、その入院中に、私に対して、「本にしろ」と言ってくれていなかったら、私は、あの時点では本にしていなかった。
なぜなら、始めてからまだ3年しか経っておらず、未熟だったことは間違いないのだから。しかし、鬼海さんが背中を押してくれて思い切って本にしたことで、自分がわかっていることと、わかっていないことが明確になり、打ち込み方も、それまで以上となり、どんどんと深まっていった。
その時以来、鬼海さんに誓ったように、毎年1冊ずつ本という形にしてきて、まもなく5冊目になる。
他にたいした趣味もなく、しがらみのある組織や団体にも所属していないので、毎日これだけに集中できるから、1年に一冊は不可能ではないが、そのエンジンは、紛れもなく脳裏にある鬼海さんの存在だ。
今、私がやっていることを、一番最初に認めてくれたのが鬼海さんだというのが、かなり心の支えになっている。
たくさんの人に褒めてもらうことが嬉しい人もいるだろうけれど、私は、どちらかというと、自分が尊敬している人に評価していただけることを目指している。
その人たちは、厳しい目を持っているので、ダメな時は、ダメだとはっきり言ってくれて、だからこそ、評価していただける時の言葉が自信になる。
「 Tokyo view」の写真集を作る時も、鬼海さんの気合の入り方がすごかったので、大変だった。もちろん、どんな本を作る場合も気合が入って当たり前なのだが、鬼海さんの写真のなかで、インドとトルコと浅草は人物がメインだけれど、「 Tokyo view」というのは人物がまったく写っておらず、街中だけの写真なので、人物の味わいとか美しさといったことで人を惹きつけることができず、写真家の匠としての技術だけが明確に現れる。そして、他のシリーズは、すでに大型本が世の中にでていたが、 Tokyo viewは、鬼海さんが30年以上撮り続けてきた東京の写真を紹介する豪華大型本としては、初めてのものだった。
しかも、鬼海さんの都市写真は、線が繊細なため、それを印刷で表現するのは難しく、紙を変えたり印刷をやりなおしたり、印刷だけで1年かかってしまった。
最終的には、通常の写真集ではあまり使わず、高級化粧品のカタログなどで使う発色の非常に良い紙を使い、しかし、それだと品位と落ち着きがなくなるので、かなり濃厚に写真の上にニスを塗り重ねるという方法で作った。その結果、オリジナルプリントのようだと評価される仕上がりになった。鬼海さんも、非常に満足していた。
この写真集を、鬼海さんの希望もあって、印税とは別に100冊以上進呈して、そのお返しに、鬼海さんのオリジナルプリントを9枚も頂けた。
ペルソナ、東京の街、インド、トルコ。これらの写真は、東京と京都の私の拠点の壁を埋めている。
東京にいる時も京都にいる時も、ほぼ毎日のように見ているのに、この8年間、まったく見飽きることがないから、他の写真と入れ替えることもない。
鬼海さんの写真というのは、見飽きるどころか、見れば見るほど味わいが増す。
そういう写真って、世の中にたくさんあるようで、実はそんなにはない。
鬼海さんの肉体は、この世から消えてしまったが、その精神は、作品を通して、いつまでも残り続けている。
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