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目に見えない世界にこそ真実が潜んでいる!全ての宗教が原点となる世界


1.はじめに


みなさんは幽霊を見たことがありますか?
ネットでいろいろと検索してみましたところ、約20~25%の人が「見たことがある」というアンケート結果がありました。
4・5人に1人の割合で、何らかの不思議なものを見たことがあるという驚きの結果です。

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実際に「見たことがある」といっても信じてもらえず、妄想、幻覚、思い込み、勘違いなど、見えないものに対して否定的な考えを持った方も少なくはありません。
見えないものを否定したくなる心境は理解することができますが、空気の存在はどうでしょうか?
空気は見ることはできませんが、誰もが疑うことなく存在していることを知っています。
ビタミンCはどうでしょうか?見えなくても栄養素の一つとして、誰もが存在していることを知っています。
科学的な証明があるものは、教育などで教え込まれ、見たことがないとしても誰もがその存在を否定したりはしません。
この世の中は科学的な証明があるものは絶対的なものなのだといえるのです。
つまり、目に見えないもので証明ができないものは信じることができないといった結論になってしまうのです。
ところが、科学的な証明がないにも関わらず信じることができてしまう、宗教という概念が存在します。
宗教は目に見えない世界を信仰するものです。
神や精霊など何らかの大いなる存在を信仰することで、人は救いを求め心の平穏を保とうとします。
この宗教の概念の原形とされるものがアニミズムです。
アニミズムは人類学者であるタイラーが提唱する概念で、万物には霊魂が宿るとする考え方のことをいいます。
宗教の原点ともいえるアニミズムの世界観とはどのようなものなのでしょうか?
今回は万物に宿る霊魂、アニミズムの世界についてご紹介します。

2.アニミズムとは?


アニミズム…それはアニマとイズムを合わせた言葉で、アニマはラテン語で「魂・霊魂」という意味があります。

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イギリスの人類学者、タイラーが提唱する概念で「自然界に存在する全てのものには霊魂が宿る」とする考え方のことをいいます。
エドワード・バーネット・タイラー
(Edward Burnett Tylor 1832年 –1917年 文化人類学の父と呼ばれる)

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日本においては「精霊信仰」や「地霊信仰」とも呼ばれています。
霊魂といいますと、人間だけが備わっているように感じますが、アニミズムの世界では、神や精霊をはじめ、動物、植物、太陽、月、海、川、山、土、自然界に限らず、身近にある物質全てのことを指しています。

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これは日本でいう神道の概念である「八百万の神」に近い考えであるといえます。
八百万の神ではトイレの神様である烏枢沙摩明王ウスサマミョウオウや風の神様「風神」、雷の神様「雷神」などが有名であり、全てのものには神が宿るとされています。

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また、大きな岩や樹木をしめ縄や紙垂しでで飾り、御神体として祀られている場面を見かけませんか?
ここにも自然界に神や精霊が宿る概念である、アニミズムの精神があるのです。

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海外においてはアメリカの先住民であるインディアン、オーストラリアのアボリジニなどが自然崇拝を通してアニミズムを信仰しています。

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3.タイラーの概念


では、タイラーはなぜ、このような考えに至ったのでしょうか?
タイラーは文化人類学の父と呼ばれていました。
【文化人類学】
人類がつくり上げてきた社会や文化を通じて人間とは何かを研究する学問

タイラーは人類がまだ、狩猟などをして原始的な生活をしていた頃にも「神」という存在があったのか考えました。

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おそらく、「神」という存在ではなく、「霊」の存在を信仰していたのではないかと考えました。
原始時代の人類は生命を次の世代に繋ぐために、動物を狩り、木の実を集めて食べ生き延びてきました。
この頃の人類は、人間は自然界の一部であり、大自然と共存することで、人間と自然界は同等のものと認識していたのではないかと考えました。

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つまり、同じ世界に存在するものとして、物質にも人間と同じように意識がある、そして、魂が宿っていると考えたのです。
この思想がアニミズムの原点であり、後に信仰の対象が霊から神へと移行し、多神教や一神教へと変化していきました。
近代ではヨーロッパの合理主義が世界中に広まり、アニミズムのような目に見えないものに霊魂が宿るといった考え方は、野蛮で低俗なものと否定的に捉えられるようになってしまいました。
また、原始人はタイラーが考えるほど理性的ではなく、直感的なものだったのではないかと批判する声もありました。

4.アニミズムの具体例


さて、海外では神を信仰する習慣は生活に密着している地域も多いですよね。
イスラム教を例にあげてみますと、1日5回の礼拝時間があること、豚肉を食べてはいけないこと、お酒を飲んではいけないこと、女性は顔と手以外は隠さなくてはいけないことなど、細かく厳しいルールがあります。

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それに対し日本は信教の自由(宗教の自由)が憲法で定められており、何を信仰してもよいとされ罰せられるようなことはありません。

【日本国憲法第20条】
第1項 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、 又は政治上の権力を行使してはならない。
第2項 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
第3項 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

日本では、漠然とした神のような存在はあるのではないかという認識は持っていても、熱心に何かを信仰する習慣はあまりありません。

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この自由さから、アニミズムの世界観が、比較的に強く受け継がれているのではないかと感じます。
その典型として、幼児の成長過程にもアニミズムをみることができます。誰もが幼少の頃に経験をしているおもちゃ遊びを例にあげてみましょう。
小さな子供がおもちゃを大切に扱わなかった時、大人達はどのような声かけをしたでしょうか?
「おもちゃが泣いてるよ」「おもちゃが大切にしてって言ってるよ」
「おもちゃが、もう遊びたくないよって言ってるよ」
このような言い方をしませんでしたか?

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このように物にも心があるかのように擬人化して伝えると、小さな子供にも伝わりやすくなります。

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これも物にも魂が宿るとするアニミズムの一つだといえます。
また、神霊が寄りつく依り代よりしろとして日本にはさまざまな御神体があります。
御神体として有名なのが三種の神器や富士山があります。
この他にも岩石、神木、泉などを中心に全国各地の神社でアニミズムが受け継がれている場面を見ることができるのです。

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5.まとめ


いかがでしたか?アニミズムは信仰の原点であり、信仰心がなくても誰もが心の奥底で根付いている、豊かな精神だともいえます。
目に見えないものを信じることは、とても難しいことかもしれませんが、全ての存在に魂が宿っているのだと思うと、お互いが対等であり、人であっても、物質であっても感謝を捧げ敬うことができます。
アニミズムの世界観は、現代人に欠けてしまった精神性の大切さを思い出させようとしているのかもしれません。

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