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(70) ニセの感情 ー ラケット

突然だった。

「もしもし、申し訳ありません。今日昼から、突然ですがカウンセリングお願いできませんか?何故かわかりませんが、部長に朝ひと言、言われてから何か変なんです。身体全体がムズムズして、息が吐けないんです。息苦しくて・・・。これって病気ですよね?自分が崩壊しそうなんです。お願いします」

昼からゆっくり散歩でもするか、と自分勝手な予定でいたことが何だか恥ずかしい計画であったかのような気になり、
「大丈夫ですか?早退されるんですね。わかりました。ここまで来られますか?研究所の場所はおわかりですね。それでは午後一時お待ちしております」
救急病院でもないのに、このように急を要するケースが多々ある。なかなか気持ちも身体もついていけないことになる。

研究所の呼び鈴がピンポンピンポンと激しく鳴り、ドアが開くと同時に、玄関に倒れ込まれた。空手の「押忍」の姿勢をとり、私は自身に気合を入れた。倒れ込んだ彼を抱き上げ、椅子に案内し、
「僕を見てください。腰のベルトを緩めますよ。さぁ、大きく息を吸い込んで、ゆっくりゆっくり口をすぼめて口から息を吐いてください。」
五分ほど、私は立ったまま、呼吸の号令を掛け彼の傍に寄り添った。

三十二歳になる大手企業勤めの係長という彼は、生まれて初めてのピンチだと話し始めた。
「実は、課長の奥様がお亡くなりになり、昨日部長と同僚五人で葬儀に参りました。課長は憔悴なさったご様子で、我々もご挨拶もろくに出来ないほどだったんです。今朝、部長から呼ばれてお叱りを受けました。私は全く記憶がないのですが・・・昨日その式場で私はへらへら同僚に笑って話しかけ、周りからひんしゅくを買っていたと・・・。日頃、笑顔をみせる君ではないのに、どういうことだ、と、あんな場面で私も記憶がないだけに、怖くなりました」
「部長さんからの話が朝で、少し時間を置いて身体に症状が出始めた、というわけですね」
「その時の感情は、恥ずかしさを飛び越え、そのまた向こうの恥ずかしさであると感じたことを覚えています。ただただ恥ずかしいという・・・」

「もしかして、今迄にもこれと同じ様な場面で同じようなひんしゅくを買うことがあったのではないかと思いますが、いかがですか?」
「はい、本当に同じことが小学校四年生の時、クラスメイトが交通事故で亡くなったんです。先生が葬儀の日の朝礼で黙祷しましょう、と。その時、僕は笑い出してしまいました。これも笑ったという記憶がないのです。みんなの前で叱られ、午後からの葬儀に参加させてもらえませんでした。そのことの整理がつくのに二・三年かかりました。自分でも何故か本当にわからなくて・・・」

なるほど、このケースは私の想像した通りであると思われた。尊敬する課長の奥様が亡くなられ、大好きだった親友が交通事故で奪われ、誰よりも悲しいはずの場面で、その悲しみが素直に表出できない。悲痛である場面であるのに、その感情を出せず”ニセの感情”を表出してしまうということなのだ。

もちろん無意識でそうしてしまうのである。これを”ラケット感情””ニセの感情”)という。

「わかりました。あなたはたぶん、幼い頃ご両親から期待をされたお子さんだったと思います。きっとご姉妹がいらっしゃいますよね?”男性”であるということで、『男なら悲しくてもメソメソするな』とご指導を受けたはずです。ですからあなたは、ご両親の期待通り『男なら悲しくてもメソメソしない』でいようと決断され、親の期待を裏切らないよう生きて来られた。そんな場面ではいつも”笑って”親に褒められたくて、そうして来たんですよね」
「確かに、それだけはとても厳しく言われた記憶があります」

それ程までに私たちは、親に”褒められたくて”生きて来た。例外なく誰もがそうである。そうでなければ生きて来られなかったのだ。切ないし何だか悲しい。子どもたちは本当に健気なのだ。

五歳になる孫娘が、いつも遠慮なく言いたいことを大声で言う。これが何より大事なことだと思うから、何でも受けとめることにしている。この五歳が、弟のチビ坊の姉であることが嬉しくてとても可愛がっているのに、チビ坊に激しい嫉妬をする。我々がチビ坊のことにかかりっきりになると決まって、この五歳が”拗ねて”二階の部屋に閉じこもる。さぁ、こんな時この爺の出番となる。

少し間を置いて部屋に行くことにしている。決まってうつ伏せになり、時に涙を流して拗ねている。思いっきりだから切ない。
「じいちゃん、入って来ないで!ひとりにして!」
五歳とは思えない言葉遣いだ。
「拗ねてるの?それってちょっと違うよね?いつもあなたは思ったこと何でも言うよね。それが何よりも大切なことなんだよ。じいちゃんはそれが嬉しいんだよ。でもチビ坊のことになると、言いたいこと言わないで拗ねるよね。何でかな?『悲しい。私のこと放っておかないで』って、大声で言えばいいんだよ、わかる?」
泣いている孫娘を私は抱きしめて、
「拗ねたりしないで、何でも思ったこと、素直に言えばいいんだよ。それが大切なことだからね」
と、念を押す。
「うん、わかった」
こんなやり取りを何度したことか。「わかった」と言いながらも五歳だ。また、やる。”ラケット感情”を使って欲しくないのだ。何度でも、出番があるごとに言い続けるつもりでいる。

先のケースは、三年前に卒業してもらった事例だ。半年間の面接で、彼の「恥ずかしさを通り越した恥ずかしさ」の身体症状は全快した。心がそのまま身体症状を出させたのである。複雑な、わかりにくい症状だった。無意識から、違和感と自責の念のサインなのだ。彼は”病気”などでは決してない。

私たちは、大人になった今でも、幼い頃に”親の期待”に応えたい為に身につけた、”本当の感情”を出すことを躊躇い”ニセの感情”をあて、どこかで違和感を感じながら生きづらさを抱えているものだ。もうそろそろ、その呪縛から解放されて、あなたらしく”思う感情”を、大声で叫んでみてもいい頃だと、私は思う。


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