日本人の特性と針穴写真


 

いよいよ、新宿のOMSYSTEMギャラリーで開催の写真展の設営が明日となった。そして、本番が6日(木)から始まります。(入場無料。火曜と水曜が休館日。10時から6時。最終日の17日は午後3時閉館)。
 私は、職業として写真家ではないので、これが、生まれて初めての写真展です。
 この8年間、ひたすら針穴写真を撮ってきたからといって、「針穴写真家」を名乗るつもりもありません。というのは、今取り組んでいるこのテーマを具現化するのに針穴写真が適していると感じるから行っているだけで、今後、様々な事物を針穴写真で撮影して作品化しようと思わないからです。
 私の本分は写真家ではなく編集者なのだけれど、編集に関する仕事を色々と請け負うつもりもないので、編集者と名乗ることにも違和感があります。
 私自身は、今でも「風の旅人 編集長」でいいのではないかと思っている。
 風の旅人は、2015年10月の第50号以降作っていないけれど、一般的な雑誌のように編集長が変わっていったわけではなく、風の旅人の編集長は、私一人しかいない。
 そして何よりも肝心なことは、現在行っていることも、風の旅人の延長であること。
 そもそも、風の旅人の第50号の巻末で、次号の告知として「もののあはれ」を提示したものの、けっきょくこのテーマで作れなかった。
 日本庭園とか茶道とか禅とかに中世日本文化に関連するものをカタログのように集めて「もののあはれ特集」を行うメディアがあるかもしれないが、私は、そういうステレオタイプのことはやりたくなかった。
 そもそも「もののあはれ」について、自分がどれだけ深く理解できているかどうか、という問題もあった。
 なぜ「もののあはれ」というテーマに至ったかというと、風の旅人を第43号まで作った時、東北大震災が起きて、大きなショックを受け、第44号でいったんは休刊した。同時に、これは日本の歴史的転換点になるのではないかという思いで世の中の動きを注視していた。しかし、震災から一年ほど経った時、アベノミクスが始まり、また以前のような世の中の風潮に戻ってしまったため、風の旅人を復刊させ、「震災後を生きる」というテーマを軸に、日本に秘められた力を再確認していく試みを重ねていった。
 その気持ちの根底にあったのが、あれだけの甚大なる被害を被りながら、秩序と摂理を保ち、前向きに生きようとする被災地の人々の魂に触れたこと。
 海外からも賞賛された日本人の心構えの美しさ。
 そうした心構えは、いったいどこから来ているのかを確認することが、日本の未来に向けて大事なことだと思った。なぜなら、日本人は、謙虚すぎるからか、どうにも本当の意味で自信をもてておらず、幸福度も低いとされる。その反動で、虚栄など表面的な力で自信を持とうとする傾向も強すぎる。
 震災は、そうした表面的なものを洗い流してしまうので、本来備えているものが表に出てくるという作用があった。しかし、昔からそうだが、日本人は、物事を水に流しやすく、切り替えも早く、大きな出来事があっても、すぐに忘れてしまう。
 こうした日本人の性質を、ポジティブでもネガティブでもなく、なぜそうなのかを確認するところから、未来の方向性を探っていくこと。
 風の旅人という媒体も、世界とは何か、人間とは何か、日本とは何か、日本人とは何かということが根本的テーマであり、それ以外のことにはアンテナを張ってこなかった。
 だから私は、編集の仕事ならなんでも承る編集者というより、風の旅人という特有の媒体の編集長であり、そのアンテナは、風の旅人の代わりに「日本の古層」のプロジェクトを始めてからも変わっていない。
 この新しいプロジェクトで、これまで4冊の本を作り、このたび新たに「かんながらの道」という本を作った。
 この本に対して、「今回の本は佐伯さんのモノの見方がすごくわかる一冊だと感じました。だから今までの古代の切り込み方もこうだったんだ…。と、すごく納得のいく写真集でした。」という感想をいただいた。
 自分でもそう思っていて、今回の「かんながらの道」は、これまでの一つの集大成というか節目であり、濃縮スープのようなもの。これまでは、せっせと有機農作物の作付けを行い、刈り取りを行っていた。それらがなければ、今回のようなエッセンスだけを濃縮させたスープも作れなかった。
 これまでは、日本の各地を自分の足で訪れ、それぞれの場所を深く掘り下げるようなアプローチだった。しかしそれは、その場所だけに焦点をあてているのではなく、それぞれの場所の井戸を深く掘り下げていけば、日本全体の地下水脈に行き当たるという思いがあってこそのアプローチだった。
 そして、今回の「かんながらの道」は、そうした井戸を掘り続けた結果、行き着いた地下水脈にあたる。だから、日本全体の普遍性がここにあり、その普遍性を一言でいうと、「かんながらの道」ということになる。
 「かんながらの道」という言葉に対する解釈は、学者さんをはじめ、いろいろかもしれないが、私の解釈は、この本の最後に記している次の言葉。
