不易流行と、現代都市文明。


風の旅人 第43号より 写真/石元泰博

「シカゴ シカゴ」や「桂離宮」などの写真で知られ、戦後日本写真界でもっとも重要な写真家である石元泰博さんは、長いあいだ五反田に住んでおられ、90歳に近い年齢の頃、カメラを首からぶらさげて山手線に乗って、渋谷の街に出かけて撮影をしていた。
 当時、私は目黒に住んでいたので、時々、自転車で石元さんのご自宅にお邪魔し、石元さんが撮ってこられた様々な写真を「風の旅人」で紹介した。
 その最後になったのが、風の旅人の第43号の特集「空即是色」の誌面だった。これは、2010年の年末年始に大雪の高野山にこもって企画をしたものだが、その内容が、2011年3月の東北大震災とシンクロしたものになってしまった。

風の旅人 第43号より 写真/石元泰博

 当初、私は、この号の表紙を、ここにアップしている石元さんの何かしらの大きな変化の兆を孕んだ波の写真を予定し、デザインを行い、印刷入稿直前だった。その時に震災が起きて、私は東北地方を取材した後、表紙を差し替え、自分が取材してきた記事と写真を巻末に組み入れて印刷を行った。
 この風の旅人43号の石元さんの特集ページでは、幾つかの波の写真とともに、石元さんが渋谷の街中で撮った写真を紹介しているのだが、それらの写真は、ここにアップしているように、人の姿が固定せずに流れた状態で撮影されている。石元さんは、晩年、こういう写真を撮り続けていた。
 そして私は、風の旅人を終えてからピンホールカメラで日本の古層を撮り続けて8年になるが、ようやく最近になって、ピンホールカメラで東京や京都の写真を撮り始めた。自分では意識していなかったが、晩年の石元さんの世界に、感覚が近づいているような気がしている。
 第43号「風の旅人」の中の石元さんの特集ページのテーマタイトルとして私が考えた「色と空〜あはひ」のように、石元さんは、東京の街中の人々だけでなく、波とか樹木とかを連続的な動きの中でとらえながら、その形(色)が、やがて消えゆく(空)さだめであることを暗示し、その「あはひ」が、われわれの生命であるという本質を、写真で表現しているように私には感じられた。
 そして、このことが東北大震災と重なり、私自身の人生にも深く影響を与え、「風の旅人」をいったん休刊するとともに、東京から京都へ移住することになった。
 この期間、私の内面世界と深く関わっている写真家が、石元さんと同じく戦後の日本写真界で最も重要な写真家の一人である川田 喜久治さんであり、現在91歳であるが、不思議なことに、この10年以上、ほぼ毎日のように東京の街中の撮影を続け、インスタグラムにもアップし続けている。
 私は、風の旅人の第36号で、石元さんが50年にわたって東京を撮り続けた写真と、川田さんが原爆ドームを撮った写真と、その当時の日本社会を撮った写真で、かなりのページを割いて特集したことがあった。
 「不易流行」、すなわち変わりゆく現象と変わらない本質的なことが、この二人の写真からは浮かび上がっていた。
 石元さんと川田さんは、太平洋戦争を直接的に経験している。戦後、太平洋戦争の経験のない世代が育ち、そこから東京の街中をカメラで撮る人が次から次へと泡のように出てきた。
 敢えて「泡のように」と形容したのは、不易流行ではなく、変わりゆく現象の方に偏っていて、変わらない本質的なことが、あまり伝わってこないからだ。おそらく、そういう表現もまた、変わりゆく現象の一つとして、泡のように消えていくだろう。
 そういう泡のような写真を撮っている人たちの写真は、自我の鏡にすぎず、石元さんや川田さんの写真のように、時代や社会を俯瞰する眼差しが感じられない。
 自我というものに囚われてしまうのは、個人の自我なんてものが完全に打ち砕かれてしまう経験がないからかもしれない。
 そういう意味で、太平洋戦争の記憶をつなぐ人が数少なくなっているなかで、90歳を超えた今もなお、毎日のように現役で写真を撮り続けている川田 喜久治さんの存在は、かけがえのないものだ。
 2015年10月、「風の旅人」の最終号となった第50号は、表紙も巻頭特集も川田さんの写真なのだが、この都市の写真に、私は、「不易流行」という言葉と、日本書紀の冒頭の言葉を重ねている。

風の旅人 第50号より 写真/川田 喜久治

古(いにしえ)に天地(あめつち)未(いま)だ剖(わか)れず、陰陽(めお)分(わか)れず、渾沌(こんとん)にして鷄子(とりのこ)の如(ごと)く、溟涬(めいけい)にして牙(きざし)を含めり。
 すなわち、陰陽が整っていない状態のカオスが、来るべき未来を孕んでいるということ。
 しかし、この人間の未来というのは、常に、記憶とつながっていることを忘れてはならない。なぜなら、人間が何か新しいものを発想する時、必ず、自分の中に存在する何かとの呼応でアイデアを獲得するからであり、その何かとは、当人が意識しようがしまいが、記憶である。
 私は、川田 喜久治さんの都市写真を、風の旅人の休刊(44号)の時、風の旅人の復刊の時(45号)、そして最後になった50号において、表紙と巻頭特集で使用させていただいている。
 44号のテーマが「まほろば」で、45号が「修羅」、50号が、「時の文〜不易流行」。
 このテーマからもわかるように、川田さんの都市写真のなかに古代性を感じ取り、その都市性と古代性が、変わりゆく現象と変わらない本質的なことを示していると判断したがゆえのことだ。
 制作していた時は、それほど強く意識していたわけではなく、無意識の声に導かれるように作っていたわけだが、こうして全体を俯瞰してみると、全てはつながっているということがよくわかる。
 しかし、無意識の動きと意識のあいだには、少なからず距離がある。
 私がピンホール写真で撮り始めたのは、風の旅人を終えた2015年の翌年からだが、この8年に渡って、人間や花など動きやすいものは撮ろうとも思わなかった。長時間露光のピンホールカメラだと、動いているものはブレてしまうからだ。
 ブレるものはブレるままでいいと自然な気持ちで思えるようになったのは、ようやく最近になってから。
 石元さんの渋谷の街中の人々のブレた写真を、風の旅人の第43号で特集していたにもかかわらず、あれから13年も経ってしまった。
 しかし、自分でピンホールカメラで花を撮影して感じることだが、ピタリと静止している花の写真より、微かに揺れているくらいの花の方が、花の息吹のようなものを感じる。
 今こうして文章を書いている窓の向こうに林が広がっているのだが、今日は風が強く、樹々や葉が、よく揺れている。そして、静止した状態よりも揺れている方が、見ていて飽きないし、心に響くものがある。
 カメラメーカーは、超高速シャッターと超クリアなレンズを開発して、本当は移ろいゆくものである現象世界の物事を、それを認めないとばかりに完全静止させることが人間の進化と考えているようだが、果たして、その方向性でいいのかと少し立ち止まることも必要なのではないか。
 芭蕉も説いているように、表現において大切なことは、不易流行であり、変わっていく多くのものごとの中に、変わらない普遍性を見出すことなのだから。
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