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(141) 仇を恩で返す

「ありえないなぁ・・・。今まで聞いたことがねぇ」
なんてひと言で片づけて、目を瞑って次へ行ってしまいたい複雑な気分になる。複雑というのは、重くて深い貴重で尊い言葉であることが一瞬でわかりながら、とても近づけるような自分ではないことで、知らないふりをしたいのだが、そうもいかないかなと前へも後ろへも身動きが出来ないで、固まってしまう。

落語と講談の深さ・凄さを習ったのは愚息からであった。7・8年も前のことだろうか、その入口は立川志の輔師匠であり神田伯山先生(当時は二つ目で神田松之丞といった)だった。噺の凄さもさることながら、演じるその師匠・先生の芸人魂に衝撃を受けた。この世界に触れていたら、きっと大きな影響を受け刺激となるとの予感が強くあった。そんな流れの中、ある日愚息から連絡があり、神田伯山先生の師匠である人間国宝の神田松鯉先生が出演する演芸番組があるから観るようにとのことであった。落語・講談の師匠からの連絡であるから、慣れないけど録画の予約までして番組を待った。

神田松鯉先生の「肉付きの面」という人情物で、能・狂言の面打ちの噺であった。父の仇をうって当然である憎むべき相手に対して、職人としての生き方の”美学”が綴られた噺であった。松鯉先生の高座が終わると、思わずテレビに向かって拍手をした。感動的な噺であった。その上、さすが人間国宝である松鯉先生の重厚で優しい語り口は、つい人を引き込み共感を誘うものであった。番組が終わった頃、愚息からメールが届き、そこにはメッセージと共に松鯉先生の常々の”志”が添えられていた。

「今まで心無いことを言われたりされたりしたこともあったけど、講談には”仇を恩で返す”という根多もある。されたことをそのまま返すようではお客様の心を打つことはできない。どんなに嫌なことをされてもそれを恩で返す、それが私の美学であり講談師としてそういう噺をする以上、自分もそうありたい」

と、これには参った。
つい先日このnoteの「(136)一度っきりを生きる」で書いた覚えがある。高倉健さんも同じことを言った。「演じるその役から生き方を学ぶ」と。私も習いたい。しかし、”仇を恩で返す”などと、ひっくり返ったとしても今の私からは遠い境地でしかなく、簡単に習うことができない。

(5)足るを知る」で恥を忍んで書いた。半世紀も前の話で気が引ける。母が川柳で文部大臣賞特賞を取った。母は新聞記者になりたかったらしく、文章は上手かった。さすがに文部大臣賞とはビビった。本当にビビったのは、そんなことよりもその川柳そのものだった。

【父母がいる その幸せに 気がつかず】

愚かな息子に対しての痛烈な皮肉という訳だ。確かに「父母がいる幸せ」を私は感じていなかった。そればかりか、親不孝の数々・・・恩をあだで返してばかりの生き様でしかなかった。身内には仕方がないにしても、友人・周りの人達・同僚の皆さんにも散々恩を仇で返していたに違いない。はっきりと自覚がある。本当に恥ずかしい。

人格とは何を指すのだろう。性格であり、自我でもあり、ライフスタイル【(104)ライフスタイル 参照】も含め、その人の全てということになるのか、”生き方”そのものだと思う。前回にも書いた大谷翔平選手の神対応・ベンチでの彼の姿勢など話題に上るのだが、これが人格というものだろう。神田松鯉先生は”人格者”だと、弟子の伯山先生はじめ誰しもそう認めているという。確かに先生の高座の途中など講談師として、一人の人間としての”矜持”とでも言うのか、自覚と責任・プライドが静かな語り口ではあるが、こんな私であっても感じとれるのだ。本業のみならず、「どう生きるのか」を追い求めた人達の独特の空気が伝わってくる。神田松鯉先生、役者高倉健さん、大谷翔平選手に同じ生き様の”美学”があるのだと思う。

私はクライアントに”貢献”という提案を必ずどこかでしている。荷を抱えその重さに圧倒されているはずのクライアントに・・・。その重さに耐えられず悪循環が続き、先がまるで見えないから・・・という意味がある。私自身がそうである。自身が抱えている数々の問題・大きな不安、これらに圧倒されそうである。しかし、簡単に片づけられない一生ものの荷物であるから向き合ってため息ばかりついていたのでは、悪循環になるばかりである。前回書いたばかりであるが、ここは”リフレーミング”を取り入れて発想の枠を変えてみる。自身の問題を抱えたまま、人のお世話に懸命になってみる。”貢献”するに専念し、力みを抜き、ため息を声掛けに変え、ひとまず自身の荷から離れてみるということだ。

とりあえず、私の欲しいもの・願うものは手に入れられないが、人のお世話の中で揺れながらも私が立ち”貢献”することで、湧き上がるエネルギーをいただくことになる。そんな私の元気の素を、クライアントに小さくてもいいから側にいる人に”貢献”してみませんかと、枠を変える発想をお勧めすることにしている。それがクライアントのエネルギーを呼び戻し、充実感とほんの少しの自信を生む。「私もやれるかも知れない」と、思っていただけることになる。

松鯉先生の足元にも及ばないが、せめて”貢献”を足掛かりに”仇を恩で返す”ことのできる生き方を求めたい。”寛容”であることを求めずして、その境地にたどり着くことはできないのだと・・・。松鯉先生、大谷翔平選手がそうであるように”志”をまず持ち生きたいものだ。