東京の中に潜む古代性

 

今思えば、東京の中に潜む古代性や懐かしさに対して、小説作品にまで昇華させていたのは日野啓三さんだった。
 1970年代から80年代にかけて、日野さんは半蔵門近くに住み、深夜、皇居周辺を歩き回りながらコンクリートの冷え冷えとした感覚の向こうに、何かしら懐かしさを感じ取りながら、その懐かしさと呼応するように神経を研ぎ澄ませて、向こうからやってくる声に耳をすませていた。
 当時の日野さんの小説は、長い海外放浪から帰ってきた私の心の深いところをとらえた。他の小説家の小説に倦んでいた私は、日野さんの小説を夢中で読み続け、神保町の古本屋で日野さんの本を片っ端から買い集めた。後に日野さんに会った時、それらをお見せしたところ、「きみの方が、私よりも私の本をたくさん持っている」と笑っていた。
 その頃は、なぜ日野さんの都市小説が、自分の心を深く捉えるのかわからなかった。奇遇なことに、30歳の頃より私の職場も半蔵門や永田町となり、さらに自分の家も目黒だったので、休みの日だけでなく通勤でも自転車で都内を走り抜けながら、日野さんの小説に出てくるような光景を無意識のうちに探していた。
 日野さんの小説は、日野さんが亡くなってから、書店で見つけることが難しくなった。
 時代は、軽薄短小などと言われるようになって軽い内容の小説ばかり売れるようになったこともあるが、それだけでなく、知識人の発信するメッセージが、耳障りの良いヒューマニズムに染まっていったことも原因だと思う。
 日野さんの影響を強く受けて小説を書き始めたと公にしている某有名小説家も、芥川賞を受賞したデビュー作から初期の数作は、日野さんの小説に流れている文理一体というか、都市も自然も溶け合った世界に深く入っていき、繊細な詩心が強く感じられるものだったが、次第に南の島の大自然を舞台にした単純なヒューマニズム色の濃いものになっていき、とても残念だった。
 その種のヒューマニズムは、他の誰かが色々なところで口にしているメッセージであり、それを有名人や権威ある者が言うことで世間から持ち上がられているにすぎず、何ら新しい視点や新しい意識につながるものではない。
 日野さんは、そういう安易なヒューマニズムに流れなかったので、その作品は、次第に世間との接点を失っていったのかもしれない。
 そんな世間のことと関係なく、日野さんは、都市世界の向こうに古代を見ていたので、次第に書くものも、そうした傾向が強くなっていった。
 私が、日野さんのところに通っていた頃は、日野さんは都市の小説を書いておらず、テーマは、人類の根元に向けられていた。
 たとえば日野さんは、晩年、何度も癌におかされながら、毎日、数ページずつ読み進めていた本があり、それは、スティーブン・ミズンの『心の先史時代』だった。
 600万年前に猿から分かれ、「心」を進化させた人類。その「心」で、先史時代の人類は何を見、何を考えていたのか。心のシステムを解明する進化心理学と、認知考古学の知見を動員して、心の一番奥底へと辿り着こうとしている本だ。
 都市は、人類が作り上げるもので、日野さんは、都市それ自体に興味があったというより、人類とは何か?ということを考えるうえで、都市を外すわけにはいかなかった。
 なので、私が通っている頃、話込んでいたのは、当然ながら小説論などではなく、文明、宗教、芸術、歴史、宇宙といったもので、その濃密な時間の対話の薫陶によって、私は、2003年に「風の旅人」を創刊した。

