(58) 人生脚本
「Tさんから先生の所に電話来た?」
「ああ、それさ、来週の予定に入れたよ」
「何だか”複雑”でさ・・・胃潰瘍はうちで大丈夫だから、先生、Tさんのことよろしく頼んだよ」
「”複雑”って何?」
「生活史だよ」
ある日、研究会で顔見知りの心療内科医のA先生から紹介を受けて、Tさんというそのクライアントの面接が始まった。先の会話はその心療内科医の先生とのやりとりである。”複雑”との言葉が気になり、家族の人間関係に重点を置き、訴えをお聴きした。
四十歳、男性、会社員。幼い頃、彼が母親に何かを求めると、決まって母親から「嫌われた」と感じるということである。返事をしてもらえなかったり、無視だけでなく母親がその場から居なくなったらしい。毎回であることが、彼を苦しめた。父親はどちらかというと天真爛漫で子どもっぽい人だったそうで、父親が子どもっぽく振舞うたびに、母親からひどく非難されていたことがわかって来た。
ひとつ、大きく気になったことは、クライアント自身が、このような母親の、自分や父親への反応態度を、幼い頃からよく心得てしまっている様子であったことである。このことが、彼の「今」に大きく影響していると私には思われた。
面接が進むにつれ、少々深い”気分障がい”もあると思われたので、A先生に電話して「抗うつ剤」の処方をお願いした。
子どもは誰しも、親の”愛情と承認”を得るために全身で求めているものだ。そうでないと生きられないのだ。彼の場合、母親から拒絶を受けた。求めるたび、そうだったらしい。また、父親の子どもっぽい振舞いを同時に非難した母親なのだ。彼は何を「心得て」いたのか?母親は「子ども」そのものを嫌っていると、子どもながらに考えたのだ。どんなに母親の”愛情と承認”を求めようと、母親からは返されないもどかしさは、子供にとって「生きるな」に相当する悲しさのはずだ。
彼は考えた。母親の”愛情と承認”を得るにはどうするべきかを。「自分が心得てしまったあの母親から、”愛情と承認”を得るためには、人生の「成功者」となるよりも、むしろ「敗者」となるほうがよい」と、考えたのだ。「私はOKでない」という構えで生きたら、母親も自分に同情するのか?憐れむのか?きっと関心を持ってくれるに違いない、とクライアントは「決断」したのだろう。子どもながらの切なくて悲しい思いであっただろう。しかし、そう生きても、今日まで母親からは愛情も承認も受けられなかった。彼は彼の人生の途中、多分早期に「自分はダメな子だ、もう決して何も求めない」と決心した可能性が大きいと思われた。幼い時の「悲痛な叫び」は満たされないまま、子どもながらに「決断」した。その通りに生きてしまう程、後に影響を与えるのだ。「決断」は、その人の人生の”脚本”に刷り込まれ、”無意識”に”脚本”通りに生きてしまうものなのだ。
クライアントはその”脚本”通り生き、成人した。彼は母親に似た女性と結婚した。結婚後、職場の仕事が増えると、自ら求めて超過勤務をするようになり、物理的にも妻を必要とすることが少なくなるような状態へと自らを追い込んだ。求めたらまた、母親の時のように拒絶されるのではないか?と、恐怖したからなのだ。ひとり芝居と言えばその通りだが、「もう何も求めない」と決断した”脚本”通りである。”無意識”で”脚本”に従い、求めているものを抑圧し無理をしていることから、そのような無理に耐えられなくなり、
ついに”胃潰瘍”と”気分障がい”を発症したと思われる。私たちは誰しも、”無意識”でそうしてしまうことがほとんどであり、考えてそうするということは少ないものである。クライアントはここに来て、自分も妻から何らかの承認が欲しい、仕事も超過勤務までして働いているのだから、承認かストロークが欲しいと、”脚本”を破って強く思い始めた。それほどまでに承認とストロークを望んだのである。その自覚がやがて”胃潰瘍”と”気分障がい”の発症に繋がるのである。
確かに”複雑”なのだ。決断した”脚本”を破ってまで、本来自分が求め続けてきた承認やストロークを当然のように欲しがることが、なぜ「病む」ことになるのか?それはクライアントの”自我”がそうさせるのだ。彼の”自我”の”批判的な親の心”(クリティカル・ペアレント。CPと呼ばれる自我の一部)が、承認やストロークを求めようとすると、
「お前はダメな奴だ」
「お前はOKでない」
と、自身の中でささやき、迫って来て罰しようとする。”強迫観念”である。
「あなたの中でささやいていますね」
と、私は気づいてもらいたくて尋ねた。
「それは確かに気づいています。そのささやきのボリュームを、自分の力では下げられません」
この内部でささやく”批判的な親の心”の”自我”をセーブさせ、回復に向かわせるのは、”大人の心”と呼ばれるもの(常識・科学的・合理的・損得の座と呼ばれる自我の一部、アダルトA)であり、これによってこの状況に変化を与えることになる。”自我”を分解しないと見えてこないのだ。
いかに不合理な生活の仕方をしているか?
当然の欲求を満たしてなぜいけないのか?
我慢して「病む」ことが当然だろうか?
本当に私はダメな人間なのか?
今のような生き方をすることのメリット・デメリットは?
と、私は尋ねる。
しばらく、この問いにくり返しくり返し応えることが重要なことである。自分の中のCP(批判的な親の心)をA(大人の心)が始動し、CPにわからせるという作業であり、重要な試みである。しかし、染み付いたものはなかなか動かすことは難しいのだ。三週ほど、クライアントと共にメモ用紙に答えを書いた。作業の間、彼のペンは楽に動くようになるに従って、顔を上げ笑みが浮かび始めた。
「何をしたの?どうして良くなるの?」
単純な性格の心療内科医のA先生から電話がくる。
「本人さんが抗うつ剤減らしてって言ってさ、確かにこの頃快調なんだよ」
「何、それでいいじゃない」
「何をしたのかと聞こうと思って」
「”複雑”で難しいよ」
こんなやり取りを楽しめるように、やっと私は楽になった。初回面接から三年を要した。彼は先日、取ったことのなかった有給で五日間、奥さんと二人キャンピングカーを借り、東北への旅に出た。