武士の誉れーみはるの忠臣蔵物語、再びー
小学生の頃、日本史が大好きだった。
みはる達の頃は、6年生になると"歴史(日本史)"の授業が始まった。
当時、担任の先生が教室中に轟くガナリ声で
「歴史、遅れを取ったら、お前達先はないぞ!」
と真顔で半ば脅しに掛かっていた。
まぁ、今にして思えば、後々に控える"高校受験"を心配していたのだろう。
はっきり言って、呑気者のみはるは、未来の高校受験なぞどうでも良くて、ただただ"日本史"が楽しくて仕方がない子どもだった。
日本史大好き!のまま、中学生になり、中1のある日、母に言われた。
「アンタ、忠臣蔵も知らないの?!学校で習わないの?!」
…習いません(;一_一)…
そもそも、小·中学校における"日本史"とは、6年生の時の担任が憂いた様に、あくまで"高校"に受かる為のモノで、後世に名を残す大事業とか一大改革を成し遂げた人物たちをひたすらに覚えていくもの。
母よ…
忠臣蔵は娯楽です
然し、この
「忠臣蔵も知らないの?!」のひと言が、後のみはるの運命を決定づける。
何故なら、母のこの台詞には以下のような続きがあったから。
「忠臣蔵も知らないなんて、みっともない!テレビ見なさい!」
後にも先にも、テレビのことで口出しをされたのはこの時だけ。
しかも、見なさい!という命令型。
テレビを見ちゃダメ!
と怒られ、泣いている友達は大勢居たけれど、見なさい!と怒られたのはみはる位だろう。
命令されて、大河ドラマ"峠の群像"を1年間見続けた。
嵌まった
あの頃、ビデオデッキは未だ完全なる市民権を得るちょいと手前で、みはる家には登場していなかった。
「ビデオ買ってー!!」
とのみはるの願いは、母の絶大なる権限に因って拒否され、仕方なく、総てをリアルタイムで見ていた。
…閑話休題…
さて、峠の群像に嵌まったみはる。
土曜日はエライコッチャ!な闘いを繰り広げる羽目に陥った。
大河ドラマの本放送は日曜日の8時から。
でも、その週の最後(だから、土曜日)に再放送が有るのだ。
本放送では飽き足らず、再放送も見逃したくないみはる。
土曜日の半分授業+掃除を終えると、なりふり構わず一目散に家を目指す。
背後から
「アンタ、日曜日に見てるんでしょーが!馬鹿じゃないの?!」
と、仲良しの友人が皮肉を言おうが、一切気にも留めず、カバンをブンブン振り回し、セーラー服の裾をバタバタと翻し、ひたすら遠い家路を急ぐ。(学校、遠かったのだ)
とにかく、泣ける。
おいおい泣ける。
ゴイゴイ泣ける。
これでもか!
とばかりに繰り出される、"泣き"の要素。
日本人は情に脆いと言われますが、忠臣蔵こそ、日本人の情に訴えかける、エンターテイメントな作品です。
"判官びいき"
とは、簡単に言うと、負けた方に肩入れしちゃうってことですが、忠臣蔵は正しく、判官びいきの世界。
ーお上の不公平な裁きに対し、亡き殿の無念を晴らすべく、艱難辛苦を乗り越え、忠義の名のもと命を掛けた四十七士ー
この討ち入りに辿り着くまでの、義士一人ひとりの人情物語。
コレが泣かずにおられましょーや!!
主人公の大石内蔵助だけでなく、義士各々に聞くも涙·語るも涙の物語が有る。
語り継がれている忠臣蔵は美化されていて、史実と違う
は、余りにも有名なごもっともな意見ですが、どうせ酔いしれるなら、ロマン溢れる"The王道·忠臣蔵"に酔いしれたい。
峠の群像よりうーんと年代は現代に近づき、松平健さんが大石内蔵助を演じた、その名もズバリ
忠臣蔵
というドラマも良かった。
秀逸の作品で、泣きに泣いた。
5年程前、BSで5日間ぶっ通し再放送!
が行われ、あすぴれんとのプログラムが終わると
「お先に失礼しまぁーす!!」
と、デカイ声で叫んで、中学生時代のみはるを彷彿とさせる物凄い勢いで家に帰り
5日間、泣きまくった。
膝にはバスタオル。
コンタクトの目をバスタオルに押し付けて、声を挙げて大号泣。
お陰で、目だけじゃなく顔全体をパンパンに腫らし、とんでもない顔であすぴれんとに日参する羽目に…。
つまる所
忠臣蔵は
日本人の気質にピタリと
フィットするように作られている
近松門左衛門さん、凄いなー。
貴方が居なかったら、みはる達は、年末に大泣きしながら日本情緒に身を委ねることが出来なかった。
あっぱれ!
歴史と聴くと、そのスキ·キライは割とキッパリ分かれる様に思う。
今更、昔々に誰がどんな偉業を成したかなんて、知らなくても生きて行けますもんね。
けれど、現代の様に"情報"がSNS一発で世界中を駆け巡ることもなく、ひたすらに文(ふみ)や口コミに頼っていたことを思うと、それらが現代を生きるみはる達にまで伝わり、時に受験生を悩ませたり、時に季節が過ぎ行く様を思わせるのは何と凄いこと。
みはる、今、昔の情報網を"口コミ"と表現しましたが
古代、中国や朝鮮半島から伝わってきた技術や文化も、多くの人が介在し、その地域ごとの色合いを特色にして伝わって行ったんですよね。
「この道具使いやすいよー。この間、京の都(みやこ)で手に入れた。」
「じゃぁ、使ってみよう。で、使い方は?」
当時の人々の会話を現代語訳すると、こんな感じ、かな?(はい、立派な口コミですね。 笑)
古(いにしえ)の人々たちが創意工夫を重ねて来た多くのモノを
みはる達現代人が、愛し慈しみ、更に後世へと「文化」として残す。
堅苦しく考えることはないんじゃないかなーって思う。
ー好きなものをとことん好きになり、大切にするー
生まれた文化は様々に育つもの。
勿論、文化を育てるのは"ひと"。
歴史に思いを馳せる時、その時代時代の人々を思う。
江戸中期
百花繚乱の元禄文化の世に、ひっそりと穏やかな暮らしをしていた、兵庫県は赤穂の人々を襲った、突然の悲劇。
その悲劇が、今もなお、みはる達の時代に愛され語り継がれる。
これからも、堂々と"The王道·忠臣蔵"を愛して行きたいな。
討ち入りの日の赤穂のお祭りは壮観ですよ!
亡き殿の墓前に、吉良殿の首を供えた、東京高輪の泉岳寺も趣がありますよ。
みはるは今年の年末も、きっと大石内蔵助さん達に思いを馳せます。
そう言えば、秋にはちょっぴり意表をついた、新しいタイプの忠臣蔵の映画が封切られます。
楽しみだなー♫
これからも、いつまでも。
忠臣蔵よ 永遠なれ
それでは、本日のお話はこれにて大団円でございます。
本日も最後までお読み頂きありがとうございました。m(_ _)m
みはる
本日の写メ→忠臣蔵討ち入り風景=ネットから拾いました。(現代、便利。(笑))"
〜2019'8'12(月)