 「風」の甲骨文字は、風の旅人の創刊号でも紹介したが、添付写真のように「鳳凰」を表している。 頭は鶏、頷は燕、頸は蛇、背は亀、尾は魚という伝説的生き物である鳳凰は、今から3500年前、殷の時代に、風の神、またはその使者として信仰されていた。
 それは、人類と地球の歴史を見守り続ける不死の鳥であり、時間と時空を超越した存在。
 別名が、不死鳥(フェニックス)。 手塚治虫が自らのライフワークと認めた「火の鳥」のモデルである。
 したがって「風」という古代文字は、人類と地球の歴史を見守り続ける不死の鳥であり、時間と時空を超越した存在を表している。
 私が作る雑誌に「風の旅人」と名付け、創刊号の最初のページに、この古代文字を大きく掲げたのは、そのためである。
 (風の旅人の文字は、良寛和尚の字を使わせていただいている)
 だから、風の旅人は、日野さんの深い関心ごとであった文明、宗教、芸術、歴史、科学といった人類全般に関わることの凝縮を試みている。
 風の旅人は、創刊当時、世間の人がどう思うかということは考えず、日野さんが生きていたら、どんな顔をしてこれを見るのかということを意識して作っていた。
 そして日野さんの小説のなかに「都市という新しい自然」という本があり、このタイトルを、そのまま風の旅人のテーマとして第5号で編集制作を行ったこともある。
 私は、風の旅人を50号で終えた翌年の2016年から、8年間、東京を避けるようにして古代世界へと深く潜っていた。
 

しかし、今、改めて風の旅人の後半の頃を見ると、川田喜久治さんが東京を撮った写真を何度も表紙にしたり、川田さんの都市写真と、水越武さんの自然写真や野町和嘉さんの人間写真を響き合わせているし、しかもそれらの号のテーマ自体が、「修羅」とか「まほろば」とか「不易流行」とか「永劫への旅」といった、都市の向こう側の人類の普遍性を意識したもので、50号では、巻頭に川田さんの都市写真の上に、ごく自然に、『日本書紀』の冒頭の文章を重ねている。

 さらに、この50号では、川田さんの一連の都市写真群の後に続くのが、鍛冶職人などを撮影した大橋弘さんの「アメツチ」という一連の写真群。
 私は、無意識のうちに、日野さんの都市小説から影響を受けていたものを、誌面に反映させていたように思われる。
 そして、この50号で風の旅人を終え、私は、古代探究の旅に向かうが、その終わりは始まりであり、実は円環の中の動きにすぎなかったということを、最近、はじめて認識した。
 古代に潜っている時に、そうした意識を持たずに、一心に古代の声だけを聞こうとしていたことが良かったと思う。そうでなければ、辿り着けないものがあった。
 この8年間は寄り道ではなく、同じ道のりの中にあった。
 中野正貴の「TOKYO EYE WALKING」や、中藤毅彦の「White Noise」に掲載されている東京の写真に感じる古代性。これらの写真は、風の旅人という媒体があれば、間違いなくその中に織り込んだものだが、今は、自分が撮るピンホール写真と自分の言葉だけで、古代と現代を重ねあわせて、そのうえで、人類とは何か?を探究していく段階なのだろう。 
 アダムとイブが楽園を追い出され、イザナミは、カグツチを産んだ時に死んでしまった。
 人類の業は、そこから始まった。そして、この道は逆戻りにはできず、前に進むしかないのだが、前に進みながら、いかにして人間の脳と自然のあいだに折り合いをつけていくかが、人間の歴史とも言える。
 折り合いがうまくつけられない時には、様々な悲劇が起きており、そのこともまた神話の中に象徴的に表現されている。
 人間の様々な表現は、その折り合いの中から生まれているのだが、ある歴史的段階で、時間と時空を超越し、人類と地球の歴史を見守るような視点が現れる。それを古代人は、鳳凰のイメージとした。
 徳のすぐれた天子の世に現れると伝えられる想像上の霊鳥である。
 そして、この「鳳凰」が「風」を意味する文字となっているのは、深く意味のあることで、「風土」や「風俗」、「風化」とか「風狂」など風という文字を使う言葉は数限りなく、風は、森羅万象と人間の営みの全てに通じる何ものかである。

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