 「人間は、生きていくかぎり人為から逃れられないので、その人為が、自ずからそう成っているものかどうか、自然の声に耳を傾けながら、人為を整えていくのが、人間の理。その人為を祈りにまで高めていくのが、人間の智。自ずから然らしむように、理と智を一つに統べていくことが、かんながらの道。」
 日本人にとっての自然は、西欧文化のネイチャーではない。いわゆる自然体という言葉が示しているように、我欲や虚栄や面子などによって歪められた思考や行為ではなく、自我の領域をはるかに超えた環境世界全体に即して、自ずから、そう成るべくして成ること。それが、日本人にとっての自然。
 だから、日本人は、「しかたがない」という言葉をよく使う。諦めが早いということにもなり、ネガティブな意味で受け取られることもあるが、自分が思うように行かないことを引き受ける心の耐性にもつながる。
 設計図と計画性に基づいた高い壁を築くことは、西欧のエンジニアリング的発想であり、虚栄や我の主張が強い人は、こうした構造物(たとえばタワーマンション)を素敵だと思うようだが、形も大きさもバラバラな石を、設計図も計画図も持たずに巧みに組み上げて作られた石垣を見て、素敵だと感じる人も多い。
 日本文化に深い関心を持っていたレヴィー=ストロースは、こうした物事の作り方をブリコラージュとし、これこそが生命原理だと唱えた。
 このブリコラージュの生命原理は、日本風にいえば、自然体ということになる。
 自分の我欲の声を軸にするのではなく、自分が関わる物に秘められた声に耳を傾けて作ること。石工も、宮大工も、そうしたブリコラージュの原理で物を作っている。
 実は、日本人のこの能力が、日本経済を陰で支えていることを、多くの日本人は理解していない。 
 金型職人など日本の下請け工場の実力は以前からよく知られていたが、それらの工場が零細企業であるかのようなイメージを、多くの日本人は持っている。
 たとえば最先端の半導体によって世界一の時価総額を誇るアメリカのエヌビディアや、その半導体によってAI技術を加速させるテック企業が日本からは出てこないから、日本は、この分野では遅れをとっていると思っている人も多い。
 しかし、エヌビディアは半導体の設計を行うだけで、実際に半導体を作っているのは台湾のTSMC(台湾セミコンダクターマニファクチャーリングカンパニー)。この会社は、世界の半導体受託生産の半分以上を占めるが、なぜ熊本に巨大な工場を作ったのか?
 それは、半導体製造に必要な豊かな水資源が理由でもあるが、なによりも、TSMCの工場に設置される半導体製造装置においては、世界の3分の1、半導体部素材に関しては、世界の半分を、日本企業が担っているからだ。
これらの企業は、地方に拠点を置いているところが多く、コマーシャルも流さないために多くの日本人に知られていないが、最先端の半導体は、日本企業無くして作れない状況であることは大事なポイントになる。
 そして、これらの企業は、海外の投資家たちも注目している有望企業で、売上が伸びているだけでなく、利益率が高い。社員の半分以上が、研究者や技術者という企業も多く、いずれAIにとってかわられるであろうとされるホワイトカラーが少なく、経営がスリムであり、さらに年収も高い。
 日本の若者は都市に集中しているが、こうした世界的スケールの下請け会社が拠点としている各地方に、都市の虚栄よりも確かな実のある仕事が存在していることを、日本人は、知っておく必要がある。
 さらに日本の未来にとって重要なことは、最先端の半導体の設計などにおいては新しい潮流に乗り遅れたインテルが凋落したように栄枯盛衰が甚だしいが、それらの企業の下請けのさらなる下請けは、上が変われば、新しい上につけばいい。
 その極意は、自分のアイデアを前面に押し出すのではなくて、相手のニーズに徹底的に応えながら技術を磨き抜いていくという日本人の特性にある。
 これが日本人の強みなのだが、上が変われば新たな上につくというマインドは、日本の歴史の中で育まれてきた。
 たとえば日本の平城京は、唐を真似しながら長安のような城壁がない。ヨーロッパでも王や兵隊たちや住民たちの居住地を取り囲むように城壁が築かれているが、日本の場合、住民の居住地を取り囲む城壁はない。
 戦いが起きれば、城壁の中の住民全員が決死の覚悟で戦っていた中国や欧州と異なり、日本の場合、住民たちは、その場所を離れ、戦いの様子を見守っていた。
 そして、支配者が変われば、新しい支配者に合わせて、自分たちを適応させてきた。
 新しい支配者も、それらの住民を弾圧することは得策でなかったので、彼らが大事にしてきたものも尊重した。
 だから、日本の神社では、本殿の背後に、末社や摂社があって、そこに古くからの神様が祀られているし、新しく作られた古墳は、それ以前の古墳の石材や土を利用したりしていないので、全国に15万もの古墳が残っている。
 アメリカのGHQが、鬼畜米英と叫んでいた日本人の価値観を一掃しようとやってきたものの、昨日の敵は今日の友という日本人の対応に当初の計画を変更し、天皇制を維持することを決めた理由も同じだ。
 これが、日本人の「自ずから、然らしむ」ということ。すなわち自然(じねん)であり、環境変化に応じる自然体。その根っこに、「かんながらの道」という地下水脈がある。
