鬼海弘雄さんの魂を偲ぶ


映画監督の小栗康平さん、鬼海弘雄さんと、「黙示の時代の表現〜見ることと、伝えること〜」というテーマでトークを行った。 撮影:市川 信也さん 

本日、10月19日は、写真家の鬼海弘雄さんが他界されてから3年目の命日。
 この写真は、5年前の秋の京都で、鬼海さんと映画監督の小栗康平さんと私との間で、「黙示の時代の表現、見ることと伝えること」というテーマでトークを行い、その後、数日間、京都の私の家に鬼海さんと小栗さんが泊まり、京都の神護寺など紅葉を味わい尽くした時のもの。 

その時点では体力は落ちていたものの神護寺の坂道を登ることができたし、カルボナーラの絶品スパゲディを作ってくれたりした。
 長年、体調が優れない原因が癌だとわかったのは、その時から4ヶ月ほど経った春だった。
 電話がかかってきて、「癌になっちゃったよお」と、胃に握り拳くらいの腫瘍ができているという話があった。(胃癌ではなくリンパの癌だった)
 しかし、その半年後の秋は、抗がん剤治療で髪の毛をすっかり失った状態だったが、入江泰吉記念奈良市写真美術館で開催された鬼海さんの展覧会で、百々俊二さんとのトークショーに出演し、その後、行列をつくって写真集を買ったファンのために、一人ひとり丁寧にサインをしていた。
 その二ヶ月後、4年前の暮れ、広尾の赤十字病院に入院中の鬼海さんを見舞いに行った時、私が撮り続けていたピンホール写真を初めて見てもらった。
 すると突然、真剣な顔で、「本にしろ」と言われた。このプロジェクトを始めて3年目だったから、「まだ早いんじゃないですか」と答えると、「いや、今からやった方がいい。もうできるよ」と力強く断言された。
 私はこれまでの人生における分岐点で、尊敬できる人の声に素直に従った結果、自分でも想定できないところへと向かえて結果的によかったことが多かったが、この時もそうだった。
 共感程度の感覚で人とつながるよりも、自分の眼差しや思考に変化を与えるような人との出会いを大事にしていた方が、自分でも思いがけない変化が自分に訪れることがある。
 もちろん、良い導きと悪い導きがあるのだが、悪い導きによってその人に起きる特徴は、その人の固有性が失われていくことだ。自分の言葉ではなく、誰かからの受け売りのような言葉しか出てこないのは、洗脳状態にすぎない。
 良い導きは、人から影響を受けているにもかかわらず、むしろ、その人の固有性が増していくように思う。それはたぶん、良い導きや良い出会いが、自分で考えるという土壌を耕してくれるからだろう。
 人との出会いだけでなく、表現作品との出会いも、同じだと思う。
 鬼海さんと直接出会えなくても、鬼海さんの写真を通して、いつでも鬼海さんと出会うことができる。
 鬼海さんは、一つのテーマを長い歳月をかけて探究してきた。だから、Persona、東京の街、インド、トルコという4つのテーマに、鬼海さんの表現が凝縮している。
 なかでも、私が写真集を作った東京の街の写真は鬼海さんの写真のなかで極めて異色で、なぜなら人間の姿が一つも写っていない。
 鬼海さんの作品のうち、Personaとインドとトルコは、写っている人間が魅力的で、そのキャラクターも味わい深く、作品を観る時、意識はそちらに引っ張られてしまい、鬼海さんの眼差しの深さに気づかない人も多いだろう。
 もちろん、写真の楽しみ方はそれぞれであり、鬼海さんが撮ったポートレートを、私も何度も見直して、そのたびに感じ入っている。
 それに対して、鬼海さんの街の写真は、「何がいいのかわからない」とまで言う人が、けっこういる。
 鬼海さんが撮った街の写真は、被写体の面白さというより、鬼海さんの目が、何を、どこまで、どのように見ているのか、その眼差しの広さと深さを感じて、得も言われぬ気持ちになる。
 見るという行為は、恣意的に限定的に自己都合的に対象を処理しているだけのことがある。
 いろいろな物を見て、いろいろ知ったつもりになっていても、実は、その人の世界はすごく狭いということがある。
 人間は、物事を見ているようで、実際には、偏見のフィルターを通しているだけということがあるのだ。
 写真表現者の深さは、こうした人間の視覚の癖について、どれだけ深く自覚的であるかということによって変わってくる。
 そのように考える私は、鬼海さんという写真家の深さがもっとも明確に現れているのが、街の写真だと思っていて、だから、その写真を編集して一冊の本にした。