 私が、写真や言葉を通じて表したいのは、この「かんながらの道」であり、本作りにおいては、歴史好きのための歴史のお勉強のためのツールを作りたいわけでもないし、このたびの写真展で、針穴写真の発表会を行いたいわけでもない。
 なぜ針穴写真なのか? その理由を見つけたから、この方法を始めたわけではなく、上に述べたようなことを表すうえで針穴写真が適していると感じるから続けているのだが、やはり、「境界の曖昧さ」というのがポイントだと思う。
 日本文化の特性としても、この境界の曖昧さがとても重要で、たとえば「間の思想」というものがある。暖簾とかすだれとか、生垣とか、あちらとこちらの境界が曖昧であること。彼岸と此岸も行き来自由。温泉に入ることだけでも極楽になる。
 最近、私は古代からの聖域だけでなく、東京や京都といった都市も針穴写真で撮っているが、この都市写真も含めた新刊の「かんながらの道」に対して、「今回の本は、私的には今までで一番好きです。対象が実に多様で、見るものを飽きさせません。モノクロームとカラー、神社、自然、都会などのコントラストが、不思議に違和感なく、全体に複雑な付線が張り巡らされた、壮大な歴史絵巻を見るような感覚を覚えました。」という感想をいただいたが、日本の古くからの聖域と、現代の都市のあいだの境界さえ曖昧にできるのは、針穴写真の性質によるものだろう。
 私は、風の旅人を作っている時も、一般的な雑誌のカテゴライズが大嫌いだった。
 「30代で都会に生きる女性がターゲット」などという雑誌の作り方は、広告を獲得するうえで重要なセグメントであるが、メディアが、そうした卑小で明確な線引きをし続けていたから、その影響で多くの日本人も物事に線を引く癖がついてしまい、それが、日本人の心の自由さと柔軟さを奪っていった。
 風の旅人は、このタイトルそのままに、セグメントもカテゴリーも無縁の、文と理の区切りもなく、自然も科学も歴史も芸術も何でも入る器であり、それらの異なるようなものを調和させていくことに、力を注いで作っていた。
 境界を無化することもまた、日本文化に脈々と流れている「自ずから然らしむ」ことであり、それが「かんながらの道」に通じる理と智の実践であると、私は思っている。
 果たして、このたびの写真展の展示空間で、そのことが、うまく滲みでてくるかどうか。
 こればっかりは、初めての試みなので、どうなるかはわからないが、場に応じた最善を目指して、試行錯誤を行いながら準備を整えてきたつもりではある。
 このOM SYSTEM ギャラリーの良いところは、広さが十分なこともあるが、ライトの調整ができること(できないギャラリーが多い)。
 明るくなければ罪のような時代環境で、作品もまた、気分を明るくするものが良しとされているので、明るすぎる場所での写真展示が多いのだ。
 私の針穴写真は、陰影が大事なので、すべてをあからさまにする明るさではなく、平安時代の男女が出逢う場所のように、仄かな明るさの方が適していると、自分では思っている。

_________
2月6日(木)〜2月17日(月)、新宿のOM SYSTEM Gallery で写真展を開催します。詳細は、こちらをご覧ください。https://note.jp.omsystem.com/n/nef782674b1cc?fbclid=IwY2xjawIHvGJleHRuA2FlbQIxMAABHa76GZ51M7hBLnjJdBTYp9P38-IHkEKvGOskRLMByp-ROmMoh0vCW10fIg_aem_JPplrlH0SMxwHLAT1fRhuA
_________
東京と京都でワークショップを行います。 [https://www.kazetabi.jp/%E9%A2%A8%E5%A4%A9%E5%A1%BE-%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%97-%E3%82%BB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%BC/](https://www.kazetabi.jp/%E9%A2%A8%E5%A4%A9%E5%A1%BE-%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%97-%E3%82%BB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%BC/) <東京>日時:2025年2月23日(日)、2月24日(月) 午後12時半〜午後6時 場所:東京都日野市高幡不動(最寄駅:京王線 高幡不動駅 <京都>日時*2025年3月29日(土)、3月20日(日) 午後12時半〜午後6時 場所:京都市西京区嵐山森ノ前町(最寄駅:阪急 松尾大社駅)
_________
新刊の「かんながらの道」は、オンラインで発売しております。 https://www.kazetabi.jp/

いいなと思ったら応援しよう!