 Personaやインドなどの写真は、写真集の作り方による差はそれほど大きくならないが、東京の街の写真は、写真集の作り方によって見え方も変わってしまう可能性が高いと思い、だからこそ自分がやりたいと思った。
 鬼海さんという写真家の凄さを、どれだけ深く理解しているかを示すことになる写真集、それが、「東京の街」の写真集だと思ったのだ。 
 この写真集を作った御蔭で、私の手元には、鬼海さんのオリジナルプリントが8点ももたらされた。Persona、Tokyo view、 インド、トルコを、それぞれ2点ずつ、鬼海さん自身が選んでくださったので、半分ずつ東京と京都の拠点に展示している。もう6、7年くらい、それらの写真を毎日のように見ているけれど、まったく飽きることがない。
 鬼海さんが、私が作った写真集とオリジナルプリントを交換しようと言ってくださったのだ。そのため、100部以上の写真集が鬼海さんの手に渡った。
 私からすれば、これだけの枚数の鬼海さんのオリジナルプリントをいただけたということだけでも、この写真集を作る意義は十分すぎるほどあった。もちろん、そんなことは想定にはなかった。
 自分の頭で計算し、計画的に、自分のために何かをやっても、その結果は自分の想定内にすぎない。それよりも、自分が心惹かれる相手の人の魅力や持ち味を、より引き出そうと、誠実に努力すると、自分の想定を超えた歓びに、自分も相手も達することがある。
 これは、表現行為においても同じだろう。
 自分の想定範囲のものに触れる時、軽く共感できるが、自分に何の変化も起きないし、世界の見え方も変わらない。
 時代を超えて普遍性のある表現は、簡単に「いいね!」とできない何かがある。
 ダヴィンチのモナリザや、レンブラントの晩年の作品を観て、大好き!とか、いいね!とはできない。
 心に引っかかる何かは、自分が意識できていないにもかかわらず、自分の中に潜在しているものであり、その潜在しているものが、より浮かび上がる時が、自分の変化だ。
 普遍性のある優れた表現には、そうした変化を与える力がある。
 20世紀初頭、フランスの写真家、ジャン=ウジェーヌ・アジェが撮った、ほとんど人が写っていないパリの街並み。
 私は、アジェの写真より鬼海さんの写真の方がいいと思っているけれど、鬼海さんの写真集を作る時は、アジェが撮ったパリの街並みの写真が念頭にあった。
 人が写っていなくても、その時空で生きる人の思いが伝わってくる。というより、人が写っていないからこそ、かえって、その思いが濃密に伝わってくる表現。
 そして、その濃密さは、後の時代の方が、より強まって感じられる。人を偲ぶのは、滅びゆくことが宿命の肉体よりも、そこに宿っていた魂に対してだからだ。
 鬼海さんの「Tokyo view」もそうだが、鬼海弘雄という写真表現者も、肉体が消えた今、その魂が、より濃密になって永遠の時空の中にあるように感じる。
 本音を言えば、会って話ができればと思うことの方が多いのだけれど。
 明日は、鬼海さんも一緒だった池袋の店で、鬼海さんと魂を通わせた人たちと、鬼海さんのことを偲ぶ日になる。
「Tokyo View」の写真集は、残りわずか。https://www.kazetabi.jp/%E9%AC%BC%E6%B5%B7%E5%BC%98%E9%9B%84-%E5%86%99%E7%9C%9F%E9%9B%86-tokyo-view/

鬼海さんから頂いた、通称バケペン。Pentax6×7。鬼海さんは、最初、これで東京の街を撮ろうとしたが、ハッセルブラットに変えた。Personaも、その流れで、ハッセルでの撮影となった。カメラを変えたのは、このPentaxが重すぎるからというのもあるが、目の高さに構えて対象を睨み、大きな音のシャッター音が生じるこのカメラよりも、被写体に対して、頭を垂れて撮るハッセルの方が感覚的に合っていたのではないだろうか。

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